陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

神頼みにはご用心

2010-11-09 22:32:23 | weblog

記憶だけで書いているので、もしかしたらちがっているかもしれない。ともかく、星新一のショートショート集の、おそらく『ひとにぎりの未来』だったと思うのだが、大黒様の出てくる話がある。

ある小さな店の主が、急に大黒様を拝み始めた。店が傾いてきた、なんとかしてくれ、と朝な夕な、手を合わせる。やがて店はいよいよ危なくなって、店主ときたら、商売をよそに、四六時中大黒様の前から離れなくなってしまった。

そこで大黒様は困ってしまう。仕事さえしていれば、運をちょっと向けてやるとかして、助けることもできる。ところが主人と来たら、仕事は完全に放棄してしまっている。これでは助けようがない。だが、放っておいたら確実に店はつぶれるだろう。あんなに拝んでいたのに、そんなことになったら、大黒様の評判にも害を及ぼす。

ところが大黒様は現金の持ち合わせがない。そこで現実社会に出てきてお金を稼ぐことにした。ところがどっこい、大黒様を雇ってくれる人がないのだ。なにしろ神様だから、何だってできるのだが、人間社会では太っていて、柔和な顔という外見が、どうしてもネックになってしまう。どんな仕事であろうと神様だけにお手の物なのだが、あの顔立ちはまじめな勤務態度には見えないし、体型も緊張感を欠く。太っているからといって相撲取りの気迫もない。警備員も、泥棒を引き寄せそうだ。結局、季節柄、袋をかつぐ姿も板に付いた大黒様は、サンタクロース役にうってつけとスカウトされて、赤い服に身を包み、なかなかの好評を博したのである。

とにかく高給取りとはいかないが、大黒様はサンタクロースを必死で勤め、そうやって稼いだ金を、こっそりその店の売り上げにまわしていった。店主ときたら、商売そっちのけで拝んでいるから気がつかないのだが、大黒様の資金注入によって、なんとかその店は持ち直す。いまの大黒様の悩みは、クリスマスシーズンが終わればどうしたものだろうか、ということである……。

とまあ、そんな話だった。

苦しいときの神頼み、というけれど、頼まれた神様の方も大変なんだなあ、と小学生だったわたしはたいそうおもしろかった。

実際、たいていのわたしたちの「神頼み」というのは、神様からしてみれば、そんなことを頼まれてもなあ、という頼み事であるような気がするのだ。

この商店主の願い事にしても、お金が儲かるように、と言われても、金というのは人間の発明品である。福徳や食物をつかさどる大黒様であっても、さすがに貨幣は管轄外だろう。まして、試験の合格や、出世昇進、さらには馬が来るなどという人間社会のあれこれに、どうして神様が「力」を貸すことができるだろう。大黒様に現金の持ち合わせがないのが当然なように、神様は採点もしないし、コネもないにちがいない。

しかも、自分を頼ってくれる信者の幸福は願ってくれるかもしれないが、昇進によって彼の心労が募り、逆にそれをきっかけに、彼の毎日が苦しいものになるかもしれないのに、大黒様にせよ神様にせよ、そんな願いを聞き届けるわけにはいかないだろう。

仮に、未だ起こってもいないことを、神様は見通せるとしても、だからこそ逆に、みだりに願い事など聞けないにちがいない。その願いが「どういうなるか」、神頼みする側はわかって頼んでいるわけではないのだから。

そんなことを考えてみれば、神頼みしたくなったとき、一度、考えておいたほうがいい。こんな願い事をして、神様を困らせているんじゃないだろうか、と。
星新一の話に出てくる大黒様は、どれだけ困っても、一生懸命助けてくれようとしたのだが、そんな親切な神様ばかりではないかもしれないし。