陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

携帯が登場する前

2009-12-18 23:44:37 | weblog
そのうち「携帯がなかったころは、待ち合わせをしていても急な出来事のために会えないこともあった」というのが、「おばあさんの昔話」になってしまう時代が来るのだろう。そうなると、たとえば昔の映画に出てくるようなショット、待っている男のところへ、女が走ってきて、「ごめんなさい、待った?」と聞いて、男が「いや、オレもいま来たところ」、その瞬間、男の足下に散らばる煙草の吸い殻のクローズアップ……という場面も、いったい何を意味しているのかわからなくなるにちがいない。

急な事故で電車が遅れる、というアナウンスでもあれば、いまならホームに待っている乗客は一斉に携帯電話を取り出すが、昔はホームに並んでいる数台の公衆電話には、長蛇の列ができた。

事故ばかりではない。雨が降れば、傘を頼む行列ができたし、時間によっては塾帰りの小学生が並ぶこともあった。

一度、そこでケンカが始まったことがある。冬のオーバーを着て、白いマフラーを巻いていた記憶があるので、たぶん雪が降って電車が遅れ、家にそのことを知らせようと電話を待っていたのだろう。隣の列の先頭で電話をかけている人が、いつまでたっても話し終わらない。ほかの列はつぎつぎ人が入れ替わっていくのに、そこだけはいつまでたっても先へ進まないのに苛立った人が、後ろの方から「いい加減にしろ」と怒鳴ったのだ。それに呼応する人もいて、あたりは騒然となった。話をしている人は、背を向けていたからしばらくはほんとうに気がつかなかったのだろうが、あとは意地になって話し続けていたのかもしれない。ともかく、肩をつかまれて振り向かされたのに対して、腕をを振り回してその手を払った。後ろの人は、それにカッとして、手を伸ばすと勝手に電話を切ったのだ。そこからもみ合いが始まったのだと思う。見ていた小学生のわたしは、怖くなって脚が震えた。たぶん、駅員さんが仲裁に入ったのだろうが、そこから先、どうなったかは覚えていない。

そのころ、駅ばかりではなく、塾の前にある電話ボックス(ああ、この単語を打つのもほんとうにひさしぶりだ)からも、家によく電話をかけた。ここでは駅とちがって、すぐに切るというような不文律もなく、十円玉を高々と積んで長電話をかけている人が外から見えることもあった。電話ボックスの前でそこが空くのを待っていると、中から女の人が顔を出してきて「ちょっと長くなるからよそへ行って」と言われたこともある。そんなときにはそこから十分ほど歩いた先にある、タバコ屋のカウンターの端に置いてあるピンク電話にかけに行ったものだ。

電話をかけながら、泣いていた人を見たこともある。
若い女の人が、受話器に向かってむせび泣いていた。泣きながら、十円玉を入れ、泣くだけで何も言わず、さらにまた十円玉を入れる。周囲に見ている人間もいるのに、どっぷり自分の悲しみに浸っている人を見ながら、いったいどんな話をしているのだろうと思ったものだった。周りが見えなくなるほどの悲しみだから、よほどのことにちがいない、と。


今日も電車のなかで声高に話をしている人を見かけたが、いまでは「周りが見えなくなるほど」のバーがずいぶん下がってきたのだろうか。


待っている時間

2009-12-17 22:56:42 | weblog
先日、梅田の地下街を歩いていたときのこと。
デパートを取り巻くように、長蛇の列ができている。またバウムクーヘンか何かの行列なのだろうと、横目で見ながら歩いていたら、前を歩いている二人連れの話し声が聞こえてきた。制服らしい、そろいのパンツスーツで颯爽と歩いている。

「××のラスクなら、ネットで買えるのに」
「暇なんやろね。二時間待ちやてよ」

ふたりはわざわざ並んでいる人を、鼻で笑うかのように話していたのだが、わたしはそれより何より、ラスクというと、あのパンの端っこを揚げたやつ? と考えると、変な気がして仕方がなかった。きっとわたしが思っている「ラスク」と、二時間待って買う「ラスク」は、全然ちがうものなのだろうが。

