今回から、4年前の一種の“熱狂”を特集しようと思う。
また古いネタを、と言われることは承知しています。
バックナンバーを読み返して、この頃にわたしが考えていたことに、今でもまったく修正の必要を感じない。
熱狂から熱狂へ。
日本人は何も変わっていない。
うちの田んぼの真向かいに、いわゆる五反百姓と呼ばれる小規模な農家の水田がある。会社勤めをリタイアし、老妻と二人でいつも農作業にはげんでいるその爺さんは、本当に楽しそうだ。草取り、水管理など、なにもそこまでやらなくても、と不良事務職員であると同時に不良百姓であるわたしは余計なことを思う。二人の精進で、そのわずかな田んぼは、まわりと比べても美田を絵にかいたような風情が突出している。
そんな彼らが、はたして近所の連中からどう思われているか、想像できるだろうか。
篤農家として尊敬を集めている?いやいや。
わたしみたいに「ったぐそごまでやんねくても」?まだ甘い。
実は
「道楽で百姓やらっでいいもんだのや!」
と悪罵を投げつけられているのだ。
アジア人の特性がまさしく農耕民族的メンタリティであり、「他と違ったり」「他者と関わりなく自己完結している」ことが敬遠されがちであることは、典型的なアジア人であるわたしたちが日々感じているのではないだろうか。特に稲作農家の場合、水の奪い合いが日常茶飯事だった歴史もあってか、何らかの突出は徹底して弾圧され(村八分)、ために「長いものにはまかれろ」的な考え方が身に染みついている。
そんな日本人の心性を端的にあらわすことばは「排除」と「嫉妬」だろうか。
三邦人がイラクで人質になったとき、政府の対応のみっともなさは予想できたことだが、国民の反応はわたしの予想を完全に裏切った。一体なんだこれは……
【PART2につづく】
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