ブルース・リーが今も生きていたら、とは誰もが考えたことがあるのではないだろうか。
「生きてたら……60過ぎてるじゃん。」
いやそういう話ではなくてね。カンフーを中心に据えたアクション映画がどう進化していたろうかと夢想するのだ。
彼の死後、結局は古くさぁいアジアの印象から脱却できない有象無象がたくさん出てきたけれど(ジミー・ウォングとか、ソニー千葉とか、倉田保昭とか……リーの旧作ですらそうだった)、第二のブレイクはひたすら明るいジャッキー・チェンの出現を待たなければならなかったし、リーが意識し続けたハリウッドで、チェンとジェット・リーが主役をはれるようになったのはつい近年のこと。「燃えよドラゴン」から、四半世紀も経ってしまったのである。この空白はリーが生きていたら許せなかったろうな。
でも、冷たいようだがこの奇跡の作品としか思えない「燃えよドラゴン」を観ると、彼の夭折はむしろ幸福だったのではないかと思う。これ以上面白い作品ってどう考えても撮れそうにないじゃない?肉体の衰えと共に悲惨なフェイドアウトを迎えるなんて、いかにもプライドの高そうなリーには耐えきれなかったろうし、ドーピングに近いマネはやってたろうから何れにしろ長生きは無理だったろう。
それはともかく、この映画がわれわれに与えた影響は圧倒的。怪鳥音(アチョー!)を発しながらヌンチャクのバチモンを振り回し、怪我をする馬鹿は後を絶たず、同い年の同僚は「いやーサントラでセリフ全部入ったなどご買てやー。今でも『お前は少林寺の名を汚した』どが全部言わいっぜぇー」と自慢しているぐらい。私もラロ・シフリンのテーマ曲を聴くといい年をして条件反射で血湧き肉躍る。
でもよく考えるとこの映画、設定はむちゃくちゃ。拳銃の存在しない島でカンフーのトーナメントを行う、それだけのために色んな無理を重ねている。囚われの身だった連中が、さっきまでぜぇぜぇ言ってたくせに最後には鍛え上げた悪者たちをやっつけちゃったり。当時カンフー映画がハリウッドでどんな扱いを受けていたか(こんなもんでいいだろ?)よくわかる。悪役ハンを演じたシー・キェンが実は全然英語を話せなくて、完璧な口パクだったなんていかにもB級で笑えるし。
あ。この映画がどうしてこんなに忘れられないかをもう一つ思い出した。これを観ていたとき、私は初めて痴漢に襲われたのだった。隣に座ったコートを着た男が「ガム食べない?」「あ、どうも。」しかしその後そいつはいたいけな中学生だった私の股間に手をのばし始め、私は必死でそれを防御していたのだった。
「悔しくてさー」と高校に入ってからそれを話すと、なんと「あーっ!オレもやられた」というヤツがゾロゾロ出てきた。そのうちの勇気ある一人は、悔しさのあまりその男の跡をつけ、自宅と名前までチェックしていた。田○サンジローというその名とともに、「燃えよドラゴン」は深く我々の胸に刻みつけられたのである。あんのヤロー。
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