陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

サキ「セルノグラツの狼」(後編)

2008-09-17 22:36:31 | 翻訳
(後編)

 じっと耳を傾けているうちに、犬を怯えさせたり怒らせたりしたものの正体が、人間にもはっきりわかってきた。長く尾を引く、もの悲しい遠吠えが、高く、低く、あるときは五キロも先の方から聞こえたかと思えば、雪原をひとっとび、館の外壁の根方あたりから聞こえて来るようにも思われる。凍った世界のなかでの飢えと寒さ、惨めさ、野生の生き物の、容赦ない飢えに苛まれた激しい怒りが、絶望と、言葉にならない悲しみのこもった歌声に混じり合って、むせびなくような遠吠えになったようだった。

「狼だ!」男爵が叫んだ。

 狼の合唱が四方八方から聞こえてきた。

「何百頭もの狼だ」想像力の豊かなハンブルグの商人が言った。

 自分でも説明のつかない衝動にかられて、男爵夫人は客から離れ、家庭教師の狭い、陰気な部屋へ向かった。そこでは年老いた家庭教師はもう何時間も横になったまま、一年が終わっていくのを見守っていたのだった。身を切るような冬の夜気のなかで、窓を開け放している。もう、いったいなんてことをしているの、と大声で言いながら、男爵夫人はあわてて窓を閉めようとした。

「開けておくのです」老女は弱ってはいるが、男爵夫人がこれまで一度も聞いたことのない、有無を言わさぬ調子で言った。

「でも、この寒さで死んでしまうわよ」男爵夫人はいさめた。

「わたしはもう長くはありません」とその声が答えた。「だからわたくしはあの子たちの声が聞きたいの。あの子たちは、わたくしの一族が死ぬときの歌を歌いに、みな遠くの方から集まってくれたのです。みんな、ほんとうによく来てくれました。フォン・セルノグラツ家の一族がこの古い館で死ぬのもわたくしでおしまい、だからみんなわたくしのために歌うために来てくれたのですね。ほら、なんと大きな声で呼んでいること!」

 狼たちの遠吠えは、静かな冬の空気をふるわせながら切り裂き、長く尾を引いて、館の塀を取り囲んでいた。老女はベッドに仰向けに横たわったまま、とうとう幸せになれた、とでもいいたげな表情を浮かべている。

「さがりなさい」男爵夫人にそう命じた。「わたくしはもうひとりではありません。誇り高い一族の一員なのですから……」

「もう長くはないと思うわ」男爵夫人は客の集まっているところに戻ってそう言った。「お医者を呼びにやったほうがよさそうね。それにしてもいやな遠吠えね! どれだけお金を積まれても、あんな末期の歌なんてゴメンだわ」

「あの歌は、どれだけ金を積んでも聞けやしないよ」とコンラッドが言った。

「ちょっと待て! あの音は何だ?」何かがめりめりと裂けるような音を聞きつけた男爵が尋ねた。

 荘園で立木が倒れたのだ。

 ぎこちない沈黙がたれこめた。やがて、銀行家の妻が口を開いた。

「ひどい寒さですものね、木も裂けるんでしょう。狼があんなに大勢集まってきたのも、寒さのでいですわよ。これほど寒い冬は、ここ何年もありませんでしたもの」

 男爵夫人も勢いこんで、これもみな寒さのせいにちがいありませんわ、と同意した。家庭教師が医者の診察も受けることなく、心臓麻痺で亡くなったのも、寒さのなか、窓を開け放していたせいだ、ということになった。だが、新聞の死亡記事だけはずいぶん立派な体裁のものとなった――。
十二月二十九日、セルノグラツ城
アマリー・フォン・セルノグラツ逝去。多年にわたりグルエベル男爵ならびに男爵夫人の大切な友人であった。


The End




最新の画像もっと見る

コメントを投稿