陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ここより先、怪物領域

2008-07-29 22:47:01 | weblog
「モンスターペアレント」などという言葉を初めて目にしたころ、なんだかイヤな言葉だなあと思った。確かにそういう言葉で名指されるような人の行為というのは、明らかに「おかしい」と誰もが思うようなものだ。おそらく、実際にそういうことをやっている人さえ、自分ではない、別の人が同じことをやっているのを見れば、「世間は食うか食われるかなんだから、自分の利益は自分で守ればいい、ぜひこれからも頑張りなさい」とは言わないような気がする。自分以外の人間がやっていれば、他の人と同じように「なんと自分勝手な行動なんだ」と腹を立てるにちがいない。

つまり、そんなふうにものすごく身勝手で、社会性の低い人であることにはまちがいないのだが、そんなタイプの人に「モンスターなんとか」とレッテル張りをすることにどういう意味があるのだろう、と思ったのだ。

理不尽な行動をする人がいる。それに対してどれほど注意しようが、理屈を言って聞かせようが、まったく聞く耳を持たない。
そこで「モンスターなんとか」とレッテルを張る。

そのあと、どうなるかといえば、その周囲の人は、あの人は「モンスター」だから関わらないように注意しよう、という結果にしか行き着かない。結局、関係から排除するしかなくなってしまう。

それも仕方がない、ということになるのだろうか。
あの人が悪いのだから仕方がないじゃないか、あの人がそういうふうに周囲をし向けているのだから……、という考え方は、わたしにはなんだかとても居心地の悪いものに思えてしまう。だからその「モンスターなんとか」という言葉を、イヤな言葉だと思っていたのだった。

ところが身近にまさしくそうとしか言いようのない人物が現れたのである。
わたしは直接の被害には遭ったわけではない、ただ、被害に遭った人から事情を聞いただけの傍観者の立場だ(明日は我が身、ということになるかもしれない、という危機感は多少あるが)。だから、直接に被害に遭った人とはまた感じ方もちがうのだろうが。

そのものすごい人(仮にX氏と呼ぼう)を身近に見てよくわかったのは、X氏が「自分が被害者だ」と信じて疑っていないことだった。自分は何も悪いことをしていないのに、「加害者」Y氏は自分にひどいことをした、と怒りを抱いている。だからY氏に対して「異議申し立て」をしているだけだ。X氏からすれば、そのいったいどこに問題がある? ということなのである。

端にいるものは、X氏とY氏の訴えに耳を傾け、一連の経緯を「どちらがどれほど悪いか」と比較する。そうしてどちらも同じ程度悪い、と判断すれば、確かにあんたがそうしたくなる気持ちはわかるが、相手だって理由があったのだ、ここはお互いに悪いところは認め合って謝って、これから先、なんとかうまくやっていこうじゃないか、と仲介の労を取る。

ところがX氏の行動が、Y氏に比較して極端に「悪い」場合は、X氏に対して「そういう考え方はおかしいではないか」と注意する。
それでも、端の指摘には耳を貸さず、「自分は被害者である」「自分はなにひとつ悪くない」と言い張ってやまないだけでなく、それ以降もむちゃくちゃを続ける人物を、周囲は「モンスターなんとか」と呼ぶわけだ。そう呼んでどうするかというと、先にいったように、関わらないようにする。

ここで、わたしが今回“X氏”を間近で見て奇妙だと感じたのは、そもそもX氏がY氏を「ひどい」と思ったのは、X氏が想定する「良好な人間関係」を満たす行動をY氏が取ってくれなかったからなのだ。自分が望む人間関係を相手が築いてくれないとわかったとき、あなただったらどうします? いきなり怒り出したりします? 

たぶん、たいていの人はまず、「なんでだろう?」と考えるのではあるまいか。自分の期待する行動を相手が取ってくれないようなときは、自分のこれまで行動をつらつら考えて、こういうところが悪かったんじゃないか、と反省してみたり、あるいは相手のことをもっと知ろうと、別の人に話を聞いたり、自分の期待の方を修正しようとしたりするのではあるまいか。なんにせよ、「怒る」というのはかなりあとの方の行動のはずなのだ。

だって、怒ったら、相手と「良好な人間関係」を決して築けないことは明らかだからだ。
さらに、自分と「良好な人間関係」を築けない相手に腹を立て、攻撃でもしたことなら、相手ばかりではなく、それ以外の人とも「良好な人間関係」など決して築けないことも明かだからだ。「モンスターなんとか」などと呼ばれでもするようなことになれば、もうその人は誰とも人間関係を築くことはできない。

X氏のような人は、そのぐらいのこともわからないのだろうか、と思う。結局、自分を苦況に追い込んでいるのは自分自身なのに。だが、わからないのだろう。自分が「被害者だ」と思いこんでいるから。自分が「正しい」と思いこんでいるから。
「正しい」か「正しくない」か、という基準なんて、社会の一員であって初めて意味のある基準なのに。自分にしかあてはまらない基準というのは、実のところ、基準などにはなり得ないのに。

