その8.
屋根裏のトランクに入っているもの。靴箱に入った白イタチの尻尾(マントから取れたもので、以前この家に間借りしていた風変わりな女性の持ち物だった)、巻いてあるのはすりきれ、古くなって色が落ち、ただ光っているだけのクリスマス用のモール、銀の星がひとつ、ちぎれかけてかなり危なそうなコードには、キャンディみたいな豆電球がついている。これだけ見るぶんには、なかなかすてきな飾りではあるのだが、どう見ても十分ではない。ぼくの友だちは、「バプテスト教会の窓みたいに」、まるで雪の重みでしなう枝のように飾りつけをいっぱいにして、輝かせたいのだ。
でも、ぼくたちには十五セントもする日本製の豪華な飾りを買うお金がない。だから、いつものようにやることにした。何日も、台所の食卓で、ハサミとクレヨンと色紙の束と格闘する。ぼくがスケッチをして、友だちが切り抜く。ネコがたくさん、魚もたくさん(というのも、描くのが簡単だからだ)、リンゴをふたつ、みっつ、スイカもふたつ、みっつ、同じように羽の生えた天使も。天使は取っておいたハーシー・チョコレートの銀紙で作った。ぼくたちはこうしたかざりを安全ピンで木につけた。仕上げは枝にちりばめたくず綿だ。このために八月から取っておいたのだ。ぼくの友だちはできばえを見渡し、両手を固く組み合わせた。「さあ、正直言って、相棒、食べてしまいたいくらいすばらしい出来じゃないか!」実際にクィーニーは天使を食べようとする。
ヒイラギにリボンを編みこんで、クリスマスのリースを窓という窓に飾ってから、つぎの仕事は家族全員へのプレゼントだ。女性たちには絞り染めのスカーフ、男性陣にはレモンと甘草とアスピリンのシロップ、これは「風邪の初期症状が出た際、及び、狩りのあと」に服用するものだ。けれども、お互いへのプレゼントを作るときになると、ぼくの友だちとぼくは分かれてこっそり作業にかかる。ぼくが買ってあげたいのは、真珠の柄のナイフと、ラジオと、五百グラム全部、チョコレートコーティングしてあるサクランボ(一度味見したことがあるのだが、以来彼女は繰りかえし、真剣に言っている。「相棒、あたしはあれさえあれば生きていけるよ。主に誓って本当だ。あたしはみだりに主の御名を唱えたりはしないんだけど」)。だけどその代わりに凧を作ってあげる。
彼女はぼくに自転車を買ってやりたいのだ(彼女は何百万回もそう繰りかえした)。「もしあたしに買えるものならね、相棒。ほしいものがあるのにそれなしで生きて行かなきゃならないなんて、人生は辛いよね。だけどそれよりもっとあたしが呪いあれ、って思うのは、あげたいと重うものをあげられないことだ。いつかきっとあたしは手に入れるよ、相棒。おまえのために自転車を手に入れてあげる。どうやってか、は聞かないで。もしかしたら盗んじゃうかもしれないんだから」)。その代わりに、彼女はぼくのために凧をこしらえているのではないか、と考えている。去年もそうだったし、その前の年もそうだった。その前の前の年、ぼくたちはパチンコを交換した。どれもすてきなものばかりだった。というのも、ぼくたちは凧揚げのチャンピオンだったし、船乗りのように風向きを読むことができたのだから。ぼくの友だちは、ぼくよりもさらに上手で、雲がはりついたような風のない日でも凧を天高く泳がせることができるのだ。
クリスマス・イブの午後には、ぼくたちは五セント、どうにかして工面して、肉屋で毎年恒例のクィーニーへの贈り物を買う。かじるのにもってこいの牛の骨だ。骨は、新聞のマンガページに包んで、ツリーのてっぺんの星のすぐそばに飾っておく。クィーニーはそこにあることを知っている。ツリーの根本に寝そべって、ものほしげな目でツリーを見上げている。ベッドへ行く時間になっても、腰をあげようとしない。ただ、クィーニーがどれほど興奮していたとしても、ぼくだって負けてはいない。ぼくは上掛けを蹴っ飛ばし、枕をひっくりかえす。ちょうど暑苦しい夏の夜みたいに。どこかで雄鶏が鳴き始める。でもそれはまちがい。まだ太陽は地球の反対側にあるのだから。
