陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ジョン・アップダイク 『A&P』 その5.

2004-11-13 18:08:50 | 翻訳


女の子たちが足早に店から出ていこうとしていたので――いったいだれがそれに文句がつけられる?――あの子たちに聞こえるように急いで「ぼく、辞めます」とレンゲルに言った。あの子たちが足を止めて、ぼくという思いがけないヒーローに熱いまなざしを注いでくれないかな、と思いながら。女の子たちはそのままどんどん歩いていって、マジック・アイを横切ると、自動ドアがスーッと開く。駐車場から車へと向かう女の子たちの姿が浮かんで消える。女王様、チェック、ノッポのダサ子ちゃん(素材的には悪くはないんだが)はぼくを、レンゲルと、レンゲルの片方だけ持ち上がった眉と一緒に残して行ってしまう。

「君は何と言った、サミー」

「ぼく、辞めます、って」

「確かにそう言ったようだな」

「あの子たちにきまりの悪い思いをさせることはなかったじゃないですか」

「きまりの悪い思いをさせられたのは、わたしたちの方じゃなかったかね」

なにか言おうとして開けたぼくの口から飛び出したのは、
「たわけたことを言いおって」
ということばだった。
これはおばあちゃんの口癖で、おばあちゃんも喜んでくれたにちがいない。

「自分が何を言ったか、わかっとらんようだな」とレンゲルが言った。

「わかっちゃいないのは、あんたのほうだよ。ぼくじゃない」

背中で結んだひもをほどくと、肩をすぼめてエプロンをはずす。こっちのレジにやってきたカップルの客が、誘導路のなかで怯えるブタみたいにぶつかりあう。

 溜息をついたレンゲルの顔が、辛抱を重ねてきた顔、年寄り臭い、灰色じみたものに見えてくる。ぼくの両親とは、もうずいぶん長い友だちなのだ。

「サミー、お父さんやお母さんのことを考えたら、こんなことはできないだろう」

確かにそうだ。こんなことはできない。だけどいったん気持ちを行動に移した以上、もうそんなことにかまっちゃいられない、これは運命なんだ。ぼくはポケットに“サミー”と刺繍がしてあるエプロンをたたんで、カウンターに置き、蝶ネクタイをそのうえにのせた。蝶ネクタイは店のものなんだ、念のために言っとくと。

「君は一生後悔するぞ」レンゲルは言ったけど、そんなことぐらいわかってるさ。
だけどきれいなあの子を真っ赤にさせたレンゲルのことを思い返すと、胸の内がぎゅっと押しつぶされるような気がする。「販売終了」のキーを叩くと、レジが“みな・さん”と歌って、引き出しがパシャッと開いた。
この場面の舞台が夏で良かったことがひとつ、ぼくはこのあときれいに退場できる。上着やオーバーシューズをもたもたと身につける手間もなく、昨夜、母がアイロンがけしてくれた白いシャツのまま、マジック・アイのところへのんびり歩いていく。自動ドアが開き、外では陽の光がアスファルトの上で踊っていた。

 ぼくはあの女の子たちをさがしてあたりを見回したけれど、もちろん、もう影も形もない。そこにいたのはどの子でもなくて、金切り声をあげている若いお母さんだった。パウダーブルーのファルコン・ステーションワゴンのドアの横で、子どもたちがキャンディを買ってもらえなくてぐずぐず言ってるらしい。

振り返って、大きなガラス窓の向こう、ミズゴケの袋やアルミニウムの屋外用家具が通路に積み上げてあるその先を見ると、ぼくのいたレジにレンゲルが入って、羊の買い物の精算をやっていた。レンゲルの顔はくすんだ灰色、背中はこわばって、なんだか鉄の棒でも打ちこまれたみたいに見える。ぼくはこれからさき、厳しくなっていくはずの世間を思い、なんだか胃が重く沈んでいくのだった。



(この項終わり)

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