陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

「静寂よ、叫べ」 フレドリック・ブラウン

2012-05-21 22:36:07 | 翻訳
アメリカのショート・ミステリをひとつ翻訳します。中学生の頃、すっごく好きな話で、どこかで原文が見つかればいいなあ、と思っていたら、見つかったので。
ごくごく短いものなので、二日で訳せたらいいなあ、なんて思ってます。





Cry Silence

(「静寂よ 叫べ」)



by Fredric Brown


 例の音にまつわる昔ながらのくだらない議論だった。聞く人もない森の中で木が倒れるときは、音もなく倒れるのだろうか。聞く耳のないところに音は存在するのだろうか。私は大学教授がこの議論をしていたのを耳にしたこともあれば、道路を掃除している男たちが話し合っているのを聞いたこともある。

 今回議論していたのは、小さな駅の駅員とつなぎの作業着姿の太った男だった。なまあたたかい夏のたそがれ時のことで、プラットフォームに面した裏手の窓が開いており、駅員はその窓枠に肘をのせ、くつろいでいる。太った男は建物の赤レンガにもたれていた。ふたりの間で議論は、ミツバチがブンブンいいながら円を描いて飛ぶような調子で、だらだらと続いている。

 私は三メートルほど離れた木のベンチにすわっていた。見知らぬ土地で、遅れている電車を待っている。もう一人、男がいた。同じベンチに私と並んで、窓に近い側に腰を下ろしていた。背の高い、がっしりした体つきの、いかつい顔の男で、大きくて毛むくじゃらの手をしている。都会風の身なりをした農夫に見えた。

 議論にも男にも、興味は湧かなかった。気にかかることはただひとつ、いまいましい電車がどれくらい遅れるのか、そのことだけだった。

 私は腕時計をはめていなかった。街で修理に出していたのである。私のすわっている場所からは、駅舎の中にある時計が見えなかった。隣の背の高い男は腕時計をしていたので、いま何時ですか、とたずねた。

 男は返事をしない。

 その場の情景がわかってもらえただろうか。私たちは四人。プラットフォームに出ているのが三人と、窓から身を乗り出している駅員である。議論は駅員と太った男の間で交わされている。ベンチには黙ったままの男とこの私。

 私はベンチから立ち上がり、開いたドアから建物の中をのぞいた。七時四十分。電車は十二分の遅れだ。私はため息をつくと、タバコに火を点けた。議論に鼻を突っこむとするか。いらぬおせっかいにはちがいないのだが、私はその答えを知っているし、彼らはそれを知らないのだから。

「差し出口をして申し訳ないが」と私は口を開いた。「あなたがたの意見が食い違っているのは、音の問題じゃないんだよ。議論してるのは意味論の問題なんだ」

 きっとどちらか一方が「意味論」とは何かと聞いてくるだろうと待ちかまえていたところ、駅員の言葉は予想外のものだった。彼はこう言ったのだ。

「そいつは言葉の学問のことでしょ? 確かに、ある面ではそういうことでしょうよ」

「全面的にそういうことだよ」と私は引かなかった。「『音』という言葉を辞書で引くと、二種類の意味が載っている。ひとつは『一定の範囲内における媒体、通常は空気などの振動』。もうひとつは『その振動によって生じた波動を聴覚器官が感じ取ったもの』ということだ。実際にその通りに書いてあるわけじゃないが、だいたいのところ、そういった意味なのさ。ってことは、最初の定義によれば、音は、つまり振動は、あたりにそれを聞く耳があろうがなかろうが存在する。だが、もうひとつの定義では、振動は、それを聞きとどける耳がないところでは『音』とはいえない、ということだ。つまり、おふたりさんはどちらも正しい。『音』という言葉に、どちらの意味を持たせるかってことなんだな」

 太った男が言った。「なるほど、もっともだな」そうして駅員を振り返った。「こいつは引き分けってことにしようや、ジョー。そろそろ家に帰らなきゃ。じゃあな」

 男はプラットフォームからおりて、駅の向こうへ歩いていった。

 私は駅員に聞いた。「電車のことで何か報告は届いてないか?」

「何も」駅員は答えた。それから窓にいっそう身を乗り出して右の方向を見やったので、わたしもそちらに目をやると、一ブロックほど先に、時計つきの塔が見えた。わたしはそれまで気がつかなかったのだ。「もうじき来ることになってます」

 駅員はにやりと私に笑いかけた。「音の専門家、ってとこですか?」

「うーん」と私は言った。「ちょっとちがうな。たまたま辞書で調べたことがあったんだ。それで、言葉の意味を知ったのさ」

「なるほどね。でもね、さっきの二番目の定義でいくと、音ってものはそれを聞く耳があってこそ、音なんですよね。で、木が森の中で倒れたときに、耳の聞こえない人間しかそこにいなかったとします。そのときは、音はあるって言えるんですかね?」

「ない、と言えるんじゃないかな」と私は言った。「音を主観的なものと考えるなら、存在しない」

 何の気なしに右を見ると、背の高い男が目に入った。先ほど時間を聞いても答えなかった男だ。彼は依然としてまっすぐ前を向いている。いくぶん声をひそめて、私は駅員に聞いてみた。「耳の不自由な人なのかい?」

「あの男ですか? ビル・マイヤーズのこと?」駅員は含み笑いをもらしたが、その笑い声にはどこかしら奇妙な響きがこもっていた。「お客さん、そいつが誰にもわからないんですよ。だからこそ、これからお客さんに聞こうと思ってたんだ。森の中で木が倒れます。男がそこにいるんだが、そいつの耳が聞こえるかどうか、誰にもわからない。となると、音は存在するのか?」

 彼はずいぶん大きな声でしゃべっていた。私はあっけにとられて駅員をまじまじと見た。頭が少しおかしいんだろうか。それとも議論にばかげた穴を見つけて、なんとか続けようとしているだけなのだろうか。

 私は言った。「もし誰も彼の耳が不自由かどうかわからないのなら、音があったかどうかもわからないわけだ」

 すると駅員はこう言った。「そりゃちがいます、お客さん。そいつはおそらく自分が音を聞いたかどうかはわかってるんです。たぶん、木の方だって、わかってるんじゃないかなあ。おまけにほかの人間にだってわかってるんだ」

「肝心なところがよくわからないんだが。君は何を明らかにしようとしているのかね?」

「人殺しですよ。お客さん、あんたいままで人殺しの隣にすわってたんだ」



(この項つづく)



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1 コメント

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ぉぃぉぃ (helleborus)
2012-05-24 00:03:58
こんな気がかりなところで何日とめるんだ!?
日刊だと思っていたのにぃ~
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