陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

「ほんとうのわたし」はどこにいる

2010-11-22 23:35:06 | weblog
高校時代、クラスに体の大きな女の子がいた。身長も高いが横幅もある。歩く姿は「のっしのっし」という擬態語がふさわしく、十代にしてその恰幅は「肝っ玉母さん」という雰囲気で、実際「ママ」と呼ばれていた。

勉強もそこそこできるし、面倒見が良い。話を親身に聞いてくれるし、ケンカをしている子の仲裁も買って出てくれる。そんなことで、彼女を頼るクラスメイトも多かった。先生も、何かと厄介な年代の女の子たちを束ねる役割は、彼女に委ねていたように思う。年は同じでも、わたしたちなどよりはるかにしっかりしている感じの子だった。

やがてわたしたちはそろって高校を卒業し、それぞれに別れて大学に進んだ。そこからさらに数年が過ぎたころ、偶然、駅で彼女と出くわしたのである。

向こうから声をかけられても、誰かわからない。やがて、コントラルトの深い声に反応して、「まさか、ママ?」と本名を思い出す間もなく、聞いてしまった。
「そうよ、わたしよ。変わったでしょう」

一体、何キロほど落としたのだろう、姿かたちが変わっていただけでなく、全体から受ける印象がまるでちがうのだ。すっきりと細い体とちょっときつめの顔立ちには、細い体の線を強調する当時流行っていたボディコンシャスのスーツがよく似合った。十代の頃の、どちらかといえばおばさんくさかった当時の面影など、どこにもないのだった。

「もともとキレイだったんだねえ。ごめんね、全然気がつかなかった。ダイエットしたんだ?」
そうわたしが言うと、そうよぉ、大変だったんだから、と少し誇らしげに答えた。だけどね、ほんと、周りの態度が百パーセントちがうの、という。

それを聞いて、てっきりわたしは男の子の態度だとばかり思って、モテモテなんだ、と言うと、ちがうの、そういうことじゃないの、という。男の子なんかに最初から相手してもらえるとは思ってなかったから、男の子から「アウトオブ眼中」みたいな態度を取られることは平気だったの。でもね、みんなから「おっかさん」扱いされるのが、ほんとうに負担だったのだ、と。

最初はそんな役が割り振られたことも、かえってうれしかったの。太ってたから、からかわれたりするんじゃないかってビクビクだったのね。でも、みんなが「ママ」「ママ」って頼ってくれて。

でも、わたし、最初は気がつかなかったんだけど、そんなに包容力があったわけじゃないのね。だんだんそれが辛くなってきて。だけど、やーめた、なんて言えるわけもないじゃない、だから最後の頃は、もう大変だったの。何とか、誰もわたしのことを知らないところへ行って、全部やり直そうって必死だった。ダイエットのきつさも、そのときのことを思ったら、何でもなかったんだ。

それが、痩せたら誰もわたしのことを「ママ」なんて呼ばないのね。ああ、自分らしく生きるって、こんなにラクだったのか、って、つくづく思ったんだ。

やがてわたしの乗る予定の電車がホームに入ってきて、反対方向へ向かう彼女とはそれっきり別れてしまった。それから何度か年賀状のやりとりもしたような気もするが、それからどうなったのかはよく覚えていない。

わたしたちはたいていのとき、「自分はこんな人間だ」という漠然としたイメージを持っている。だが、そのイメージは果たしてどこから来たのだろうか。

たとえば、「自分は神経質だ」というセルフイメージも、そもそも発端は「メガネをかけていて、痩せて色が白い」というところから来た、周囲の印象かもしれない。そんなふうに、周囲が「神経質そうな人」という目で見、「神経質な人」という役割を割り振られ、「神経質な応対」を期待されるうちに、いつの間にか、自分自身が自分をそういう「役割」として見るようになっていった、ということはないだろうか。

クラスメイトの例にもあるように、ある役を振られて、それを自分がさほど受け入れがたいというわけでもなければ、わたしたちは何となくそれを受け入れてしまうのかもしれない。そんな役割に沿って、自分を理解し、周りが期待する反応を示しているのかもしれない。

だが、彼女は、いつもいつも相談を持ちかけられ、自分だって話したいことがあったとしても、一方的に聞き役に回らなければならなかったり、誰からも同じ立場として見てもらえず、それどころか土俵の外に置かれ、決まった役割を唯々諾々と演じることに疑問が生じたのだ。

そこから、新しい自分の役割を、手探りで創り出そうとしていったのだろう。彼女の場合は、わたしが会ったときは、リセットがうまくいったようだった。それ以降、どうなったのか、いまごろになって彼女を思い出すのだ。

「ママ」と呼ばれるにふさわしい年代になって、彼女はいまごろ「ママ」と呼ばれているのだろうか、と。


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