ただ、行列の人たちを見ると、ほとんどが女性の二人連れないしは数人のグループで、携帯を開いている人もいるにはいたが、おしゃべりしながら楽しそうで、必ずしも「待っている」とは思っていないのかもしれない、という気がした。

ネットで買うのは、ただの買い物。
並んで買うのは、イヴェント。
結局、そういうことなのかもしれない。

行列ができているのを見ることは、めずらしいことではない。プレイガイドの前や、評判の高い店の前。折りたたみの持ち運びできるような椅子を持ってきている人もいるし、ずっと携帯でメールしていれば、待っていようが何であろうが一緒なのかもしれない。
こういう光景を見ていれば、多くの人は待つことが平気なのだろうと思う。

だが、こうした行列ではなく人を待つ機会は、携帯の普及でずいぶん減ってきたように思う。『宵待草』の歌ではないけれど、「待てどくらせど 来ぬ人を」待ったりせずに、電話をかけて、あとどのくらい自分が待たなければならないのかを確かめるのではあるまいか。

その昔、しつこいぐらいすれちがうふたりの恋の行方を描いた『君の名は』は、大変な人気を博した。だが、携帯で連絡を取り合えれば、すれちがうこともない。映画の『めぐり逢い』も『めぐり逢えたら』も携帯がある時代には成立しない。

いまなら人は、何分ぐらい待てるのだろう。そもそも「待ち合わせ」の内容が、「待つ」ことから「アレンジメント」に変わっていっている。

ただ、人を待っている時間というのは、店に入る行列に並んでいるのが、ただひたすら「入る」という目的を達するまでの時間であるのに対し、それだけではないのかもしれない。特に、来るか来ないかも定かではない人を待っているあいだというのは、その相手に対する自分の思いを確かめる時間でもあるのだろう。

こんなふうに考えていくと、携帯のない時代の待つ時間に一番近いのが、メールの返事を待つ時間なのかも知れない。


更新のお知らせとちょっとひとこと

2009-12-16 23:19:54 | weblog
カポーティの『クリスマスの思い出』についての更新情報も書きました。
ちょっとあとがきとはちがうことを書いてます。
興味のある方は、また読んでみてください。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html



ところで、岩村暢子の『変わる家族 変わる食卓―真実に破壊されるマーケティング常識』のなかに、クリスマスというのは、現代の家族では大きなイヴェントであることがあげられていた。お正月がふだんの休日のような扱いになっていくのに対し、クリスマスには飾り付けをしたり、ホーム・パーティを開いたり。そうして高校生ぐらいの子供に対しても、まだ彼らがサンタクロースを信じているかのように、プレゼントを枕元に置いているという家庭も紹介されていた。

そう言われてみれば、「サンタクロースはほんとにいるんだ」という大人たちが、なんだか目につく。

別にサンタクロースがいてもいいのだが、信じてもいないのに信じるふりをする、というのは、何となく、気持ち悪くないか?

「クリスマスの精神」という言葉がある。平和と愛と善意のことだ。サンタクロースというのは、その象徴なのである。サンタクロースを信じるということは、平和と愛と善意を信じるということだ。一年中、その精神を実践することはむずかしくても、せめて、その日だけでもそれを実践しよう。そのために、プレゼントの交換も行うのだ。

その精神を抜きにしたサンタクロースって、いったい何なんだろう。

カポーティの短篇に出てくる「友だち」とバディが、互いに「相手にとって必要な、すばらしいプレゼント」を願いながら、その代わりに凧をプレゼントし合う場面は、とてもステキだ。けれど、凧よりなによりステキなのは、そんな交換がし合える関係を、人と築けるということだ。

どっぷりと商業主義の世界のなかにいるわたしたちだけれど、それでも人に何かを贈ることは楽しい。何がいいだろう、と頭を悩ませる。

プレゼントを贈って楽しいということは、誰かのことを考えるのが楽しいのだ。誰かのことを自分以上に大切に思う気持は、確かにクリスマスの精神と言えそうだ。

あなたは何を贈ります?