「相棒、起きたかい?」ぼくの友だちが、隣の部屋から声をかける。つぎの瞬間、ロウソクを手に持って、ぼくのベッドに腰掛けている。「おやおや、あたしときたら、ほんのちょっぴりだって眠れそうにないよ」と彼女はいう。「心臓が野ウサギみたいにぴょんぴょん跳ねてるんだ。相棒、ルーズヴェルト夫人は夕食にあたしたちのケーキを出してくれるかねえ?」
ぼくたちはベッドの上で体を寄せ合い、彼女はぼくの手をぎゅっとにぎりしめる。愛している、というように。「おまえの手も、前はもっとずうっと小さかったのにねえ。おまえが大きくなるのがいやなんだ。大きくなっても、ずっと仲良しでいられるかしらねえ」
ぼくは、ずっと友だちだよ、という。
「だけどね、相棒。あたしはすごく悲しいんだよ。自転車をどれだけおまえのために買ってやりたいか。パパがくれたカメオを売ろうとしたんだよ」――彼女は、まるで恥ずかしがっているかのように口ごもる――「でもね、今年もまた凧を作ったのさ」
そこでぼくも凧を作ったんだ、とうち明ける。それからふたりで大笑いする。ろうそくは手で持っていられないほど短くなってしまった。やがて火が消える。その代わりに星明かりが照らす。星が窓辺でくるくる回転しながら、クリスマスキャロルの歌を、曲の代わりに目で見せてくれる。ゆっくり、ゆっくり、夜明けのしじまのなかで。おそらくぼくたちはうとうとしていたのだろう。それでも最初の日の光が差しこむと、冷たい水を浴びせかけられたように、ぱっと目が覚める。ぼくたちは起き出して、あたりをぶらぶらしながら、ほかの人たちが起きてくるのを待つのだ。
(この項つづく)
屋根裏のトランクに入っているもの。靴箱に入った白イタチの尻尾(マントから取れたもので、以前この家に間借りしていた風変わりな女性の持ち物だった)、巻いてあるのはすりきれ、古くなって色が落ち、ただ光っているだけのクリスマス用のモール、銀の星がひとつ、ちぎれかけてかなり危なそうなコードには、キャンディみたいな豆電球がついている。これだけ見るぶんには、なかなかすてきな飾りではあるのだが、どう見ても十分ではない。ぼくの友だちは、「バプテスト教会の窓みたいに」、まるで雪の重みでしなう枝のように飾りつけをいっぱいにして、輝かせたいのだ。
でも、ぼくたちには十五セントもする日本製の豪華な飾りを買うお金がない。だから、いつものようにやることにした。何日も、台所の食卓で、ハサミとクレヨンと色紙の束と格闘する。ぼくがスケッチをして、友だちが切り抜く。ネコがたくさん、魚もたくさん(というのも、描くのが簡単だからだ)、リンゴをふたつ、みっつ、スイカもふたつ、みっつ、同じように羽の生えた天使も。天使は取っておいたハーシー・チョコレートの銀紙で作った。ぼくたちはこうしたかざりを安全ピンで木につけた。仕上げは枝にちりばめたくず綿だ。このために八月から取っておいたのだ。ぼくの友だちはできばえを見渡し、両手を固く組み合わせた。「さあ、正直言って、相棒、食べてしまいたいくらいすばらしい出来じゃないか!」実際にクィーニーは天使を食べようとする。
ヒイラギにリボンを編みこんで、クリスマスのリースを窓という窓に飾ってから、つぎの仕事は家族全員へのプレゼントだ。女性たちには絞り染めのスカーフ、男性陣にはレモンと甘草とアスピリンのシロップ、これは「風邪の初期症状が出た際、及び、狩りのあと」に服用するものだ。けれども、お互いへのプレゼントを作るときになると、ぼくの友だちとぼくは分かれてこっそり作業にかかる。ぼくが買ってあげたいのは、真珠の柄のナイフと、ラジオと、五百グラム全部、チョコレートコーティングしてあるサクランボ(一度味見したことがあるのだが、以来彼女は繰りかえし、真剣に言っている。「相棒、あたしはあれさえあれば生きていけるよ。主に誓って本当だ。あたしはみだりに主の御名を唱えたりはしないんだけど」)。だけどその代わりに凧を作ってあげる。
