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 ここ数日、来週の『週刊朝日』に掲載する「かくれキリシタンルポ」の執筆と調査に集中していた。長年、関心を持ってきてとはいえ、実際に年末年始と生月島や外海地方を訪ね取材をした上でルポを書く機会を与えてくれた編集部には感謝をしている。来週以降、2回連続で上下掲載されるから、内容はここではふれない。ぜひお読みいただきたい。ただ、この仕事を選んだことのひとつに、15年間すべての力をかけて考え続け、情報発信し、また行動してきた「政治」から、ひとときだけ離れて頭の中を空っぽにしてみたいという気持ちがあった。たしかに、取材をして、本を読み、考え、書いている時は、「政治」から離れた。

 ところが、400年の時空を超えてかくれキリシタンルポを書いているうちに、これは「政治」そのものだと思った。私は、この10年、死刑廃止の立場から発言を続けているが、日本の歴史上最大の苛烈な死刑執行は「キリシタン処刑」ではなかったかと思うようになった。小さな島のあちこちに処刑場が「殉教地」として残っている。 新井白石の『西洋紀聞』下巻付録によると、殉教者の数は20~30万人にのぼるとあるが、正確にどのぐらいのキリシタンが処刑されたのかは判らない。これも、江戸幕府の政策方針に他ならない。

 現在、迷走とか漂流と言われている政治も、政策決定の司令塔であることは変わらない。政治は、庶民の生き死にに関わる刃を降り降ろすことが出来る。ひるがえって、現在の「永田町」では、それだけの想像力を張りめぐらせているだろうか。江戸時代と今の違いは、「一票の権利」を持つ民主主義の社会だということである。しかし、ミスター自民党として政権転落まで旧政権の枢要な立場にいた与謝野馨氏が大臣席の雛壇に座り、助っ人に柳沢伯夫元厚生労働大臣まで加わった布陣を見ると、民主主義の機能不全を感じる。

 嘆いても腐っても始まらない。引き続き、出来ることを一歩一歩やる以外にないが、歴史的に大きな視点から現状を乗り越える政治判断が必要だとの思いを強くした。

 

 

 

 



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