サイト更新しました

2009-12-15 23:05:01 | weblog
先日までここで連載していたトルーマン・カポーティの「クリスマスの思い出」の翻訳をサイトにアップしました。

ほんとは一昨日、アップするはずだったんです。
ところが、ところがです。ほぼ完成していたページの上に、つい「画像」を上書きしてしまったのです(汗)。

あのページは電子の海に飲み込まれてしまいました。

ええ。
全部やり直しました。ブログで訳した段階から、せっせと直しました。
何か、どーっと疲れました。

"what's new"も半分くらい書いたのですが、どうもうまくいかないので、今日はやめ、また明日にはアップできるかと思います。

またお暇なときにでも、遊びにきてください。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

失われたものはほんとうに失われたのか

2009-12-12 23:19:17 | weblog
いまカポーティの「クリスマスの思い出」に手を入れているところだ。

マーガレット・ミラーが、この作品と「おじいさんの思い出」を読むたびに泣いてしまう、と話していたのをどこかで読んだことがあるのだが、それもわかるような気がする。これはともに、失われた物語だから読者は泣いてしまうのだ。誰もが「喪失感」については知っている。二歳くらいの子が自分が握っていた葉っぱを川に流したあとで、手の中にもはやそれがないことに気がついて、その喪失感に、身も世もないほど悲しむのを見たことがあるが、「自分がそれまで持っていたものが失われた」という感覚はそれくらい、人間が幼いうちから備えているものなのだろう。

これまたあやふやな記憶のままで書いてしまうのだけれど、確か『誕生日の子どもたち』の翻訳をした村上春樹は、同書の末尾で、ここで失われるものはイノセンスだ、といったことを書いていた。

ここまで書いて、自分がどこかで引用していたことを思い出した。検索してみると、「あなたのなかの子供」だ(グーグルって便利だ)。

このときに引用した部分をもう一度、引っ張ってくる。
 言うまでもないことだが、一般の人間(僕や、たぶんあなた)は人生のある時点に差し掛かると、多かれ少なかれイノセントな世界と訣別することを余儀なくされる。そうしないことには次の段階に進むことができないからだ。人は幼児から少年や少女になり、十代のアドレッセンスの時期をくぐり抜け、やがて大人の世界=世間に入っていく。年を重ねるにつれて社会人としての責任をより多く引き受け、その役割や分担を果たすようになる。そのたびに我々の価値観はシフトし、視野は更新されていく。もちろんそこには一連の通過儀礼があり、哀しみがあり、痛みがある。しかしひとびとは導きと学習によってそのプロセスを受け入れていく。そして「無垢なる世界」は過去の、もう戻ることのない楽園としてぼんやりと記憶されるだけのものになっていく。そのプロセスが――好むと好まざるとにかかわらず――一般的には「成長」と呼ばれる。
(村上春樹 「訳者あとがき」トルーマン・カポーティ『誕生日の子どもたち』文藝春秋社)

この本文を書いたときにも、「はたしてそうなのだろうか。」という文章をわたしはこのあとに続けているが、やはり同じことを思う。ただ、この「あなたのなかの子供」という文章を書いたときは、「子供のうちに「無垢」を見るのは、子供が無垢だからではなく、自分がもう子供に戻れないからだ。」ということが頭にあったのだけれど、いま思うのは、果たして「イノセンス」なんてものがどこかにあるのだろうか、ということだ。

語り手は二十数年後、七歳の自分が過ごした最後の幸せなクリスマスのことを振り返っている。自分の幸せな時代が「ぼくの友だち」と暮らしていた家から引き離されたときに終わってしまった、と感じる語り手は、最後のクリスマスの一連の出来事を、事細かに思い出す。

七歳のときの出来事をこれほどまでに覚えていることが可能かどうか、ということを問題にしているのではない。家から離れたのちに繰りかえし、繰りかえし、そのときのことを思い返していれば、さらには何かに書きとめたり、人に語って聞かせたり、あるいは逆に聞かされたりしていれば、かなり小さい時期の出来事であろうとも、相当、しっかりとした記憶を大人になっても持っていることは可能だ。

