その8.
影がひとつ浮かび上がっていた。動かない何か。音もなくそこにいる。ゴミ溜めの中に、夜に成長するキノコのように。白いどろどろのかたまりが、月の光を浴びてぬらぬらと光っている。クモの糸のような網に覆われて、かびた繭のようにも見える。手らしきものと、脚らしきもの。頭はまだはっきりとした形にもなってない。顔はまだできてない。それでもチャールズにはそれが何か、はっきりとわかった。
母親もどきだ。ゴミと湿気のなかで、ガレージと家のあいだで育ちつつあるのだ。そびえるように立つ竹の影に隠れて。
完成も間近だった。ほんの数日もしないうちに、十分育ちきるだろう。いまはまだ幼虫で、白く、柔らかく、どろどろしている。だが日光が乾かし、暖めるだろう。外皮は固くなる。色も濃くなり、固さも増すだろう。そうして繭を破って出てくるのだ。そのとき、ママがガレージの近くに行くと……。
母親もどきの後ろには、ほかにも白くてどろどろした幼虫がいた。つい最近、あれが産んだばかりなのだろう。まだ小さい。やっとこの姿になったところだ。父親もどきが外に出てきたあともわかった。〈あれ〉はここが生まれ故郷なんだ。ここで十分大きくなって、それからガレージでパパに会ったんだ。
チャールズは麻痺した体を引きずり、そこから離れようとした。腐った板きれやゴミやがらくた、どろどろのキノコのような幼虫から遠ざかろうとした。塀のところまで行って、弱々しい手を塀にかけた――よじのぼりかけ、そのまま下りた。
そこには別の一匹がいた。幼虫がもう一匹。初めは気がつかなかった。白くないからだ。すでに黒っぽくなっている。クモの網もかかってないし、どろどろでもない。湿り気もすでになくなっていた。すっかり準備ができているのだ。かすかに震えたかと思うと、弱々しく腕を振った。
チャールズもどきだ。
竹むらが左右に分かれたかと思うと、父親もどきの手が伸びて、チャールズの手首をがっちりとつかんだ。「ちょうどいいところにいたんだな! 動くんじゃない」空いている方の手で、チャールズもどきの繭を引き裂いていく。「手伝ってやろう――おまえはまだひ弱だものな」
じめじめした灰色の外皮を残らず剥ぎとったところで、チャールズもどきがふらつきながら出てきた。おぼつかない足取りでこちらに向かってくる。父親もどきはチャールズがいるところまで、道を空けてやった。
「さあ、こっちだ」父親もどきは言った。「捕まえておいてやるから。こいつを食えば、もっと強くなるだろう」
チャールズもどきは口を開けたりしめたりしている。よだれを垂らしながらチャールズの方に近づいてくる。チャールズは懸命に抵抗したが、父親もどきは大きな手で彼を押さえつけた。
「そこまでだ、チビ」父親もどきが有無を言わせぬ口調で言った。「もっとずっと簡単になるんだ、おまえさえ……」
父親もどきが悲鳴を上げながら、痙攣を始めた。チャールズから手を放し、体をよろめかせながら後ずさる。痙攣がいっそう激しくなった。ガレージにどしんとぶつかり、手足をひきつらせた。地面をのたうちまわり、苦しみのあまりに暴れている。痙攣し、うめき声をあげ、はいつくばったまま逃れようとした。やがて、少しずつ動きが鈍くなった。チャールズもどきも転がったまま動かなくなっている。竹藪と腐ったごみのあいだに、呆けたような顔で横たわっていた。体からは力が抜けて、顔にはどんな表情も浮かんでなかった。
とうとう父親もどきの動きが止まった。聞こえてくるのは、竹藪を渡る夜風が立てる、かすかなざわめきだけだった。
チャールズはおずおずと立ちあがった。車寄せのセメントの道を下りていく。ペレッティとダニエルズがこっちに来ていた。目を大きく見開き、警戒を続けている。「こっちへ来ちゃいけないよ」ダニエルズがきつい調子で言った。「まだ死にきってないんだ。もう少しかかりそうだ」
「何をしてたの?」チャールズがぽつりと聞いた。
