陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

サキ・コレクション「トバモリー」その4.

2010-03-01 23:39:25 | 翻訳
最終回

 仮に大天使が恍惚たる表情で主の再臨を告げたちょうどその日、国際ボートレース、ヘンリー・レガッタの日とかち合って、残念ながらやむをえず順延せざるをえなくなったとしても、偉大なる研究の成果がこんな反応を引き起こしたのを目の当たりにしたコーネリアス・アピンほど、意気阻喪することはなかっただろう。だが、世論は彼に味方することはなかった。それどころか、もし広く意見を求めるようなことをしたなら、アピンに対してもストリキニーネを与えるべき、という、少数ながら強固な票が投じられたにちがいない。

 汽車の時間には合わないし、また事態がどう決着するのか見届けたかったので、誰もすぐにはそこを出立しようとしなかった。だが、その日の夕食は、楽しい社交の場とはほど遠いものだった。サー・ウィルフリッドは、馬小屋のネコ相手につらい経験をし、その結果、馬丁にもまた手を焼く羽目になった。アグネス・レスカーはこれ見よがしに、何もつけないトーストだけを自分の食事とし、それを憎き敵さながらに、ぎりぎりとかみしめている。一方、メイヴィス・ペリントンは復讐するかのように食事の間中、緘黙を貫いた。

レディ・ブレムリーはなんとか会話をもたせようと、のべつまくなしにしゃべり続けながら、目は片時もドアから離さなかった。サイドボードには、注意深く薬を混ぜ込んだ魚の切れ端が載せてあるのだが、食後に甘いデザートを食べ、セイボリー(※前菜やデザートとして出す塩漬けの魚やブランデーに漬けた果物など辛口の料理)をすませ、最後の果物を終えても、トバモリーはダイニングルームにも台所にも姿を現さなかった。

 陰気な食事も、そのあとの喫煙室での不寝番にくらべれば、まだしも陽気だったようだ。少なくとも食べたり飲んだりするあいだは、気まずさを紛らわせることもできた。だがブリッジなど、気持が高ぶり緊張している中ではできるはずもない。やがてオドゥ・フィンズベリが悲しげな声で『森の中のメリサンド』を歌ったが、聴衆は最上級の冷淡さで応え、音楽は暗黙のうちに斥けられた。

十一時になって、召使いの休む時間になり、『食料庫の小窓は、いつものようにトバモリーが通れるよう、開けておきます』と報告があった。最初の内は熱心に雑誌の最新号に目を走らせていた客も、徐々に体が沈んでいき、スポーツ雑誌や風刺漫画をぱらぱらとめくるだけになっている。レディ・ブレムリーは定期的に食料庫を見に行ったが、そのたびに暗い、うち沈んだ表情で戻ってくるものだから、誰もどうなったか聞くこともできなかった。

 二時になったところで、クローヴィスが沈黙を破った。

「今夜は出てこないみたいですね。もしかしたらいま、地元の新聞社で回想記の第一章を口述してるのかもしれません。レディ・何とかの本なんて目じゃないね。当日の目玉記事になるだろうなあ」

 みんなの気持にとどめをさしてクローヴィスは寝に行った。そのあと時間を置きながら、ほかの客もクローヴィスにならったのだった。

 翌朝になって、召使いはみな、朝のお茶の席で、判で付いたような質問に、判で付いたような返事をした――トバモリーは戻ってきませんでした。

 朝食は、昨夜の夕食よりなおのこと気分の晴れないものだったが、それも終わろうとするころ、状況は一変した。トバモリーの亡骸が植え込みによこたわっているのを園丁が見つけ、連れ帰ったのである。喉を咬み切られ、足には黄色い毛がからみついているところを見ると、牧師館の大ネコトムに武運拙く敗れたものにちがいない。

 午前中のうちにほとんどの客は屋敷を出立し、昼食を終えてからレディ・ブレムリーは、牧師館に手紙を書けるまでに元気を取りもどした。かけがえのないペットを奪われたことに対して、強い抗議をしたためたのである。

 アピンにとってはトバモリーが唯一の成功例となり、その後を継ぐ者は現れなかった。数週間後、ドレスデン動物園のゾウが、それまで特に気が立った様子もなかったのに、いきなり鎖を切り、からかっていたとおぼしいイギリス人を殺したのである。被害者の名は新聞によって、オピンとなったりエプリンとなったりしていたが、ファーストネームだけは正確に「コーネリアス」と報道された。

「もしドイツ語の不規則動詞をあのかわいそうなゾウに教えようとしたのなら」とクローヴィスは言った。「その報いを受けたってことだろうな」



The End






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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
陰陽師さん、こんにちは。 (蟒蛇)
2010-03-02 18:16:20
お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

遠い昔、サン○オSF文庫で読んで以来です。楽しませていただきました。
私がサキの作品の中で一番好きなのがこの「トバモリー」ですねん。
この意地の悪さがね(笑)。


小説に登場する(喋る)猫たちは、私が知る限り、大体あまり素直な性格とは言い難いようですな。
このトバモリーとか、「アリス」のチェシャ猫とかね。

両方とも、媚びなさ加減が大好きですけど。


あ、そういえば映画「不思議の国のアリス」はもうすぐ公開するんでしたっけ?
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