けれども、こうやって繰りかえし思い返すことによって確かなものとなっていく「記憶」が、「捏造」ではないと、どうして言えるのだろう。

語り手は、「このときまでの自分は幸せだった」という前提のもと、これらの出来事を振り返っている。「いまの自分は幸せではないが、それは自分がその場所を離れたときに失われてしまったからだ」という前提に立っている、といってもいい。

だが、よく考えてみると、「このときまでの自分は幸せだった」ことを保証するのは、いまは「失われてしまった」ということなのである。失われてしまったものを数え上げることによって、あの頃自分が持っていたものが保証され、「あの頃の自分が幸せだった」ということが保証されていく、という構造になっているのだ。

ほんとうは幸せだったのだろうか、というと、不幸だったのかもしれない、と考えていると思われそうだが、そういうことがいいたいのではないのだ。
幸福だとか、不幸だとか、イノセンスだとか、そんなものが実在するのか、ということが言いたいのだ。

イノセンスが過去のある時期にあったと保証するために、「いまはそれが失われてしまった」と言っているだけではないのか。
過去のある時期、自分が確かに幸せだったことを保証するために、「いまはそれが失われてしまった」と言っているだけではないのか。

過去とは、何かがそこにあったことを保証するために、つまり、いま現在の自分を成り立たせるために、そこにあるわけではないだろう。過去が「現在」としてあったときというのは、幸せでも不幸せでもなく、イノセンスでも不純でもなく、そもそもそのような尺度の存在しない生として生きられていたのではないのか。

そうして、わたしたちはどうしても過去を現在から解釈してしまうのだが、そうすることで、過去をねじ曲げ、記憶を捏造しているのだろう。

とまあ、そんなことを考えてしまったのである。


トルーマン・カポーティ「クリスマスの思い出」最終回

2009-12-10 22:56:15 | 翻訳
最終回


 これがぼくたちが一緒に過ごした最後のクリスマスだ。

 世間がぼくたちを引き裂く。心得顔の連中が、ぼくを陸軍学校に入れることにしたのだ。そこから続くのは、軍隊ラッパの鳴り響く監獄と、情け容赦のない起床ラッパにたたき起こされるサマーキャンプが続く、悲惨な日々が始まる。新しい家もできた。だが、そんなものは家などではないのだ。家とはぼくの友だちがいるところ。そしてぼくがもはや行くことのないところ。

 そこに彼女は残り、台所をあてもなくうろうろとしている。ひとりきりで、クィーニーと一緒に。やがて、ほんとうにひとりぼっちになってしまう(「親愛なる相棒へ」と彼女がへたくそな読みにくい字で手紙を書いてくる。「きのう、ジム・メイシーの馬がクィーニーを強く蹴りました。ありがたいことに、クィーニーは長いこと苦しまずにすみました。わたしは上等のリネンシーツにあの子をくるんでから、荷車に乗せて、シンプソンの牧草地まで運んで、あの子が埋めた骨と一緒にいられるように……」)。それから十一月が来るたびに、彼女はひとりでフルーツケーキを焼くことが、何年か続く。多くはないが、何本かは。もちろん、彼女がぼくに送ってくれるのは「いちばんうまく焼けたやつ」だ。そうして、手紙のなかにはかならずトイレット・ペーパーにしっかりくるんだ十セント玉が入っている。「映画を観て、その話を教えてください」と。だが、しだいに彼女の手紙は脈絡を欠いてきて、ぼくともうひとりの友だちとを混同するようになる。もう一人の相棒、1880年代に亡くなった人だ。だんだん、十三日以外にも彼女がベッドから起きて来ない日が増える。そして、十一月のある朝が来る。木々の葉もすっかり落ち、鳥の姿もない、冬の気配のたちこめる朝だ。だが、彼女が身を起こし、「おやまあ、フルーツケーキ日和だねぇ」と叫ぶことはもうない。

 そうしてそのことが起こったとき、ぼくはそれがわかる。知らせが来ても、それをただ裏づけるだけだ。表には現れない絆を通じて、すでに知っていたのだから。そのことは、ぼくのかけがえのない部分を切り離してしまう。まるで糸の切れた凧のように虚空へ飛んでいってしまう。今日、この十二月の朝、ぼくが校庭を歩きながら、ずっと空を見ているのはそのためだ。ハートの形をした、ペアの迷子の凧が、天国に向かって急ぐのが見えないかと思って。



The End




(※後日手を入れてサイトにアップします。お楽しみに)


トルーマン・カポーティ「クリスマスの思い出」その9.

