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 民主主義の仲間を探したい、と昨日書いた。20代の若者から「なんとなくいい感じの言い方ですね」と感想をもらった。「上から目線」という言葉があるが、だからと言って「下から目線」とは言いたくはない。あえて言えば、「水平目線」とは聞き慣れないが、横一線に対等・平等にならんでいる人々が「智恵を出し合うシステム」が民主主義なのだろう。その民主主義は機能しているか。

 NHKの大河ドラマ『龍馬伝』を見ていて、上下関係が絶対的な身分として固定されていた幕末に閉塞感漂う場面を見て、現在に通じるものを感じる。「戦後民主主義」という言葉があって、少年時代の私は「戦前の社会」との対比で「戦後社会」を見てきた。けれども、「江戸時代から地続きの秩序感覚」が社会の基盤に残っていると感じる。国会の運営は、法律ならぬ「慣習」が多く今も生き残っている。そのほとんどが、「帝国議会以来のもの」だ。

 戦前の帝国議会と戦後の国会は「地続き」だということだ。私の生まれた1955年(昭和30年)に、保守合同が成り自由民主党が結党となった。一方で左右に分裂していた日本社会党も統一を果たして「55年体制」がスタートした。この55年体制は、本質的には自民党体制だった。自民党の正体とは、日本社会の縮図である。統治権力たる官僚機構と、系列化された業界団体、そして地域に根を張る消防団から、自治会、商工会、農協、土地改良組合と「生活・生存」に必要な地域組織は、すべて自民党を支持してきた。

 そして、いつのまにか「江戸時代」から残っている上意下達式の集団主義が、高度経済成長を支えて、自民党の天下が続いた。その自民党の天下が根こそぎ倒れたのが、昨年の総選挙だった。「55年体制」は2009年まで続いた、途切れたのである。途切れるべくして途切れた自民党支配は、多くの慢性疾患を抱えていた。


そのひとつが「政治家の世襲」だ。橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗(父・祖父が村長・町長)、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と見事に世襲議員が総理大臣をつとめてきた。野党に転落した後の自民党総裁もやはり世襲である。昨年の総選挙で政権交代をしたが、トップの世襲根絶はならなかった。「第三極」と勇ましい新党の顔もやはり世襲だ。

 このように書いているが、私の知る世襲議員の人たちの中には、優秀かつ有能な人が多くいるのも事実だ。しかし、生まれ落ちてすぐに「政治家の子」として育ち、「地盤」「カバン」「看板」に恵まれ、先代、先々代からの後援会組織を継承し、生活に困窮することなく選挙に強い……という一群の人たちが、政治権力の中枢に位置していることで起きてくるのは「政治の劣化」だ。

 政治とは「想像力」の勝負であり、政治家の資質とは決して直接見ることの出来ない人々の困難な現実を察知する「共感力」である。どうも、世襲議員の人たちには、この資質が足りない。そして、大企業、メディアと「政治」の周辺にいる人たちは、「閨閥」である場合が多い。政治家と実業家の娘、高級官僚と政治家の娘など、この国の統治権力の中枢や隣にいる人たちは「親戚」「縁戚」で結ばれている人たちが多い。

 世界が見えているようで、豊富な果実を独占してきた「名門・名家」と呼ばれる人たちが、政治・経済を論じる。世襲政治家だけでなく、財界もメディアも「小泉純一郎的改革」に酔いしれるマインドを持っていた。「切り捨てる」側は、生き残る。「切り捨てられる側」は傷つき倒れる。政治は、どちらの味方になるべきなのか。

 答えは、自明である。困難にぶつかり、苦しんでいる人の声にならない声に耳を傾け、社会の歪みをただすべきと言いたい。


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