陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

自分も関係者だったのかもしれない(※一部補筆)

2010-11-05 23:31:13 | weblog
学生時代、中学生の塾の先生をやっていた頃の話だ。

塾が終わる時間になると、自分が通っているわけでもないのに、友だちを迎えにやってくる中学生の女の子がいた。夜も八時を過ぎた時間である。一緒に遊ぶには遅すぎるし、その子の家族は何も言わないのだろうか、と気になって、二度目か三度目にやってきたとき、聞いてみた。

「お父さんもお母さんも家にいたはらへんからな、A子んとこへ行って、晩ご飯食べさせてもらうねん」

授業を終え、帰り支度をすませて教室から出てきたA子も、迎えの子に向かって、お待たせー、と言ってから「そうやねん、先生。この子な、うちのところで晩ご飯、食べていかはんねん」と言い、ふたり仲良く帰っていった。

漠然と、親戚か何かだろうと思っていたのだが、ほかの講師や塾の主事によると、ふたりはまるで赤の他人、単なる学校友だちというだけらしい。迎えに来る子の方は、家に事情があり、ほったらかしにされている、いまで言うところの「ネグレクト」に当たるような状況の子であるようだった。当時の感覚でいうと、それをたちまち「児童虐待」と結びつけて問題にするようなことはなかったが、それでも異常な事態にはちがいない。主事は、とりあえず中学には伝えているんだ、とは言っていた。学校の方も、事情は察しているが、家庭内部の問題ではあるし、手を出しかねていたらしい。

そう思って見れば、身なりが気になる年頃の女の子だというのに、髪の毛もぼさぼさで、ひどく汚れている。制服のまま迎えに来ることも多いのだが、スカートのすそがほつれて、一部垂れ下がっていたり、冬のさなかに、上着も着ず、靴下もはいていないことさえあった。

塾生のA子の家では、その子に晩ご飯を食べさせてやるばかりか、お風呂に入れてやったり、泊まらせてやったりもしているらしい。垂れ下がっていたスカートが、つぎに見たときちゃんと直っていたのは、A子のお母さんが繕ってあげたのだろう。

親としてみれば迷惑な話だろうが、かといってかわいそうな子を閉め出すわけにもいかない、というところだったのかもしれなかった。何にせよ、自分の子でもない、よその子に、ご飯を振る舞い、制服を繕ってあげるなど、なかなかできることではあるまいに、A子のお母さんはずいぶん立派な人のようだった。

一度、その子が少し早い時間に、まだー?、と教室をのぞきに来たことがある。
雨が降っていたか、ひどく寒い日だったのかもしれない。いつも外で待っているのが、その日はそれも辛かったのだろう。たまたまその日は塾の主事が留守で、わたしたちバイトしかいなかったので、その子に席を与えてやり、ついでに紙とエンピツも渡した。ところが彼女には、やっている授業などおよそチンプンカンプンだったらしく、すぐに紙にマンガを書き始めた。おそらく学校でも授業中はいつもそんなふうに過ごしているのだろう。

そのときだったか、別のときだったか、その子の家の事情を少しだけ聞いたことがある。両親が離婚し、自分がついていった母親が、再婚したか、もうじき再婚しようとしているらしい。だから母親はしょっちゅう家を空け、実の父親がときおり様子を見に来るらしかった。

講師の中には、もう14歳なんだから、自分でご飯ぐらい炊けるだろうに、という人もいた。親が何もしてくれなくても、髪の毛を洗ったり、洗濯することぐらい、できるはずなのに、と。

だがそれまで、きちんとした生活、というものを経験したことのない子だったら、どうだろう。そもそもお腹が空いたらご飯を炊く、というまっとうな生活の経験もないかもしれないのだ。ご飯を炊くこと、体を清潔に保つこと、ある時間を過ぎたら、子供は外をふらふら出歩かないこと……、そうした基本的な生活習慣は、親が保護し、教えることによってしか、子供の身につけることはできない。それがいきなり、14歳だから、できるはず、と言われても、無理な話にちがいない。

日本のラップでは、親と仲間をリスペクト、という歌詞が主流であるというのを、何かで読んだことがあるのだが、ほんとうだろうか。まあ、ラップを不良の音楽と考えるのもおかしいのかもしれないが、昔の不良はまちがってもそんなことは言わなかった。親に説教でもされたことなら、「だれがオレを生んでくれと頼んだ」と逆ギレ(という言葉も当時はなかったが)したらしい。身近に不良がいなかったわたしは、実際には聞いたことがないのだが、ともかく当時はそういうことになっていた。

彼女のことを見ながら、「だれがオレを生んでくれと頼んだ」と親に向かってすごんでみせることができる子は、どれほど幸せだろう、と思ったものだ。どれだけ親に恨みつらみがあろうと、とりあえず自分が文句を言える相手が目の前にいてくれ、自分の批判を受けとめてくれるのだから。

だが、彼女こそ、「わたしを生んでくれといつ頼んだ」と文句を言って良いだろう。子供の面倒をちっとも見ず、親切な他人に押しつけるようなことをするような人間が、いったい何を考えて子供を作る気になったのか。だが、そう言おうにも、彼女の場合、親は近くにいないのだった。

当時、わたしは、人が人に関わるというのは、どういうことだろう、と考えていたような気がする。その子にどこまで関わっていいのか。何をすべきなのか。そんなことを考えながら、実際にはほとんど何もしなかった。A子が三年になり、受験が近づいてくると、いつの間にかその子の姿を見ることもなくなっていた。あの子はどうしているだろう、と、A子が帰っていく背を見送りながら、思わないときはなかったのに。

何か、自分も「ネグレクト」のはじっこにいるような気が、あれから十年以上経ったいまでもしているのだ。