2009-12-09 23:07:34 | 翻訳
その9.

ぼくの友だちはわざと台所の床にやかんを落とす。ぼくは閉まったままのドアの前でタップダンスを踊る。家の人たちが、ひとり、またひとりと起きてきて、ぼくたちを殺してやりたい、という目でにらみつける。だが、クリスマスにそんなことができるはずがない。

まずは豪華な朝食だ。朝食という言葉で想像しうるものすべてがそろっている。パンケーキから、リスのフライ、ひき割りトウモロコシに巣に入ったままの蜂蜜まで。そのおかげでみんながご機嫌になるが、ぼくの友だちとぼくはそうではない。ほんとうのところ、ぼくたちはプレゼントのところへ行きたくてたまらず、一口だって食べられそうにないのだ。

 でも、ぼくはがっかりする。がっかりしない人がいるだろうか。靴下、日曜学校に着ていくシャツ、ハンカチが数枚、おさがりのセーター、子供向け宗教雑誌「小さき羊飼い」の一年分。見ているうちにむかっ腹がたってくる。まったく言葉通りに。

 友だちの手に入れたものの方が、まだましだ。温州みかんひとふくろが、もらった中では一番よさげなプレゼントだが、彼女は嫁いでいる妹から贈られてきた手編みの白いウールのショールに鼻高々だ。でも、なんたってあたしがもらった中で一番のお気に入りは、おまえが作ってくれた凧だよ、と彼女は言う。だってとってもきれいじゃないか。だが、彼女がぼくに作ってくれた凧は、さらに美しい。青で、善い行いをしたご褒美の金と緑の星がちりばめられている。なによりすてきなのは、ぼくの名前が書き込んであることだ。「相棒」と。

「相棒、風が吹いてるよ」

 風が吹いているとなると、何をおいても家から下ったところにある牧草地へ走って行かなければならない。そこへはクィーニーが先に来ていて、もらった骨を埋めている(そうしてつぎの冬には、クィーニー自身がそこに埋められることになる)。威勢よく生い茂って腰まで伸びた草のあいだを突き進みながら、ぼくたちは凧の糸を解いてゆく。空を泳ぐ魚がかかったかのように、糸がぴくぴくと引くのを感じる。満ち足り、日の光に暖められて、ぼくたちは草の上に寝っ転がって、みかんの皮をむき、ぼくたちの凧が遊び、たわむれるのを眺める。じきにぼくは靴下も、お下がりのセーターのことも忘れてしまう。幸せだ。もう、コーヒーの名づけコンテストでグランプリを射止め、五万ドルを手に入れてしまったみたいに。

「まあ、あたしはどれほどバカだったんだろうね」ぼくの友だちが、急に驚いたように、ちょうど女の人がオーブンのなかにビスケットを入れていたのを、ずいぶん時間が過ぎてから思い出した女の人のように叫んだ。「あたしがこれまでずっとどんなふうに思ってきたかわかるかい?」何かを見つけたような調子でぼくに聞いてきた顔は、ぼくに向かってほほえみかけているのではなく、ぼくの向こうの何か一点に目をやっている。「あたしはね、これまでずっと、主にお会いしようと思ったら、人間は病気になって死ななくちゃならないものだとばかり思ってたんだよ。そして、主がお姿を現わしたら、バプティスト教会の窓を見ているような感じなんだろうって。色の付いたガラスに、日の光が差しこんでくるみたいにきれいで、あんまりまぶしくって、暗くなってるのにも気がつかない、みたいな。そう考えると、安心できた。その光のおかげで、おっかない気持はどこかへうっちゃられてしまう、って。だけど、そんなことは起こらない、って賭けてもいい。最後の最後に人は悟るんだ。主はずっとお姿をお現しになっておられたんだ、ってね、まちがいないよ。ものごとはすべてあるがままの姿をしているんだって」――彼女の手が、雲も凧も草も、骨を埋めた地面を前脚でかいているクィーニーもひっくるめて、大きな円を描く――「人がずっと目にしてきたものは、どれもみな、主のお姿だったんだよ。今日という日をこの目に収めて、あたしはこのまま死んでもいいよ」