ダニエルズは灯油缶を置いて、ほっと安堵の吐息をもらした。「こいつをガレージで見つけたんだよ。ぼくんちじゃヴァージニアにいたころ、蚊を殺すのに灯油を使ってたからね」
「ダニエルズが虫の穴に灯油を流しこんだんだ」ペレッティが説明したが、その声にはまだ怯えの名残があった。「こいつのアイデアさ」
ダニエルズは父親もどきのねじくれた体を、おそるおそる蹴ってみた。「こいつはもう死んでる。虫が死ぬと同時に死んだんだ」
「じき、ほかのも死ぬんだろう」ペレッティは言った。それからゴミの山のあちこちに育っていた幼虫を見ようと、竹むらをかき分けた。チャールズもどきは、ペレッティに棒の先で胸元をつつかれても、身動きひとつしなかった。「これも死んでる」
「念には念を入れておかなくちゃ」ダニエルズは硬い表情で言った。重い灯油缶を竹藪のぎりぎり端まで引きずっていった。「〈あれ〉がマッチを車寄せのどこかに落としてた。見つけて来てよ、ペレッティ」
ふたりは互いに目を見交わした。
「よしきた」ペレッティはひっそりと言った。
「水のホースがいるね」チャールズは言った。「広がったら大変だから」
「さあ、行こうぜ」ペレッティが待ちかねたように言った。すでに歩き出している。チャールズも急いであとを追い、ふたりは薄暗い中、月明かりをたよりにマッチを捜し始めた。
(※後日手を入れてサイトにアップします。お楽しみに)
影がひとつ浮かび上がっていた。動かない何か。音もなくそこにいる。ゴミ溜めの中に、夜に成長するキノコのように。白いどろどろのかたまりが、月の光を浴びてぬらぬらと光っている。クモの糸のような網に覆われて、かびた繭のようにも見える。手らしきものと、脚らしきもの。頭はまだはっきりとした形にもなってない。顔はまだできてない。それでもチャールズにはそれが何か、はっきりとわかった。
母親もどきだ。ゴミと湿気のなかで、ガレージと家のあいだで育ちつつあるのだ。そびえるように立つ竹の影に隠れて。
完成も間近だった。ほんの数日もしないうちに、十分育ちきるだろう。いまはまだ幼虫で、白く、柔らかく、どろどろしている。だが日光が乾かし、暖めるだろう。外皮は固くなる。色も濃くなり、固さも増すだろう。そうして繭を破って出てくるのだ。そのとき、ママがガレージの近くに行くと……。
母親もどきの後ろには、ほかにも白くてどろどろした幼虫がいた。つい最近、あれが産んだばかりなのだろう。まだ小さい。やっとこの姿になったところだ。父親もどきが外に出てきたあともわかった。〈あれ〉はここが生まれ故郷なんだ。ここで十分大きくなって、それからガレージでパパに会ったんだ。
チャールズは麻痺した体を引きずり、そこから離れようとした。腐った板きれやゴミやがらくた、どろどろのキノコのような幼虫から遠ざかろうとした。塀のところまで行って、弱々しい手を塀にかけた――よじのぼりかけ、そのまま下りた。
そこには別の一匹がいた。幼虫がもう一匹。初めは気がつかなかった。白くないからだ。すでに黒っぽくなっている。クモの網もかかってないし、どろどろでもない。湿り気もすでになくなっていた。すっかり準備ができているのだ。かすかに震えたかと思うと、弱々しく腕を振った。
チャールズもどきだ。
竹むらが左右に分かれたかと思うと、父親もどきの手が伸びて、チャールズの手首をがっちりとつかんだ。「ちょうどいいところにいたんだな! 動くんじゃない」空いている方の手で、チャールズもどきの繭を引き裂いていく。「手伝ってやろう――おまえはまだひ弱だものな」
じめじめした灰色の外皮を残らず剥ぎとったところで、チャールズもどきがふらつきながら出てきた。おぼつかない足取りでこちらに向かってくる。父親もどきはチャールズがいるところまで、道を空けてやった。
「さあ、こっちだ」父親もどきは言った。「捕まえておいてやるから。こいつを食えば、もっと強くなるだろう」
