陰陽師的日常

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サキ「博愛主義者と幸福な猫」~後編

2007-05-10 23:02:21 | 翻訳
「博愛主義者と幸福な猫」~後編

ジョカンサは、人気があるお芝居の最上階の席を二枚買おうと考えた。安っぽい軽食堂にでも行って、興味をひかれる労働者の女の子に会ったなら、さっそく、ごくさりげなく会話に加わって、そのチケットをプレゼントしよう。理由ならこう説明すればいい。わたしは行けなくなったのだけれど、ムダにするのももったいないし、かといって送り返すのも面倒なのよね。さらに考えて、切符は一枚だけの方がいい、さびしそうな顔でひとりぼっちのつましい食事をしている女の子にあげればいいんだわ、と結論を出した。そうすれば彼女は劇場で隣に坐った人と、なんとかして知り合い、末永く続く友情の礎石を築くかもしれないのだ。

 おとぎ話に出てくるような主人公を助ける妖精になりたい、という衝動にかられて、ジョカンサは切符売り場へ勇んで出向くと、念を入れて最上階の席をひとつ選び出した。芝居は『黄色い孔雀』というもので、かなり話題にもなり、批評にも取り上げられている作品だ。それからジョカンサは軽食堂を探しに行き、いよいよ博愛主義の実践に乗り出したのと同じころ、アタブはぶらぶらと庭を歩きながら、スズメの捕獲に向かって精神を集中させているところだった。

ジョカンサはチェーン店の軽食堂の一隅に空席を見つけると、さっそくそこに落ち着くことにした。隣の席に若い女が座っていて、さして器量も良くないし、疲れたような、無気力な目をしてはいるが、悲惨な境を愚痴ることもなさそうな様子に引きよせられたのである。彼女の服は安っぽい素材ながらも流行のデザインで、髪はきれいだったが、肌の色つやは悪かった。お茶とスコーンというつましい食事を終えようとするところで、いままさにこの瞬間、ロンドンの軽食堂で食事を終えたり、食べ始めたり、食べている最中だったりする何千人という娘たちと、どこといってちがうところが見あたらない。『黄色い孔雀』など見たことがない可能性は、きわめて高そうだった。どう見てもジョカンサのいきあたりばったりの慈善行為の第一歩を踏み出すには、願ってもない対象である。

 ジョカンサは紅茶とマフィンを注文すると、隣に顔を向けて、にこやかな表情を浮かべながらじろじろと眺め、なんとか彼女の視線をとらえようとした。まさにその瞬間、娘の顔は急にうれしそうに輝き、瞳をきらめかせ頬を染めて、美しいといってもいいような顔になった。青年に向かって愛情のこもった言い方で「こんにちは、バーティ」と声をかける。彼はこちらにやってくると、娘の向かいの椅子に腰かけた。

ジョカンサはこの新しい登場人物をじろじろと眺めた。年はきっとわたしよりちょっと下ね、だけどグレゴリーよりずっとハンサム、いいえ、わたしが知っているどんな青年より整った顔立ちだわ。卸売倉庫か何かの礼儀正しい店員ってとこね。少しばかりのお給料で、せいいっぱいがんばって生活したり、遊んだりしているんだわ。そうやって、年に二週間ほど休暇を取るのよ。もちろん自分がハンサムだってきがついてる。だけど、アングロサクソン独特の自己意識からくる恥じらいがあるのよ、ラテン系やセム系に見られるように、自己満足をあからさまにするようなことはしない。その話しぶりからすると、あきらかに娘とは親密な間柄であるようで、おそらくこのままずるずると正式に婚約することになるのだろう。

ジョカンサは青年の家を想像してみた。あまり広くない世間で、七面倒な母親は夜、息子がどこで何をしているか、いつも詮索していることだろう。やがて単調で束縛された生活を出て、自分の家を構える。そこでは慢性的にポンドもシリングも、ペンスでさえも不足して、生活を楽しく、心地よくするようなものなどまったくないのだ。ジョカンサは青年のことが気の毒でしょうがなくなってきた。『黄色い孔雀』など見たことがあるかしら。見たことがない可能性はきわめて高かった。娘の方はずいぶんまえに食事を終えており、じきに仕事に戻るようだった。青年がひとりになれば、ジョカンサも話しかけやすくなる。
『宅の主人が今夜わたしを別のところに連れて行く予定を組んでしまいましたの。この切符をお使いになってくださいません、さもないと無駄になってしまいますわ』
それから、いつかのお昼にここにお茶を飲みにくればいい。そうして彼に会ったら、お芝居はおもしろうございました、とでも聞いてやろう。もし気持ちのいい青年で、親交が深まったらもっと切符をあげてもいいし、日曜の午後にでもチェルシーのわが家にお茶にいらっしゃいません? と誘ってみてもいい。ジョカンサは親交を深めることに心を決めた。それにグレゴリーも気に入るだろう。かくて妖精の仕事は、最初に思い描いていたものより、はるかにわくわくするものになりそうだった。

青年は確かに二枚目だった。髪もどう整えたらいいか知っているのは、たぶんだれかの真似をしているのだろう。自分に似合う色のネクタイも知っている。そっちはきっと勘ね。彼はまさにジョカンサがうっとりするようなタイプである。もちろんこれも偶然なのだが。ともかく娘の方が時計に目をやって、親しみをこめて、だがあわただしく彼に別れを告げたとき、ジョカンサは少なからずうれしかった。バーティは「サヨナラ」とうなづいてみせると、お茶を一杯飲み、それからコートのポケットからペーパーバックを取りだした。『セポイとサヒブ ――インド叛乱の物語』という題名だった。

 喫茶店でのエチケットとしては、赤の他人と目も合わさないうちに、劇場の切符を差し出すなど論外である。砂糖壺を取っていただけないかしら、と頼んだ方がいい。あらかじめ自分のテーブルに鎮座している大きな砂糖壺は隠しておくのだ。これは別にむずかしいことではない、印刷してあるメニューというのはたいがいテーブルと同じくらい大きいので、それを端に立てておけばよいのだ。ジョカンサは希望を胸に、その仕事に取りかかった。ウェイトレスに向かって非の打ちどころのないマフィンの欠陥を長々と甲高い声であげつらい、派手に悲しそうな声で、あるわけがないほど遠い郊外まで通じる地下鉄がないか尋ねてみたり、だれが見てもわざとらしく喫茶店の子猫に話しかけてみたり、とうとう最後の手段として、ミルク容器をひっくりかえし、上品に毒づいてみたりした。いずれもたいそうな注目は引いたのだが、ただの一瞬も、きれいに髪をなでつけた青年の目をとらえることはできなかった。彼の心は何千キロも彼方にある、やけつくようなヒンドゥスタン平原にあり、人影のない粗末な家や、人でごったがえす市場、騒々しい兵舎が集まった一角に取り巻かれ、タムタムの響きや遠くのマスケット銃の音を聞いていたのだった。

 ジョカンサはチェルシーの家に帰っていったのだが、そこが不意に、初めて、つまらない、家具ばかりがひしめきあっているように見えたのだった。晩ご飯のときもグレゴリーときたらきっとどうでもいいようなことばかり言うにちがいない、と疎ましく考えた。そのあとのお芝居だってくだらないだろう。彼女の心持ちは、満足に浸りきってのどを鳴らしているアタブとは、まったくちがったものになりはてていた。アタブときたら、ソファの隅で丸くなり、その体の曲線のあらゆる部分から平和な空気をあたりに放射していた。

 ところがそのときにはすでにスズメの殺戮は終えていたのだった。

The End


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