陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

更新のお知らせとちょっとひとこと

2009-12-16 23:19:54 | weblog
カポーティの『クリスマスの思い出』についての更新情報も書きました。
ちょっとあとがきとはちがうことを書いてます。
興味のある方は、また読んでみてください。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html



ところで、岩村暢子の『変わる家族 変わる食卓―真実に破壊されるマーケティング常識』のなかに、クリスマスというのは、現代の家族では大きなイヴェントであることがあげられていた。お正月がふだんの休日のような扱いになっていくのに対し、クリスマスには飾り付けをしたり、ホーム・パーティを開いたり。そうして高校生ぐらいの子供に対しても、まだ彼らがサンタクロースを信じているかのように、プレゼントを枕元に置いているという家庭も紹介されていた。

そう言われてみれば、「サンタクロースはほんとにいるんだ」という大人たちが、なんだか目につく。

別にサンタクロースがいてもいいのだが、信じてもいないのに信じるふりをする、というのは、何となく、気持ち悪くないか?

「クリスマスの精神」という言葉がある。平和と愛と善意のことだ。サンタクロースというのは、その象徴なのである。サンタクロースを信じるということは、平和と愛と善意を信じるということだ。一年中、その精神を実践することはむずかしくても、せめて、その日だけでもそれを実践しよう。そのために、プレゼントの交換も行うのだ。

その精神を抜きにしたサンタクロースって、いったい何なんだろう。

カポーティの短篇に出てくる「友だち」とバディが、互いに「相手にとって必要な、すばらしいプレゼント」を願いながら、その代わりに凧をプレゼントし合う場面は、とてもステキだ。けれど、凧よりなによりステキなのは、そんな交換がし合える関係を、人と築けるということだ。

どっぷりと商業主義の世界のなかにいるわたしたちだけれど、それでも人に何かを贈ることは楽しい。何がいいだろう、と頭を悩ませる。

プレゼントを贈って楽しいということは、誰かのことを考えるのが楽しいのだ。誰かのことを自分以上に大切に思う気持は、確かにクリスマスの精神と言えそうだ。

あなたは何を贈ります?


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