陰陽師的日常

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スコット・フィッツジェラルド「生意気な少年」

2010-11-28 23:22:09 | 翻訳
このところ忙しかったのですが、一山越えたので、今日からまた再開していきます。
今日からFitzgeraldの短編"The Freshest Boy" の翻訳をやっていきます。この作品はフィッツジェラルドの初期の短編で、自伝的要素の濃いBasilシリーズのひとつです。
フィッツジェラルドの分身を思わせるような少年ベイジル・リーが、故郷を離れ、東部の寄宿学校の一員となります。
一週間ぐらいで訳していきますので、まとめて読みたい方はそのくらいにのぞいてみてください。
原文はhttp://gutenberg.net.au/fsf/BASIL-THE-FRESHEST-BOY.htmlで読むことができます。


* * *

The Freshest Boy(「生意気な少年」)


By F. Scott Fitzgerald


I


 深夜、ブロードウェイの隠れレストランには、華やかでミステリアスな社交界の面々や暗黒街の顔役、さらにその手下どもがつどっていた。ついさきほどまでは、シャンパンがひっきりなしにグラスに注がれ、若い女は浮かれてテーブルの上で踊りだす始末だったというのに、いまやひとり残らず押し黙り、息もつけずにいる。目という目が、仮面をつけ、燕尾服にオペラハットという瀟洒ないでたちで戸口に平然と立つ男に釘付けにされていたのである。

「お動きにならぬよう」という声からうかがえるのは、育ちの良さや教養ばかりでなく、鋼のように冷徹な響きがあった。「私が手にしているこいつに――ものを言わせる羽目になりましょう」

 彼はテーブルからテーブルへと目を走らせた――貴賓席にいる青ざめ、陰気な男の敵意に満ちた顔から、ヘザリー――某大国の超一流スパイ――へと移り、そこから視線は、いくばくか長く、またいくばくか優しすぎるものとなって、一箇所に留まった。その先には、黒髪で、暗く悲しげなまなざしの娘がひとり、テーブルを占めている。

「私の目的は達せられました。そこで今度はみなさんに、わたしが誰か教えてさしあげましょう」向けられた目に、一斉に期待の色が宿った。黒い瞳の娘の胸がかすかに波打ち、フランス香水のあえかな香りが流れた。

「私こそ誰あろう、かの謎に包まれた男、ベイジル・リーであります。通称『影』とは私のこと」

 ぴたりと頭に合ったオペラハットを取ると、皮肉めいたしぐさで深々と一礼する。かと思うと閃光のごとくにすばやく身を翻し、夜の闇に紛れてしまった……。




……「ニューヨークに行けるのは月に一度だけだ」ルイス・クラムが話していた。「おまけにそのときは先生に連れて行ってもらわなきゃならないんだ」

 ベイジル・リーは寝ぼけまなこを、インディアナ州の田園地帯に点在する納屋や看板から引き剥がして、ブロードウェイ特急の内部へ移した。飛びすさる電柱にかけられた催眠術から覚めた先には、向かいの座席の白いカバーを背にしたルイス・クラムの鈍い顔があった。

「ニューヨークに着いたら、先生なんてすぐにまいてやる」ベイジルは言った。

「おまえならやりかねないな」

「絶対そうするさ」

「やってみりゃどうなるか、そのうちわかるさ」

「君はそのうちわかるっていつも言うけど、ルイス、それってどういう意味だよ。何がそのうちわかるんだ?」

 ベイジルの生き生きとした藍色の瞳に、うんざりしたような色が浮かび、相手にじっと注がれた。ふたりのあいだには共通点などほとんどなかった。共に十五歳であることと、ふたりの父親が終生変わらぬ友情を誓い合ったこと――いまとなってはほとんど意味をなしていない誓いではあったが――ぐらいだ。そんなふたりが、中西部の同じ町から同じ東部の学校に、ベイジルは新入生、ルイスは二年生として、向かっているところなのである。

 だが、昔から言われてきたこととは裏腹に、先輩ルイスが惨めったらしい顔をしているのに対して、新入生のベイジルは元気一杯である。ルイスは学校が嫌いだった。なにしろ強く暖かい母親の励ましに頼り切って大きくなったせいで、その母親から遠くなるにつれ、気持ちがくじけ、ホームシックの思いが募るばかりだったのである。

一方、ベイジルはというと、これまで寄宿学校生活にまつわる話を夢中になって読んだり聞いたりしてきたおかげで、ホームシックどころか、勝手知ったる世界を前に、高まる期待に胸を一杯にしていた。実際、昨夜ミルウォーキーで、さしたる理由もないまま、ルイスのクシを汽車から投げ捨てたのも、荒っぽい伝統に従っただけ、むしろふさわしいことをしたぐらいの気持ちだったのだ。

 ルイスにしてみれば、何も知らないくせに勢いこんでいるベイジルがやりきれなかった――そこで半ば無意識に相手の気勢をそごうとして、結局、双方が相手に対するいらだちを募らせることになってしまったのだった。

「そのうち何がわかるか教えてやろう」と言うと、ルイスは不吉な予言を口にした。「おまえはタバコを吸ってるところをとっつかまって、外出禁止を喰らうんだ」

「そんなことあるもんか。だってぼくはタバコなんて吸わないもの。フットボールの練習をするんだ」

「フットボールだって? ハハ、そりゃ良かったな、フットボールとはね」

「おいおい、ルイス、君に好きなものなんてあるのかい?」

「フットボールなんか好きなわけないじゃないか。やられた上に、目玉に一発喰らうだなんて、まっぴらごめんだね」

ルイスは挑発的な言葉を返した。というのも、彼が小心なところを見せるたび、母親は、ほんとにあなたは常識をちゃんとわきまえているのね、と褒めたたえてきたからなのだ。ところがベイジルの返答は、そもそも相手を思いやったつもりだったのだが、実際のところは生涯の敵を作ることになった。

「君だってフットボールをすれば、もっと学校で人気者になれるよ」――と、偉そうに言ってしまったのである。

 ルイスは自分が人気がないとは思ったことがなかった。だからフットボールで人気が出るなどと、考えたこともなかったのだ。だからその言葉にひどく驚いた。

「覚えてろ!」腹を立てたルイスは怒鳴った。「そんな生意気な態度なんか、学校でたたき直されるんだからな」

「黙れ」ベイジルはつとめて冷静を装って、初めてはいた長ズボンの折り目を引っぱりながら言った。「いいかげんにしろよ」




(この項つづく)




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