2012年5月号「事実上の容認」はこちら。
「先週の5月25日(金)です。起きたり、寝たり横たわったり寝言を言ったりという感じでしたが、その寝言の内容は全て映画なのです。娘に聞きましたらどうもアメリカで撮影しているらしいのです。ここは英語と日本語で2回撮るよと言っていたらしいです」
……新藤兼人監督死去の際の新藤次郎近代映画協会社長記者会見。新藤さんの凄さは、自分の撮りたい作品のために力を尽くした事実は確かだけれど、作品を撮るために金を稼ごうと書きまくった脚本の完成度の高さにもある。これが、プロじゃないか。
そのプロらしさが、独立プロの草分けとして、さぞや揶揄されたに違いない前半生の苦闘を蹴散らした。長寿が財産であることを誰よりも体現。
新藤監督のことで忘れられないことがある。角川が映画製作に乗り出し、製作費の明細をちゃんとしようぜという角川に、業界がいっせいに批判をよせたとき「そうしなければならないんだ」と強く主張したことだ。やはり、誰よりもプロだったのだ。
「ほぼ日」でも、競争はないようにしています。それはぼくが、競争にはいいことがひとつもないと思っているからです。だって、そんなことしたら、みんな「小見出し」で競争を始めちゃうと思っているからです。
……恒例、ほぼ日の糸井重里の発言。「アメトーーク!」の加地プロデューサーとの対談にて。こちらも、プロフェッショナル論ではある。
糸井 昔は、チームを強くするのは競争させることだ、といわれていました。
加地 社内でも競争してるところ、ありましたね。
糸井 いまでもほとんどの人がそう思い込んでるんじゃないでしょうか。“競争させると、ひとりずつの力が強まる。そして、ほんとうにつらいときには誰かの力を借りるようにしよう。”「最後の最後に力を借りる」という考え方は理想的です。だけど、当事者にとっては、その意味は「競争」というただそれだけのことになりますよね。
2012年7月号「サイカドーハンタイ」につづく。