陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

サキ「ビザンチン風オムレツ」(後編)

2008-06-02 22:53:41 | 翻訳
(後編)


「わたし、ガスペアを解雇するなんて、どうしてもできないわ」涙声でソフィーが言った。「ほかにもうひとり、オムレツの専門家を確保するなんて、どう考えてもできっこないもの」

「ほかにもうひとり夫を確保する大変さなんて、もちろんあなたが考えなきゃならないことにくらべたら、取るに足らないことですものね」キャサリンは吐き捨てるように言った。

 ソフィーは折れた。「行ってちょうだい」とリチャードスンに命じた。「ストライキ委員会だかなんだかの指揮を執っている人に言ってちょうだい。ガスペアは即刻解雇するって。そうして、ガスペアにはこう伝えてね。奥様が書斎でこれからすぐお会いしたいとおっしゃってる、って。お給金ははずむつもりだし、今回の事情はちゃんと説明するからって。それだけ伝えたら、飛んで帰って、わたしの頭を仕上げてちょうだい」

 三十分ほどのちに、ソフィーは客人たちを大広間に迎え、ダイニングルームへと正式に案内する準備を整えた。ヘンリー・マルサムが熟れたラズベリーのような色、ときおり内輪の素人芝居の舞台で見かけるような顔色になっていたが、彼を除けば、いままでに遭遇し、必死の思いで乗り越えてきた危機の痕跡を、その面に残している者はいなかった。だがその危機に直面している間中、あまりに張りつめていたために、精神的な影響はいくぶん見受けられた。ソフィーはやんごとなき客人と上の空で話をしながら、やがて食事の支度が整ったという祝福の知らせを告げる大きなドアの方へ、いよいよ頻繁に眼が吸い寄せられていくのだった。ときおり鏡に眼を走らせて、すばらしい髪型に整えられた自分の頭をうかがう。さながら大嵐を乗り越えた船が、無事港に入ってくるのを見た海上保険業者というところだ。そのときドアが開いて待ちかねていた執事が部屋に入ってきた。ところが晩餐が始まることを一同に告げようともせず、ドアは執事の後ろで閉じてしまった。執事の知らせはソフィーただひとりに向けられたものだったのである。

「奥様、お食事はございません」しかつめらしくそう言った「厨房係りが『職場放棄』いたしました。ガスペアは料理人及び厨房従業員組合に所属しておりまして、ガスペアの略式解雇の報を聞くや、即刻ストライキに突入いたしました。ガスペアの即時復職と組合に対する謝罪を求めております。念のため、申し添えておきますと、奥様、彼らは大変に強硬でございます。すでにテーブルに配っておりましたメニューまで、わたくしに回収するように求めたのでございます」

 それから十八ヶ月が過ぎ、ソフィー・チャトル=モンクハイムはまた、かつて頻繁に足を運んだ場所や親しい人びとのもとに出向くようになったが、依然として要注意の状態であることに変わりはない。医師たちは、上流社会の集まり、あるいはフェビアン協会の会議といった、興奮しかねない場所は、出席を許していない。もっとも彼女がそれを望んでいるかどうか、はなはだ疑問ではあるが。


The End



(※後日手を入れたのちにサイトにアップします。)


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2 コメント

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サキ (きの。)
2008-06-05 16:44:13
 初めまして。サキの翻訳をなさっているのを見つけてアクセスしました。
 新潮でしか読んだことがなかったので、知らない短編もあってかなり興味深いです。…ちくまを知ったのは最近だったりします(未読)。

「宵闇」のノォマン・ゴオツビィと「開いた窓」「マルメロの木」のヴェラがすごく好きです。

 翻訳の作業は大変と思いますが、がんばって下さい。また読みに来ます。
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ビースト・オブ・オデッサ (陰陽師)
2008-06-06 09:31:08
きの。さん、初めまして。

見つけてくださってどうもありがとうございます。
わたしもちくまのフル・コレクションはまだ読んだことがありません。わたしは新潮文庫とあと岩波を持っているんですが、今回の「シャルツ=メッテルクルーメ式教授法」は、ある方にメールで教えていただくまで読んだこともありませんでした。初めて読んだんだけど、こんなおもしろいものがなんで洩れていたんだろう、って不思議に思いました。

このレディ・カーロッタも、ヴェラが大きくなったみたいな人ですよね。

中学三年のとき、リーダーの教科書に「開いた窓」が載っていて、なんとおもしろいんだろう、と思って、すぐに新潮文庫を買いました。それがわたしとサキのつきあいの始めです。

以来、いろんな短編を読んできて、もちろんチェホフなんかも大好きなんだけど、その一方で、サキとかダールとかジョン・コリアとかフレデリック・ブラウンみたいな「奇妙な味」の短編も大好きです。

翻訳は、すごく楽しいのもあれば、体力がいるのもあります。どこまでいってもよくわからないものもあります。だけど、サキやダールは息抜き、というか、楽しんで、気楽にやっています。芥川の短編を真似て、ちょっと古風な言い回しで訳しているのもあって、わたし自身が密かに「コスプレ」を楽しんでもいます。
おかしな言い回しで馬脚をあらわしてなければいいんですが……。

だから「おもしろかった」「楽しかった」と感想を聞かせていただければ、これほどうれしいことはありません。
感想聞かせてくださって、どうもありがとうございます。サキは著作権も切れているし、おおっぴらに訳せるし、悩むほど英語はむずかしくないし(切りつめた、格調高い英語だと思いますが)、これからもぼちぼち訳していくつもりなので、またよろしくお願いします。

ところで、このタイトル

サキ→きの。→ノォマン・ゴオツビィ(新潮文庫の中村能三先生っぽい表記ですね!)ときたので、「ビースト・オブ・オデッサ」を入れると、また「サキ」に戻っていくでしょ?
だから特に意味はありません(いや、朝もはよから何が入るか考えてました)。
何かアイアン・メイデンの曲にありそうなタイトルです(笑)。

書きこみ、ありがとうございました。
また遊びに来てくださいね。
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