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クーデターの常道通り、兵士たちはマスコミに向かう。そのために放送局はわざとわかりにくい造りになっているという噂もあるくらい。しかしこの8月14日から15日にかけての蹶起は、NHKから録音盤を奪取するという明確な目的がある。同時に、自分たちの思いを国民に伝えたいと。
しかしその行動は、日本放送協会の職員(またしてもびっくりの特別出演あり)によって阻止される。むかしはNHKにも立派な人たちがいたんですねえ。
軍人たちは今度は暗殺に走る。標的は鈴木首相と迫水秘書官。同じころ、阿南は官邸で自決する。
腹に短剣を突き刺し、「介錯は無用」とつぶやく阿南を、後ろから撮った映像は日本人にとってもショッキングだ。その後、阿南は首の頸動脈をさぐり……
クーデターに失敗した若者たちの最期はもっと即物的だ。宮城(きゅうじょう)に向かい、天皇を仰ぎ見ながら次々に頭を自ら短銃で射抜いていく。これも、後ろ姿。この一日、天皇のまわりは死で満ち溢れている。
この映画のラストは、玉音放送。しかし、放送を聞いて号泣する国民は描かれない。そこにいるのは、その声の持ち主。彼の徹底した孤独な後ろ姿で幕を下ろす(英語題名はTHE EMPEROR IN AUGUST)。
昭和天皇がここまではっきりと描かれたのは、ソクーロフの「太陽」以来か。あの作品ではイッセー尾形が演じ、ナポレオンを信奉し、同時に断罪されることを怖れて(かどうかははっきりと描かれない)独裁者の象徴である机上のナポレオン像を隠す小心さも見せた。
実像がどちらの作品に近いかは、わたしたちにはうかがい知ることはできない。ただ、彼の長男が、現在の首相の政治姿勢にいらだち(確実だ)、戦没者追悼式のお言葉に「反省」をわざわざ挿入したエピソードなどを知ると、裕仁という人物の長い戦後がどのようなものだったか、少しは理解できる気がする。