そういうX氏に対して、どうしたらいいかという方策など、わたしにあるわけではないのだが、少なくとも自分の日々のありようを見直すきっかけにはなった出来事だった。このわたし自身、誰かに対して「こうしてもらえるのが当たり前」と勝手に期待して、そうしてくれなかった、と不満に思っていることがあるかもしれないのだから。

人と関係を築いていこうとするのは、面倒なことだし、簡単ではない。それでも、気の合う人とだけ、つきあっていこうと思っていたら、その関係はどんどん狭くなっていく。気の合う人が、いつもかならず気が合うとばかりは限らないのだから。
いやな人、やっかいな人、こまった人、それでもなんとか許容できる着地点を見つけて、それなりの関係を築いていかなくてはならない。

それは、おそらく好きな人と関係を築くより、もっとずっとむずかしいことなのだろうと思う。

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3 コメント

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Unknown (mrcms)
2008-07-30 10:49:47
こんにちは。

まさしく今私は渦中にいるのですが、それもちょうど陰陽師さんおっしゃるところのX氏とY氏に挟まれた位置におりまして大変な目に遭っております。

僕は個人的にですが、なんとなくそういった行動を取る人は元来もめ事とかが好きな人なんじゃないか、ということです。おそらく遠い昔、元々はしょうがなく揉め事を始めたのでしょうが、その際に感じたカタルシスとかドーパミン的高揚感とかそんな感情が快感になって癖になってしまったんだと思うんです。何事もきっちりハッキリ片を付ける。それが正しい道なのだ、と思ってる気がします。

それはそれで正しくもあるのですけど、そもそもその揉め事を「勃発させないような努力や工夫」はしたのですか?と言いたくなる場合もありますよね。

係争や揉め事が多い人は、どっちが正しいとかじゃなく、もう距離を置きたくなると言うのが本音だと思います。交渉能力や社交性がないことを自ら暴露してるようで、なんだか恥ずかしいことじゃないかと思います。まさに陰陽師さんがおっしゃるとおりですよね。


今回の僕の場合なんですが、僕がX氏に対して異議を申し立てたことで、彼と対立するY氏を喜ばせてしまったのです。このY氏というのが上記のような典型的なタイプの人で、僕としては別にどっちに付いてるという感覚はなく、純粋に不当だから異議を言ってるわけですけど、Y氏がそれに乗っかってくるのは筋違いだし、そんな状況が徐々に不愉快になってきました。こういった係争ごとは仲間がいると何かと心強いものですね。ですので一時はY氏ともいろいろ話したりはしたのですが、結局そんな状況に耐えられなくなり、Yの方とも袂を分かってしまいました。この裁判が終わったら、僕はどちらとも一切縁を切ろうと思っています。

Y氏は、その後、また別な係争を起こそうと準備しています。50近いいい大人なんですけどね。一生そういうこと続けるんでしょうか。と思うとなんだか寂しくなりますね。
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Unknown (mrcms)
2008-07-30 11:04:58
ごめんなさい。よく考えたら僕の場合はXとYの例えは立場として逆のような気がしました。というか、両方X氏のような気がします。X1とX2ですね。笑。

あと上記コメントで文が抜けたりしてる部分がありました。読みづらくてすいません。
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人を怒らせていいことは何もない (陰陽師)
2008-07-31 19:03:06
こんにちは。
mrcmsさんの方は、大変な状況みたいで、ほんとうに自分で書いててこんな声援、いったい何になるんだろ、って情けなくなっちゃうんですが、ほんと、頑張って乗り切ってくださいね。

裁判なんて実際には経験はないのですが、やはり、精神的にはきつい、消耗するものだと思います。法律のこととか、わたしには全然わからない、かならずしも常識的に考えて「これはそうだろう」ということばかりが通るものではない世界だとも思うのですが、どうかうまくいきますように。

そういう争いごとのなかで、あまりmrcmsさんが消耗されたりすることがありませんよう。もめ事にすっぽりと飲み込まれたりすることがありませんよう。

だけど、mrcmsさんは音楽がありますものね。
自分の核になるものを持っている人は強いです。
結局その人を支えるのは、その人が今日までいったい何をやってきたか、だと思うんです。
だからきっと大丈夫、って安請け合いではなく、思います。

> 僕は個人的にですが、なんとなくそういった行動を取る人は元来もめ事とかが好きな人なんじゃないか、ということです。

わかりますわかります、その感じ。
なんというか、もめ事を恐れない人、というか、いつでもウェルカム、というか。人の怒鳴り声を聞くと、顔つきが生き生きしちゃうような人(笑)。
わたしがこのログを書くときに頭にあったY氏という人もね、もうハナから喧嘩腰の物言いをする人なんです。

