【※画像は本文と関係ありません】
今日思い立って買ったチョコエッグで、マリオが当たった!
ワリオとかファイヤーフラワーの可能性だってあったのに、マリオなんて大当たり!
つぎはルイージが当たらないかな。
その7.
フェレンチ先生はつぎの日もやってきたが、少し感じがちがっていた。髪の毛をおさげにして両側にたらし、先から三センチぐらいのところを赤いゴムできつく結わえていた。緑色のブラウスにピンクのスカーフを巻いているせいで、なんだか授業のあいだじゅう見ているのがつらい感じだった。今日は読解の授業だの算数だのと、そんなものをやるふりはいっさいしなかった。始業ベルがなるとすぐに、先生はいきなり話を始めたのだ。
四十分間、先生はぶっ通しで話した。話のあいだにほとんどなんのつながりもなさそうだったが、話それ自体は、あの辞書に書いてあったとおり、不思議な(fabulous)ものばかりだった。
とんでもなく大きな宝石の話を聞いたことがあるの。対蹠地(という言葉を先生は使った)にその宝石はあってね、ある角度から光が差しこむと、その中心を見た人はだれでも目が見えなくなってしまうのよ。こんな話もあるわ。世界一大きなダイアモンドは呪われていて、それを所有した人はみんな死んでしまうの。ところがそれは運命のいたずらで、“希望のダイアモンド”と呼ばれてるの。ダイアモンドにはどれも魔力があるのよ。だから女の人は指にはめるの、女らしさという魔力のしるしにね。男は強さを持ってるけど、ほんとうの魔力は持ってない。だから男は女に恋をするけれど、女が男に恋をすることはないのよ。ただ愛されることが好きなだけ。ジョージ・ワシントンが死んだのは、ダイアモンドのことで過ちを犯してしまったからなの。ワシントンはほんとうの初代大統領じゃないのよ(だが、それが誰だったかは言わなかった)。世界には、男も女も木の上に住んでいて、朝食にサルを食べているようなところもあるのよ。そこでは呪術師がお医者さんなの。海の底の生き物は、パンケーキみたいに薄っぺらで、科学者たちも未だに研究することができないの。だってその魚を引き上げて空気に触れさせると、破裂してしまうから。
教室は、フェレンチ先生の声と、ドナ・デシャーノが咳をするほかは、物音一つしなかった。トイレに行こうとする子さえいなかった。
ベートーヴェンは――先生の話は続いた――耳が聞こえなかったわけではないの。有名になるための策略で、それがうまく当たったのよ。話すにつれて、フェレンチ先生のおさげは前後に揺れた。世界には肉食の木があるの。その葉っぱはねばねばしていて、ちょうど手を合わせるみたいに、虫を捕まえちゃうのよ。そう言いながら両手を上げて、手のひらをぱたんと合わせてみせた。金星のことをほとんどの人は、太陽から二番目の位置にある惑星だと思っているけれど、いつもそんなに近いわけじゃないのよ。それに金星はものすごく謎の多い惑星なの。厚い雲に覆われてるから。
「でもね、わたしは雲の下に何があるのか知ってるの」フェレンチ先生はそう言って言葉を切った。それから「天使たち。天使が雲の下に住んでるの」それから先生は、天使は誰もに見えないわけではなく、実際には人びとが考えているより利口なのだと教えてくれた。天使たちはよく言われるように、ローブのようなものを着ているわけではないの。もっとフォーマルなイヴニング・ドレスのようなものを着ているのよ、ちょうどコンサートにでも行くように、と。ときどき天使がコンサートにやって来て、通路に腰かけていることもあるの。そんなところにいる彼らをたいていの人は気にも留めないけれど。でもね、何よりもおそろしいのはスフィンクスの姿をした天使。「誰もその天使からは逃れられないの」
オハイオ州の地表のすぐ下には消すことのできない火が燃えているのよ。モーツァルトは赤ちゃんの時に、初めてトランペットの音を聞いて、ゆりかごのなかで気を失ったの。ナージム・アル・ハラーディムという人は、歴史上最大の作家だったのよ。惑星は人の行動をコントロールしていて、日食のときに受胎した人はみな、足に水かきのある子供を産むことになるの。
「あなたがた子供は、こんな話を聞くのが大好きだということをわたしは知っています。」彼女は言った。「こんな秘密の話。だからわたしがこんな話をしているの」ぼくたちはうなずいた。こんな話を聞くのは、読解の教科書の「広い視野」の問題を解くよりずっと楽しかった。
「最後にもうひとつだけお話をしてあげるわ」と先生は言った。「それから算数の問題に取りかかることにしましょう」
フェレンチ先生は身を乗り出し、低い声で言った。「死は存在しないのです。恐れてはなりません。決してね。死ぬことなどありえない。地上やあの世で様態が変化するだけなのよ。わたしにはこれが、わたしがみなさんの前に立っているくらい、確かなことなんです。誓ってもいいのよ。だから恐れてはだめ。わたしはこの真実をこの目でみたの。夢のなかで神様がキスしてくれたから、それがわかったわ。ここに」そうして先生は右の人差し指で、口の両端からまっすぐに下に伸びる二本の線を示した。
うわのそらのまま、ぼくたちは算数の問題を解いた。休憩時間になると、クラスの子供たちは運動場に出たが、だれひとり遊びはしなかった。ぼくらはみな数人ずつのグループに分かれて、フェレンチ先生の話をした。ぼくたちには、彼女の頭がおかしいのかどうか判断がつかなかった。ぼくは校庭の向こうに目をやり、ウルシの茂みの向こうに錆びた車が山と積み上げられているのを眺めた、そこにある車がこっちにやってくればいい、と思い、それが見たいと思った。
(この項つづく:たぶんあと二回で終わります)
今日思い立って買ったチョコエッグで、マリオが当たった!