チャールズもどきは口を開けたりしめたりしている。よだれを垂らしながらチャールズの方に近づいてくる。チャールズは懸命に抵抗したが、父親もどきは大きな手で彼を押さえつけた。
「そこまでだ、チビ」父親もどきが有無を言わせぬ口調で言った。「もっとずっと簡単になるんだ、おまえさえ……」
父親もどきが悲鳴を上げながら、痙攣を始めた。チャールズから手を放し、体をよろめかせながら後ずさる。痙攣がいっそう激しくなった。ガレージにどしんとぶつかり、手足をひきつらせた。地面をのたうちまわり、苦しみのあまりに暴れている。痙攣し、うめき声をあげ、はいつくばったまま逃れようとした。やがて、少しずつ動きが鈍くなった。チャールズもどきも転がったまま動かなくなっている。竹藪と腐ったごみのあいだに、呆けたような顔で横たわっていた。体からは力が抜けて、顔にはどんな表情も浮かんでなかった。
とうとう父親もどきの動きが止まった。聞こえてくるのは、竹藪を渡る夜風が立てる、かすかなざわめきだけだった。
チャールズはおずおずと立ちあがった。車寄せのセメントの道を下りていく。ペレッティとダニエルズがこっちに来ていた。目を大きく見開き、警戒を続けている。「こっちへ来ちゃいけないよ」ダニエルズがきつい調子で言った。「まだ死にきってないんだ。もう少しかかりそうだ」
「何をしてたの?」チャールズがぽつりと聞いた。
ダニエルズは灯油缶を置いて、ほっと安堵の吐息をもらした。「こいつをガレージで見つけたんだよ。ぼくんちじゃヴァージニアにいたころ、蚊を殺すのに灯油を使ってたからね」
「ダニエルズが虫の穴に灯油を流しこんだんだ」ペレッティが説明したが、その声にはまだ怯えの名残があった。「こいつのアイデアさ」
ダニエルズは父親もどきのねじくれた体を、おそるおそる蹴ってみた。「こいつはもう死んでる。虫が死ぬと同時に死んだんだ」
「じき、ほかのも死ぬんだろう」ペレッティは言った。それからゴミの山のあちこちに育っていた幼虫を見ようと、竹むらをかき分けた。チャールズもどきは、ペレッティに棒の先で胸元をつつかれても、身動きひとつしなかった。「これも死んでる」
「念には念を入れておかなくちゃ」ダニエルズは硬い表情で言った。重い灯油缶を竹藪のぎりぎり端まで引きずっていった。「〈あれ〉がマッチを車寄せのどこかに落としてた。見つけて来てよ、ペレッティ」
ふたりは互いに目を見交わした。
「よしきた」ペレッティはひっそりと言った。
「水のホースがいるね」チャールズは言った。「広がったら大変だから」
「さあ、行こうぜ」ペレッティが待ちかねたように言った。すでに歩き出している。チャールズも急いであとを追い、ふたりは薄暗い中、月明かりをたよりにマッチを捜し始めた。
The End
(※後日手を入れてサイトにアップします。お楽しみに)
アップを楽しみにしています^^
やっぱ良いです、ディック。
わたしとしては、ディックのベストスリーのひとつに入る、と思ってるぐらい、お気に入りの短篇なんです。確かに突っこみどころはあちこちあるんですが、おもしろい。
スティーヴン・キングはきっと好きだったんだろうなあ、という気がします。
それにしても、ディックは「人間とそうでないもの」という問題意識を、こんな初期の短篇から後期に至るまで、終生持ち続けたわけですよね。それをめぐって作品を生みだし続けたというのも、すごいことです。
また何か見つかったら、訳してみたいと思っていますので、よろしく。
書き込み、ありがとうございました。
訳語の詰めが甘いところがずいぶんあるので、サイトにアップするときはもうちょっと煮詰めようと思ってます。
自分がおもしろいと思っていることを、他の人にもおもしろいと感じていただけるのは、とってもうれしいことです。
書き込んでくださってありがとうございました。