思うのですけれどね、人間って、外から刺激がなきゃ、自分のいまの状態も、自分がどう感じているのかも、わからないじゃないですか。
一番わかりやすいのが、あるものを取り上げられることですよね。取り上げられて、初めて、自分が何を持っていたかわかる。反対されてみて、自分の考えがわかる。行く手をふさがれて、どっちへ行きたかったかわかる。

だけど、それっていつも入り口なんですよね。
小さい子だって、自分がそれまで見向きもしなかったおもちゃで別の子が遊び出すのを見たら、あわてて取り返す。お母さんが「貸してあげなさい」とでも言おうものなら、ひっくり返って泣くわけです。で、そのおもちゃでしばらく遊んでいても、じきに飽きてしまう。

そこから、自分が好きなもの、自分がやりたいこと、自分の考え、というものを作り上げていくのは、自分自身なんです。そうして、それはもう時間だってかかるし、同じことを死にそうになるくらいくりかえさなきゃいけないし、失敗だってするし、人からけなされるし、バカにされるし、もうやめてやる、なんて思いながら、それでもしがみついて続けていって、やっと、あ、なんか、これ、好きかも、ぐらいになるものなんだと思うんです。だけど、そこからどこかに出られるかどうかもわかんないんですが。

そういうことをしない人は、外からの刺激を待つしかない。外からの刺激さえあれば、とりあえず、「自分」がはっきりするから。
買い物なんて、一番手っ取り早い刺激と充足かもしれません。
あと、恋愛とか。たまに、相手が自分を好きかどうか、そればっかり気にしてる子を見るのですが、おそらくそういう子が求めているのは、相手ではなくて「刺激」なんだろうな、と思います。

もめ事が好きな人って、おそらく自分を楽しませるものをほとんど持ってない人なんだろうと思います。恋愛依存と同じですよね。
きっともめ事に首をつっこんでるとき、って、「ああ、生きてる」って実感できるんですよ、きっと。

mrcmsさんだったら、ばくぜんと内にある「音」が、外に出て、「曲」というかたちになって、「ああ、生きてる」って実感するのでしょうか。
わたしもね、本を読んでて、これ、どういうことだろう、どういうことだろう、って考えて、ふっと、ああ、これ、こういうことなんだ、こういうふうに考えればいいんだ、って気がついたら、目の前がぱっと開けるような感じがして、「ああ、生きてる」って実感するんですよね(えらく簡単だなあ)。
きっと、そんな人は、人の怒鳴り声を聞きながら、自分の身を怒りにゆだねてるときに、同じように感じてるんでしょう。なんだかかわいそうだ(笑)。

だけどね、わたしもやっぱり「人は怒らせてもいいことはひとつもない」って、これだけのことに気がつくまで、二十年くらいかかってる(笑)。
昔は、というか、ついこのあいだまで、腹が立ったら挑発的な物言いをして、自分の怒りをそのまま相手にぶつけてました。これが自分の怒りなんだ、って、怒ってる自分を見ろ! みたいに。あたかも怒ることが自分の正当な権利みたいに。
バカだったなあ、って思いますよ、つくづく。いまだってやっぱり怒りっぽいんですけどね。だけど、ああ、やばいやばい、怒ってるじゃんあたし、って気がつくぐらいにはなりました。
ほんと、怒りが生むのは相手の怒りだけなんですよね。

> こういった係争ごとは仲間がいると何かと心強いものですね。

ほんとうに、その気持ちはよくわかります。
そうして、もし共闘した方が有利になるのだったら、そこは割り切って協力だってすればいいかな、と思います。だけど、その結果、もっと深く関わることになったらそれはそれで困るし……。一概には言えないけれど、ほんと、うまくいくといいですね。

> この裁判が終わったら、僕はどちらとも一切縁を切ろうと思っています。

わたしは全然わからないんですが、ひとつ思ったのは、いまどうしてもつけなきゃいけないわけではない決着は、いまつける必要はないんじゃないか、って思うんです。
人間、どう転がるかわからない。気持ち的には距離を置きたい、というのもすごくよくわかるのですが、人を嫌うというのもエネルギーのいることでしょ。だから、すっきりさせず、放っておいていい人だったらそうしておいたほうが、まあ、いいかなあ、って。
縁を切るのはいつだってできますからね。

人間の関係って、なかなかすっきりいかない。
だけど、すっきりいかないからこその世の中なんだろうなあ、って思います。

> 一生そういうこと続けるんでしょうか。

きっとそうなんでしょうね。
だけど、そういう生き方も、あり、なんでしょう。
わたしはしたいとは思いませんが。

書きこみ、ありがとうございました。
mrcmsさんの裁判がうまくいきますように。

また遊びに来てくださいね。
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