陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ジョン・アップダイク 『A&P』 その4.

2004-11-12 18:41:44 | 翻訳


 女王様はさっと赤くなった。もしかしたら、ただ日に焼けて赤くなってただけかもしれないんだけど、こんなに近くまで来て、やっとぼくはあの子が日に焼けてることに気がついたんだ。
「母におつまみ用のニシンの瓶詰めを買ってくるよう頼まれたんです」

その声を聞いて、ぼくはちょっと驚いた。初対面の人の声に驚かされることがあるだろ、そんな感じ。ひどく平凡でちょっとバカっぽい、だけど「買ってくる」とか「おつまみ」なんてことばをゆっくりいうところなんかがなんともいえず優雅だった。

その声に乗って、ぼくは突然、あの子の家のリビング・ルームに舞い降りる。あの子のお父さんやほかの男たちが白い上着に蝶ネクタイ姿でたむろしていて、サンダルをはいた女の人たちは、大皿から楊枝に刺したニシンのおつまみを取っている。みんなが手にしているのは、オリーブとミントの小枝を浮かべた透明な飲み物。うちの両親が家にだれかを呼ぶときなんかレモネードで、一番不健全なパーティっていうのがシュリッツ・ビールを「ゼイル・ドゥ・イット・エヴリ・タイム」のマンガがプリントしてある丈の高いグラスに入れて出すぐらいだ。

「それは結構」レンゲルが言った。「だが、ここはビーチじゃない」
そのことばを二度も繰り返すものだから、ぼくはおかしくなってしまった。
まるでビーチじゃないってことしか頭にない、A&Pはビーチではなく巨大な砂丘で、自分がそこの救助隊の隊長だってもうずっと考えてるみたいに聞こえたからだ。レンゲルはぼくが笑ったのが気にくわなかったようだけど、ほら、滅多に見過ごさないって言っただろ? でも、女の子たちを、例の日曜学校の教育長みたいな目でにらみつけるのに忙しいらしい。 

 女王様の頬が赤いのは、もはや日焼けなんかのせいじゃない、そこへチェックの水着の太めちゃん、この子は実にかわいいお尻をしてるから、後ろ姿の方がずっといいんだけど、その子が話に割り込んできた。
「わたしたち、なにもお買い物がしたくてここに来たんじゃありません。用がひとつあっただけなんだから」

「同じことでしょうが」レンゲルはこう言ったが、その目つきから、いままでその子がセパレーツの水着を着ているのに気がつかなかったのが見て取れた。「当店はお客様には見苦しくない格好で来ていただきたいと思っとるんですがな」

「わたしたち、見苦しくなんかありません」だしぬけに女王様が言った。下唇が突き出て、いまやご立腹のようす。自分の身分を思いだしたのだ。女王様から見ればA&Pを経営する輩など、まったく下等なものとしか映らないにちがいない。極上ニシンおつまみが青い綺麗な目に映っていた。

「お嬢さんがた、あんたたちとやりあうつもりはないんだ。これから当店に来るときは、肩になにかはおってきてもらいたいな。それが当店の方針でね」レンゲルはそう言うと背を向けた。そりゃあんたの方針だろ。方針なんてものに用があるのはお偉方だけだ。ほかのみんなに用があるのは、青少年の非行なんだよ。

 その間にも、客はカートを押してやってきてたけど、みんな羊みたいにおとなしいもんだから、この場面に出くわして、群をなしてストークシーのレジに押しかけた。ストークシーときたら、桃でも剥くみたいに、そーっと紙袋を振っては開けて、ひとことも聞き漏らすまいとしている。静寂のなか、みんながイライラしてきているのがわかる。だれよりも、レンゲルが。
そのレンゲルがぼくに聞く。
「サミー、お買いあげの商品の精算はもうすんだのか」

 ぼくは考えながら「いいえ」と答えたけれど、もちろん考えてたのはそんなことじゃない。4、9、食品、合計、とキーを打っていく。これはみんなが思ってるほど単純じゃないし、回数を重ねるうちに、ちょっとした歌を歌い始めるんだ。その歌詞っていうのは、ぼくの場合はこんな感じ。「みんな(ビン)こんにちは、しあわせ(ガン)そーぅだね(パシャッ)」、このパシャッでレジの引き出しが飛び出すんだ。

ぼくは1ドル札の折り目を、これ以上はできないくらい、優しくのばす。なにしろこいつはぼくの知る限り最高にすべすべのヴァニラ・アイスクリームの山の間から出てきたばかりなんだから。それから50セント玉と1セント銅貨をほっそりしたピンクのてのひらにのせ、ニシンを袋にていねいに収めると、袋の口をくるくる巻いて、あの子に渡した。その間もずっと考え続けた。


(次回最終回)


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