(明日いよいよ最終回)



トルーマン・カポーティ「クリスマスの思い出」その8.

2009-12-08 23:26:41 | 翻訳
その8.

 屋根裏のトランクに入っているもの。靴箱に入った白イタチの尻尾(マントから取れたもので、以前この家に間借りしていた風変わりな女性の持ち物だった)、巻いてあるのはすりきれ、古くなって色が落ち、ただ光っているだけのクリスマス用のモール、銀の星がひとつ、ちぎれかけてかなり危なそうなコードには、キャンディみたいな豆電球がついている。これだけ見るぶんには、なかなかすてきな飾りではあるのだが、どう見ても十分ではない。ぼくの友だちは、「バプテスト教会の窓みたいに」、まるで雪の重みでしなう枝のように飾りつけをいっぱいにして、輝かせたいのだ。

でも、ぼくたちには十五セントもする日本製の豪華な飾りを買うお金がない。だから、いつものようにやることにした。何日も、台所の食卓で、ハサミとクレヨンと色紙の束と格闘する。ぼくがスケッチをして、友だちが切り抜く。ネコがたくさん、魚もたくさん(というのも、描くのが簡単だからだ)、リンゴをふたつ、みっつ、スイカもふたつ、みっつ、同じように羽の生えた天使も。天使は取っておいたハーシー・チョコレートの銀紙で作った。ぼくたちはこうしたかざりを安全ピンで木につけた。仕上げは枝にちりばめたくず綿だ。このために八月から取っておいたのだ。ぼくの友だちはできばえを見渡し、両手を固く組み合わせた。「さあ、正直言って、相棒、食べてしまいたいくらいすばらしい出来じゃないか!」実際にクィーニーは天使を食べようとする。

 ヒイラギにリボンを編みこんで、クリスマスのリースを窓という窓に飾ってから、つぎの仕事は家族全員へのプレゼントだ。女性たちには絞り染めのスカーフ、男性陣にはレモンと甘草とアスピリンのシロップ、これは「風邪の初期症状が出た際、及び、狩りのあと」に服用するものだ。けれども、お互いへのプレゼントを作るときになると、ぼくの友だちとぼくは分かれてこっそり作業にかかる。ぼくが買ってあげたいのは、真珠の柄のナイフと、ラジオと、五百グラム全部、チョコレートコーティングしてあるサクランボ(一度味見したことがあるのだが、以来彼女は繰りかえし、真剣に言っている。「相棒、あたしはあれさえあれば生きていけるよ。主に誓って本当だ。あたしはみだりに主の御名を唱えたりはしないんだけど」)。だけどその代わりに凧を作ってあげる。

彼女はぼくに自転車を買ってやりたいのだ(彼女は何百万回もそう繰りかえした)。「もしあたしに買えるものならね、相棒。ほしいものがあるのにそれなしで生きて行かなきゃならないなんて、人生は辛いよね。だけどそれよりもっとあたしが呪いあれ、って思うのは、あげたいと重うものをあげられないことだ。いつかきっとあたしは手に入れるよ、相棒。おまえのために自転車を手に入れてあげる。どうやってか、は聞かないで。もしかしたら盗んじゃうかもしれないんだから」)。その代わりに、彼女はぼくのために凧をこしらえているのではないか、と考えている。去年もそうだったし、その前の年もそうだった。その前の前の年、ぼくたちはパチンコを交換した。どれもすてきなものばかりだった。というのも、ぼくたちは凧揚げのチャンピオンだったし、船乗りのように風向きを読むことができたのだから。ぼくの友だちは、ぼくよりもさらに上手で、雲がはりついたような風のない日でも凧を天高く泳がせることができるのだ。

