陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

携帯が登場する前

2009-12-18 23:44:37 | weblog
そのうち「携帯がなかったころは、待ち合わせをしていても急な出来事のために会えないこともあった」というのが、「おばあさんの昔話」になってしまう時代が来るのだろう。そうなると、たとえば昔の映画に出てくるようなショット、待っている男のところへ、女が走ってきて、「ごめんなさい、待った?」と聞いて、男が「いや、オレもいま来たところ」、その瞬間、男の足下に散らばる煙草の吸い殻のクローズアップ……という場面も、いったい何を意味しているのかわからなくなるにちがいない。

急な事故で電車が遅れる、というアナウンスでもあれば、いまならホームに待っている乗客は一斉に携帯電話を取り出すが、昔はホームに並んでいる数台の公衆電話には、長蛇の列ができた。

事故ばかりではない。雨が降れば、傘を頼む行列ができたし、時間によっては塾帰りの小学生が並ぶこともあった。

一度、そこでケンカが始まったことがある。冬のオーバーを着て、白いマフラーを巻いていた記憶があるので、たぶん雪が降って電車が遅れ、家にそのことを知らせようと電話を待っていたのだろう。隣の列の先頭で電話をかけている人が、いつまでたっても話し終わらない。ほかの列はつぎつぎ人が入れ替わっていくのに、そこだけはいつまでたっても先へ進まないのに苛立った人が、後ろの方から「いい加減にしろ」と怒鳴ったのだ。それに呼応する人もいて、あたりは騒然となった。話をしている人は、背を向けていたからしばらくはほんとうに気がつかなかったのだろうが、あとは意地になって話し続けていたのかもしれない。ともかく、肩をつかまれて振り向かされたのに対して、腕をを振り回してその手を払った。後ろの人は、それにカッとして、手を伸ばすと勝手に電話を切ったのだ。そこからもみ合いが始まったのだと思う。見ていた小学生のわたしは、怖くなって脚が震えた。たぶん、駅員さんが仲裁に入ったのだろうが、そこから先、どうなったかは覚えていない。

そのころ、駅ばかりではなく、塾の前にある電話ボックス(ああ、この単語を打つのもほんとうにひさしぶりだ)からも、家によく電話をかけた。ここでは駅とちがって、すぐに切るというような不文律もなく、十円玉を高々と積んで長電話をかけている人が外から見えることもあった。電話ボックスの前でそこが空くのを待っていると、中から女の人が顔を出してきて「ちょっと長くなるからよそへ行って」と言われたこともある。そんなときにはそこから十分ほど歩いた先にある、タバコ屋のカウンターの端に置いてあるピンク電話にかけに行ったものだ。

電話をかけながら、泣いていた人を見たこともある。
若い女の人が、受話器に向かってむせび泣いていた。泣きながら、十円玉を入れ、泣くだけで何も言わず、さらにまた十円玉を入れる。周囲に見ている人間もいるのに、どっぷり自分の悲しみに浸っている人を見ながら、いったいどんな話をしているのだろうと思ったものだった。周りが見えなくなるほどの悲しみだから、よほどのことにちがいない、と。


今日も電車のなかで声高に話をしている人を見かけたが、いまでは「周りが見えなくなるほど」のバーがずいぶん下がってきたのだろうか。