カーツ大佐(マーロン・ブランド)は陸軍士官学校(ウェストポイント)を首席で卒業し、数々の軍功をあげたが、ある時点でみずからのキャリアを投げ捨て、ベトナムからカンボジアへの国境を越え、現地民を組織化して王侯のようにすごしている。
ウィラード大尉(マーティン・シーン)は、本国での生活に耐えきれず、妻と離婚してまで戦場であるジャングルにもどってきた。彼の専門は暗殺。
キルゴア中佐(ロバート・デュヴァル)は、騎兵隊の帽子をかぶり、サーフィンをするために村を焼き払うほどファナティックな男だが、情に厚く、ベトコン(チャーリー、と称される)にも一定の理解を示している。
ウィラードはカーツの暗殺を命じられ、キルゴアはウィラードの“闇の奥”への道行きを助ける。カーツが殺されるのはすでにアメリカ軍の制御がきかなくなっているからで、カーツの思想を理解しようとするウィラードは次第に壊れていく。ひとり意気軒昂なのはキルゴアだが、彼はヘリコプター(この映画の主人公だ)による襲撃の際に「ワルキューレの騎行」を大音量で鳴らして威嚇するなど、最初から壊れているとも言える。
三人の差は、そのままアメリカ軍、ひいてはアメリカという存在へのスタンスの差。ベトナム戦争をどう考えるかだ。
キルゴアのようにあの戦争が共産主義から世界を守る戦いだと信じていられるうちはいい。しかし少しでも懐疑的になってしまうと“史上最も無益な戦い”への絶望によって軍人たるプライドは雲散してしまう。
カーツはアジア人の単純さを愛し(だからアジア人蔑視の作品だと攻撃もされる)、みずからの絶望と恐怖を奇矯な王国を組織することでねじふせている。
ウィラードは彼に心酔しながら、一方で「ただの逃亡将校ではないことを息子に知らせてほしい」というカーツの弱さも理解している。したがってカーツの暗殺は、一種の救済であるかのように描かれる。
久しぶりに観て、やはり後半はグダグダになってしまったんだなあとため息。しかし、戦争の本質をこれほど的確に(撮影が混乱していたからこそなのだろう)描いた作品もない。一見の価値は絶対にあります。ぜひ。
あったので読んでます。たしかにすばらしい本だった。
「地獄の黙示録」で弱いのは、本来は被虐と嗜虐の両方を
演じなければならないはずのウィラードが、被害者のような
顔しかできないマーティン・シーンだったこと。
彼の狂気が伝わらないので、最初のカンフーシーンも
陳腐なだけに終わっている。あれが深みのある役者だったら
オープニングの
「サイゴン…………くそ、オレはまだサイゴンにいる」
ってセリフが効いたのになあ。