 クリスマス・イブの午後には、ぼくたちは五セント、どうにかして工面して、肉屋で毎年恒例のクィーニーへの贈り物を買う。かじるのにもってこいの牛の骨だ。骨は、新聞のマンガページに包んで、ツリーのてっぺんの星のすぐそばに飾っておく。クィーニーはそこにあることを知っている。ツリーの根本に寝そべって、ものほしげな目でツリーを見上げている。ベッドへ行く時間になっても、腰をあげようとしない。ただ、クィーニーがどれほど興奮していたとしても、ぼくだって負けてはいない。ぼくは上掛けを蹴っ飛ばし、枕をひっくりかえす。ちょうど暑苦しい夏の夜みたいに。どこかで雄鶏が鳴き始める。でもそれはまちがい。まだ太陽は地球の反対側にあるのだから。

「相棒、起きたかい?」ぼくの友だちが、隣の部屋から声をかける。つぎの瞬間、ロウソクを手に持って、ぼくのベッドに腰掛けている。「おやおや、あたしときたら、ほんのちょっぴりだって眠れそうにないよ」と彼女はいう。「心臓が野ウサギみたいにぴょんぴょん跳ねてるんだ。相棒、ルーズヴェルト夫人は夕食にあたしたちのケーキを出してくれるかねえ?」

ぼくたちはベッドの上で体を寄せ合い、彼女はぼくの手をぎゅっとにぎりしめる。愛している、というように。「おまえの手も、前はもっとずうっと小さかったのにねえ。おまえが大きくなるのがいやなんだ。大きくなっても、ずっと仲良しでいられるかしらねえ」

ぼくは、ずっと友だちだよ、という。
「だけどね、相棒。あたしはすごく悲しいんだよ。自転車をどれだけおまえのために買ってやりたいか。パパがくれたカメオを売ろうとしたんだよ」――彼女は、まるで恥ずかしがっているかのように口ごもる――「でもね、今年もまた凧を作ったのさ」

そこでぼくも凧を作ったんだ、とうち明ける。それからふたりで大笑いする。ろうそくは手で持っていられないほど短くなってしまった。やがて火が消える。その代わりに星明かりが照らす。星が窓辺でくるくる回転しながら、クリスマスキャロルの歌を、曲の代わりに目で見せてくれる。ゆっくり、ゆっくり、夜明けのしじまのなかで。おそらくぼくたちはうとうとしていたのだろう。それでも最初の日の光が差しこむと、冷たい水を浴びせかけられたように、ぱっと目が覚める。ぼくたちは起き出して、あたりをぶらぶらしながら、ほかの人たちが起きてくるのを待つのだ。

(この項つづく)

トルーマン・カポーティ「クリスマスの思い出」その7.

2009-12-07 23:01:50 | 翻訳
その7.

 確かにそこは海ともいえる。クリスマスツリーが草いきれを放ちながら、見渡す限りに広がっているのだ。赤い実は中国の鐘のように輝き、黒いカラスたちは声高に鳴き交わしながら、つぎつぎに木に舞い降りていく。ぼくたちは何十枚もの窓が飾れるほどの緑の葉と真紅の実を持ってきた南京袋に詰め込んでから、木を選びにかかる。

「木っていうのは」とぼくの友だちは考え深げにいった。「男の子の二倍くらいの丈がなきゃ。そうでなきゃ男の子がてっぺんの星を取っちゃうから」

ぼくたちが選んだのは、ぼくの倍くらいの高さの木だ。しっかりして美しく、頑丈な木に手斧を振り下ろし、三十回ほど重ねたところでとうとう引き裂かれるような悲鳴をあげて倒れる。獲物のように引きずって、ぼくたちは長い帰途につく。数メートル行くごとに、悪戦苦闘をあきらめ、すわりこんで、ぜいぜいと息をあえがせる。だが、ぼくたちは勝利を治めた狩人だから、強いのだ。しかも、生命力にあふれた、氷のように冷たい木の香を嗅いでいると、ぼくたちの元気が湧いてくる。

