衆議院の解散から総選挙までの40日間という期間は、これまでで最長だ。ちょうど、子どもたちの夏休みの期間とぴたりと重なる(関東地方など)「まるごと真夏の選挙戦」は、与党側にとってみれば、お盆をはさんで「すべてを水に流す忘却の夏」を期待したいところだろう。そして、今日はすでに8月2日でちょうど投票日の30日まで4週間と迫った。
解散をしてから12日間で大きく風向きが変わるという兆候はまだない。7月31日になって、自民党はマニフェストを発表したが、この内容は拍子抜けするようなものだった。耳にタコが出来るほど「財源、財源」と批判していた自民党だが、多くの政策は「早期に実現をはかる」などの抽象的な言い回しに終始していて、そもそも「財源」を提示する必要すらない。簡単に言えば、「現状維持」が「与党の責任力」という情けない内容だった。
そもそも、解散時の記者会見で「行き過ぎた市場原理主義とは訣別します」と述べた麻生総理だが、「小泉・竹中構造改革」を指して「行き過ぎたもの」と評価したのか、単なる一般論として述べたのかが曖昧だ。私たち野党が追及してきた「公的病院潰し」や「医療危機」も、「医療の構造改革」や社会保障費2200億円のカットという大ナタがつくり出してきたものだが、その点の反省も総括もない。後期高齢者医療制度は「制度を維持しながら抜本的に改革する」と言うが、そもそも昨年9月の総裁選で舛添厚生労働大臣のフライイングで「白紙に戻して抜本的に見直す」という提案を受け入れたかに見えた麻生氏は、結局「制度の枠組」には手をつけることが出来なかった。年金記録問題は、「来年末までに解決」と言うが、何を根拠にいかなる工程でやろうとしているのかが不明で「その場しのぎ」の色彩が強い。
麻生総理が直接に指示をしたと言われる『70歳はつらつ現役プラン』だが、麻生総理らしい無神経な言葉使いが気になった。70代の高齢者も元気でイキイキと働く人は働けるような社会をというのは、一般論としては間違っていない。しかし、こうした人たちを「第二の新卒者」と呼ぶとは、いったいどういう神経だろうか。
〔引用開始〕
「70歳はつらつ現役プラン」として50歳代からの定年後のキャリア形成についてカウンセリングなどのとと教育訓練を行い、「第2の新卒者」としての準備を進める。また、専門的な知識や経験を技術・知識の分野ごとに登録する「シニアエキスパートデーターベース」を構築し官民の職業紹介所で提供する。
〔引用終了〕
75歳で就労した方を職場で紹介する時、「第二新卒の麻生太郎さんです」と紹介されて気分がいいだろうか。勝手に「後期高齢者」と呼んで、「やがて避けることの出来ない死を迎える」と言ってみたかと思うと、「生涯現役の第二新卒者」と呼ぶなど麻生総理に言われる筋合いはない。
「働くしか能がない」「80歳になって遊びを覚えてもだめ」という発想は、そう言われる側の立場に立っていないことを証明している。人生の先輩、戦中戦後に苦労してきた高齢者に対するいたわりや、ねぎらいの姿勢がない。高齢者の人たちが、自らの経験や智恵を生かして、ずっと現役で働き続けるという人たちも多いことは知っている。だが、働きたいから働いているわけではなくて、国民年金の支給額4~5万円台では生活できないから身体に無理を承知で働いている人もいることを麻生氏は忘れてはならない。「年金生活者」としてせっかく訪れた「第二の人生」を過ごしている人たちが、孫の面倒をみたり、地域活動に参加したり、世間話をしてゆったりと暮らせる「老後」のひとときは大切にしたいものだ。
麻生氏が街頭演説で「保守」を連発するほどに、「保守の堕落」を感じさせる。自民党は、後期高齢者医療制度で高齢者を敵にまわした。規制緩和で大規模店舗がまるで癌細胞のように地域の商店街を浸食して地域コミュニティを壊す作用をした。障害者自立支援法で、「応能負担から応益負担を」と間違った政策で福祉分野で苦労している障がい者の人たちや施設関係者を追いつめた。これが保守かと、怒り心頭だろう。かつての保守の懐は深かった。よくも悪くも「小泉政治」が「自民党は改革政党」と看板を塗り替えて、相互扶助の破壊者として立ち現れた。
「聖域なき構造改革」と言った小泉元総理が息子を「世襲候補」として紹介して「親馬鹿なんで」と照れてみせた時点で「小泉神話」は終焉した。自民党は「消費税も含む税制の抜本改正」をうたっているが、小泉時代に定率減税の撤廃をはじめとして弱者に厳しい国民負担を次々と強化したことを忘れてはならない。高額所得者や企業の法人税の減税を維持したままに消費税をあげることで、税制の所得再配分機能は後退していく。やはり、自民党がわかりやすいマニフェストを掲げるには小泉構造改革の総括は必要不可欠だと感じる。
| Trackback ( 0 )
|
|