彼女はぼくに自転車を買ってやりたいのだ(彼女は何百万回もそう繰りかえした)。「もしあたしに買えるものならね、相棒。ほしいものがあるのにそれなしで生きて行かなきゃならないなんて、人生は辛いよね。だけどそれよりもっとあたしが呪いあれ、って思うのは、あげたいと重うものをあげられないことだ。いつかきっとあたしは手に入れるよ、相棒。おまえのために自転車を手に入れてあげる。どうやってか、は聞かないで。もしかしたら盗んじゃうかもしれないんだから」)。その代わりに、彼女はぼくのために凧をこしらえているのではないか、と考えている。去年もそうだったし、その前の年もそうだった。その前の前の年、ぼくたちはパチンコを交換した。どれもすてきなものばかりだった。というのも、ぼくたちは凧揚げのチャンピオンだったし、船乗りのように風向きを読むことができたのだから。ぼくの友だちは、ぼくよりもさらに上手で、雲がはりついたような風のない日でも凧を天高く泳がせることができるのだ。
クリスマス・イブの午後には、ぼくたちは五セント、どうにかして工面して、肉屋で毎年恒例のクィーニーへの贈り物を買う。かじるのにもってこいの牛の骨だ。骨は、新聞のマンガページに包んで、ツリーのてっぺんの星のすぐそばに飾っておく。クィーニーはそこにあることを知っている。ツリーの根本に寝そべって、ものほしげな目でツリーを見上げている。ベッドへ行く時間になっても、腰をあげようとしない。ただ、クィーニーがどれほど興奮していたとしても、ぼくだって負けてはいない。ぼくは上掛けを蹴っ飛ばし、枕をひっくりかえす。ちょうど暑苦しい夏の夜みたいに。どこかで雄鶏が鳴き始める。でもそれはまちがい。まだ太陽は地球の反対側にあるのだから。
「相棒、起きたかい?」ぼくの友だちが、隣の部屋から声をかける。つぎの瞬間、ロウソクを手に持って、ぼくのベッドに腰掛けている。「おやおや、あたしときたら、ほんのちょっぴりだって眠れそうにないよ」と彼女はいう。「心臓が野ウサギみたいにぴょんぴょん跳ねてるんだ。相棒、ルーズヴェルト夫人は夕食にあたしたちのケーキを出してくれるかねえ?」
ぼくたちはベッドの上で体を寄せ合い、彼女はぼくの手をぎゅっとにぎりしめる。愛している、というように。「おまえの手も、前はもっとずうっと小さかったのにねえ。おまえが大きくなるのがいやなんだ。大きくなっても、ずっと仲良しでいられるかしらねえ」
ぼくは、ずっと友だちだよ、という。
「だけどね、相棒。あたしはすごく悲しいんだよ。自転車をどれだけおまえのために買ってやりたいか。パパがくれたカメオを売ろうとしたんだよ」――彼女は、まるで恥ずかしがっているかのように口ごもる――「でもね、今年もまた凧を作ったのさ」
そこでぼくも凧を作ったんだ、とうち明ける。それからふたりで大笑いする。ろうそくは手で持っていられないほど短くなってしまった。やがて火が消える。その代わりに星明かりが照らす。星が窓辺でくるくる回転しながら、クリスマスキャロルの歌を、曲の代わりに目で見せてくれる。ゆっくり、ゆっくり、夜明けのしじまのなかで。おそらくぼくたちはうとうとしていたのだろう。それでも最初の日の光が差しこむと、冷たい水を浴びせかけられたように、ぱっと目が覚める。ぼくたちは起き出して、あたりをぶらぶらしながら、ほかの人たちが起きてくるのを待つのだ。
(この項つづく)