 夕方、赤土の道を町まで帰っていると、あちこちから何度も賞賛の声をかけられる。だが、ぼくの友だちは通りがかりの人が、ぼくたちの荷車に積んである宝物を褒めても、如才がなく、曖昧な笑みを浮かべるだけだ。これは立派な木だ、どこで取ってきたんです? 「奥の方で」と、くぐもった声で曖昧に言う。一度などは車が停まって、羽振りのいい工場の工場主夫人が、身を乗り出しながら哀れっぽくいった。「その木を25セントで譲ってもらえないかしら」いつもはなかなか断ることができないぼくの友だちも、今度ばかりはきっぱりと首を横に振る。「1ドルでもお断りですよ」工場主婦人も食い下がる。「1ドルですって? なんてこと! 50セントじゃいかが。これ以上はムリよ。ねえ、奥さん、あなたのはまた切りに行けばいいんじゃない?」ぼくの友だちは、角が立たないように答える。「どうでしょうね。この木はまたとないものですからね」

 家だ。クィーニーは火の前に身を沈め、翌日までぐっする眠る。人間に負けないほどの大きないびきをかきながら。


(この項つづく)



トルーマン・カポーティ「クリスマスの思い出」その6.

2009-12-05 23:17:58 | 翻訳
その6.


 彼女は体を起こしてすわり直す。クィーニーはベッドに跳び乗ると(そこにクィーニーが上がることは許されていないのだ)彼女のほっぺたをなめまわす。「どこに行けばほんとにきれいな木が見つかるかわかってるんだよ、相棒。ヒイラギもね。おまえの目玉くらいの大きさの実もついてる。森の奥の方なんだよ。いままで行ったこともないぐらいの。パパはよく、クリスマスツリーをそこから切ってきていたんだ。肩にかついでね。五十年も前のことだけど。そうだ、行くんだね。朝になるのが待ちきれないよ」

 朝がくる。凍った霜が草をきらきらと輝かせている。太陽はオレンジのように丸く、夏の夜の月のようにオレンジ色をしている。地平線の上で釣り合いを取りながら、銀色の冬木立を光らせている野生の七面鳥が鳴く。はぐれた野ブタが下生えを鼻面でつついている。やがて膝ほどの深さで流れの急な川に行き当たって、ぼくたちは荷車を引いていくのをあきらめなければならなくなる。

最初にクィーニーが渡る。流れの速さと、肺炎になりそうな冷たさに不満げに吠えながら、必死で水をかいている。ぼくたちも靴や手回りの品(手斧と麻の袋)を頭の上にのせて、クィーニーのあとを就いていく。まだ一キロ半はある。お仕置きのつもりなのか、棘やイガ、イバラが服に引っかかる。錆びたような色合いの松葉も、けばけばしいキノコや、抜けた鳥の羽であざやかだ。あちらでも、こちらでも、何かがかすめていき、羽ばたく音が聞こえ、激情したような鋭い鳴き声がして、ぼくたちは鳥がみんな南へ渡ったわけではないことがわかる。小道はどこまでも曲がりくねって続き、レモン色の日だまりを通り、穴蔵のようなつたのからまったトンネルを抜ける。渡らなければならない小川がもうひとつ。小さな斑点のついたマスの大群が驚いて、ぼくたちのまわりで盛大な水しぶきをあげる。皿と同じくらい大きなカエルが、腹から飛び込む練習をする。働き者のビーバーはダム建設の真っ最中だ。向こう岸ではクィーニーが体を振って水を吹き飛ばしてから、ぶるぶると震える。ぼくの友だちも体をふるわせている。だが、それは寒いからではなく、興奮しているからだ。彼女が頭を高くして、強い松の匂いを深く吸い込んだとき、帽子のぼろぼろになったバラかざりの花びらが一枚、飛んでいく。「すぐそこだ、おまえも匂いがわかるだろう、相棒」と彼女が言う。まるで、海に近づいているように。

(この項つづく)