東映京都撮影所というところは、一種の魔窟のようなイメージをもたれている。時代劇の撮影が一種の地場産業になっている京都の、悪い言い方をすれば鼻持ちならないプライドと、しかしそのプライドをちゃんと裏打ちする技術の集積が太秦には生き残っているのだろう。映画村ができたとき、そんなテーマパークがやっていけるものかと思ったけれど、客が殺到したのにはあきれた。東北人には、そして時代劇や任侠映画の全盛期に間に合わなかった60年代生まれにはわからないメンタリティなのかも。
その京都撮影所を活写した「嗚呼!活動屋群像」(著者は土橋亨……この映画監督をおぼえている世代はわたしが最後かも)は、すんごいエピソードてんこ盛り。いちばん有名なのはこれでしょうか……
ガシャンという大きな音と同時にワァーッという悲鳴が上がった。悲鳴の主は元日活のアクションスターSさん。彼が座っている椅子の足元30センチ程の前に、レンズと電球を抜いた鉄の固まり(直径30センチ、長さ40センチ程の円筒形のもの)2キロライトが狙ったように落ちてきた。高さ12、3メートル、セットの天井近くに縦横に走る証明のための足場の上には人影がない。付き人、マネージャー、プロレスラーまがいの四、五人の取り巻きが色めき立つ。Sさんは真っ青な顔で、ただ茫然と立っていた。この2キロライト落下事件が広く喧伝され、東映京都は怖い、京都の照明部は恐ろしい、となった。
……これは73年の「三池監獄・凶悪犯」撮影時のエピソード。あまりに有名になりすぎて、後日、内田裕也のような怖いもの知らずまで、出演前にとりあえず土橋に様子をうかがいに来たという笑えないオチまでついている。
黒澤明が自殺未遂をした事件の遠因も、京都撮影所と東宝育ちの黒澤のそりが徹底して合わなかったことではないかと推理されているのだ。Sさんとはもちろん宍戸錠のこと。“敵地”に乗り込んだ彼が、取り巻きを常にそばに控えさせていたことで反感をかったらしい。もっと凄いネタもあるのでこれは次号で。