「タブロイド・ジャンキー」を特集したときと、マイケル・ジャクソンに対するスタンスはまったく変わっていない。結果的にマイケルが“長生きできなかった”ことを、自分でも驚くくらい冷静に受けとめている。
ポップスターであり続けることは、まちがいなく幸福で、しかし同時に地獄でもある。誰よりも早くトップにのぼりつめ、誰よりも長くその座に君臨した彼の“晩年”は無惨なものだったが、だからといって同世代であるわたしは、同情するより、哀しむより、まず肩の荷が下りた思いがするのが正直なところだ(やはり同世代のマドンナの悲嘆は、だから意外なくらい)。
プレスリーやマリリンと同様に、彼の死は謎めいているために伝説になっていくだろう。「マイケル・ジャクソンは実は生きている!」といつまでも確実に騒がれるはずだ。ほぼ同じ時期にファラ・フォーセットの死があったことで、20世紀のアイコンの退場というイメージでここしばらくは報道されるのだと思う。
しかしマイケルの不在は、現実の彼がいないからこそダメージをわたしたちに与え続けるに違いない。彼が作りだしたポップチューンの数々は、衰えないままにきらめくのだから。
アルバムの最高傑作はもちろん「スリラー」で、のっけからWanna Be Startin' Somethin'のイントロで度肝を抜き、エドワード・ヴァン・ヘイレンのギターソロがうなるBeat Itで「これってブラック・ミュージックだったっけ?」ととまどわせるほどロックしていた。でもわたしがいちばん好きなのがジャクソンズ名義の「ハートブレイク・ホテル」であることは変わらないのだった。少なくともわたしにとっては素晴らしい曲。プレスリー(彼の娘と結婚したのは悪いジョークだ)のヒット曲と同名なので批判はされたけれども。
マイケルの死を告げたのが(いろいろとあった)兄のジャーメインだったことはつくづくとうれしい。彼のナンバーも復活してほしいなあ。そして、家族がどうしたのセックスがどうしたのと騒いだマスコミやタブロイド・ジャンキーが追いかけてくることはもうない。これもうれしい。いくら騒いだところで、彼にもうその雑音は届かないのだ。
ようやく、静かなときがマイケルに訪れたことを、今はマイケルのために喜ぼう。誰もがファーストネームで呼んだあの天才のために、合掌。