陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

サキ「返品可能で販売中」その1.

2011-03-08 23:09:39 | 翻訳
第三回目は、前二作とまた少し変わった雰囲気の話です。
原文は"ON APPROVAL"で読むことができます。




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ON APPROVAL (「返品可能で販売中」)

by Saki (H. H. Munro)


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その1.


 ソーホーのアウル・ストリートにあるレストラン・ニュルンベルクには、ボヘミアン気取りの連中が集っている。そこにときおり、正真正銘のボヘミアンがふらりとやってくるのだが、その中でもゲプハルト・クノプフシュランクほど、興味深く、なおかつ得体の知れない人間は、誰も見たことがなかった。

彼には友だちがひとりもいない。レストランの常連全員とつきあいはあったが、その関係を、ドアの外、アウル・ストリートやその先まで続けていく気は、まったくなさそうだった。しかもそのつきあいというのが、まるで市場で商いをする女が通行人に相対するようなもの。商売物を見せながら、いい天気だねえ、とか、こう景気が悪くちゃねえ、とか、あたしもリューマチがひどくって、などという話はするが、客の日常生活に立ち入ったり、ひそかに抱いている野心を分析したりするようなことは決してないものだが、彼の場合もそれとまったく同じだった。

 話によれば、なんでも彼はドイツ北部、ポメラニアの百姓の家の出らしい。わかっていることをすべてつなぎあわせると、二年ほど前にブタやガチョウの面倒を見る仕事と責任を放りだして、ロンドンで画家として一旗あげようと目論んだものらしい。

「どうしてパリやミュンヘンではなくて、ロンドンだったんだい?」彼はつねづね、おせっかいな連中からそう聞かれたものだった。

 実のところ、シュトルプミュンデ港からロンドンへ月に二度出航する船が、客船ではないために安く乗ることができた、というだけの話なのである。ミュンヘンにせよ、パリにせよ、汽車賃は安いものではなかった。それだけの理由で、彼は果敢な冒険の舞台にロンドンを選んだのである。

 レストラン・ニュルンベルクで長いこと真剣に議論されたのは、このガチョウ飼い上がりの移民が、真に魂を揺さぶるような天才、翼を広げて光に向かって羽ばたいてゆける逸材なのか、はたまた単に、自分に絵が描けると思いついただけの向こう見ずな若者、ライ麦パンの食事と、砂とブタにおおわれたポメラニア平原の単調なことを思えば無理もない話だが、そこから逃げ出すことだけを夢見た青年なのか、ということだった。

事実、みんなが疑いを抱き、慎重になるのも、理由のないことではなかった。
この小さなレストランには、ずいぶん大勢の芸術家が集まるのだが、自分こそ音楽や詩や絵、演劇に対する並はずれた才能のもちぬしであると主張しながら、その主張を裏付ける証拠の品を、ほとんど、もしくはまったく持っていない、髪の短い若い娘や髪の長い青年なら掃いて捨てるほどいたのである。彼らのただ中に現れた「自称天才」が疑われるのも、いわば自然の摂理といえよう。

だが一方で、天才とつきあいながらその才能に気がつかず、バカにしているのではないか、という危惧とは隣り合わせでもある。現に、スレドニという悲劇的な実例があるではないか。

スレドニは劇詩人で、アウル・ストリートという劇場にあっては、見くびられ、鼻であしらわれるという評価を受けていた。ところが、のちにコンスタンティン・コンスタンティノヴィッチ大公によって、“偉大なる詩人”と賞揚されたのである。ちなみにこのコンスタンティノヴィッチ大公とは、シルヴィア・ストラブルによれば「ロマノフ家最大の教養」ということである。さらに言うと、このシルヴィア・ストラブルなる女性は、ロシア王室一族についてなら、ひとりひとりに至るまで詳しくしっていることで名高い人物なのだが、その実、彼女が知っているのはたったひとりの新聞社通信員、「ボルシチ」をあたかも自分が発明した料理であるかのように食べる若い男だけだった。

ともかく、このスレドニの『詩集 死と情熱』は現在ヨーロッパの七つの言語で千部が売れ、さらにシリア語に翻訳されるところである。こうなってみればレストラン・ニュルンベルクの眼力高き批評家の面々も、みずからの軽々かつ粗忽な判断に、恥じ入るほかなかったのだった。





(この項つづく)








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