ワリオとかファイヤーフラワーの可能性だってあったのに、マリオなんて大当たり!
つぎはルイージが当たらないかな。
* * *
その7.
フェレンチ先生はつぎの日もやってきたが、少し感じがちがっていた。髪の毛をおさげにして両側にたらし、先から三センチぐらいのところを赤いゴムできつく結わえていた。緑色のブラウスにピンクのスカーフを巻いているせいで、なんだか授業のあいだじゅう見ているのがつらい感じだった。今日は読解の授業だの算数だのと、そんなものをやるふりはいっさいしなかった。始業ベルがなるとすぐに、先生はいきなり話を始めたのだ。
四十分間、先生はぶっ通しで話した。話のあいだにほとんどなんのつながりもなさそうだったが、話それ自体は、あの辞書に書いてあったとおり、不思議な(fabulous)ものばかりだった。
とんでもなく大きな宝石の話を聞いたことがあるの。対蹠地(という言葉を先生は使った)にその宝石はあってね、ある角度から光が差しこむと、その中心を見た人はだれでも目が見えなくなってしまうのよ。こんな話もあるわ。世界一大きなダイアモンドは呪われていて、それを所有した人はみんな死んでしまうの。ところがそれは運命のいたずらで、“希望のダイアモンド”と呼ばれてるの。ダイアモンドにはどれも魔力があるのよ。だから女の人は指にはめるの、女らしさという魔力のしるしにね。男は強さを持ってるけど、ほんとうの魔力は持ってない。だから男は女に恋をするけれど、女が男に恋をすることはないのよ。ただ愛されることが好きなだけ。ジョージ・ワシントンが死んだのは、ダイアモンドのことで過ちを犯してしまったからなの。ワシントンはほんとうの初代大統領じゃないのよ(だが、それが誰だったかは言わなかった)。世界には、男も女も木の上に住んでいて、朝食にサルを食べているようなところもあるのよ。そこでは呪術師がお医者さんなの。海の底の生き物は、パンケーキみたいに薄っぺらで、科学者たちも未だに研究することができないの。だってその魚を引き上げて空気に触れさせると、破裂してしまうから。
教室は、フェレンチ先生の声と、ドナ・デシャーノが咳をするほかは、物音一つしなかった。トイレに行こうとする子さえいなかった。
ベートーヴェンは――先生の話は続いた――耳が聞こえなかったわけではないの。有名になるための策略で、それがうまく当たったのよ。話すにつれて、フェレンチ先生のおさげは前後に揺れた。世界には肉食の木があるの。その葉っぱはねばねばしていて、ちょうど手を合わせるみたいに、虫を捕まえちゃうのよ。そう言いながら両手を上げて、手のひらをぱたんと合わせてみせた。金星のことをほとんどの人は、太陽から二番目の位置にある惑星だと思っているけれど、いつもそんなに近いわけじゃないのよ。それに金星はものすごく謎の多い惑星なの。厚い雲に覆われてるから。
「でもね、わたしは雲の下に何があるのか知ってるの」フェレンチ先生はそう言って言葉を切った。それから「天使たち。天使が雲の下に住んでるの」それから先生は、天使は誰もに見えないわけではなく、実際には人びとが考えているより利口なのだと教えてくれた。天使たちはよく言われるように、ローブのようなものを着ているわけではないの。もっとフォーマルなイヴニング・ドレスのようなものを着ているのよ、ちょうどコンサートにでも行くように、と。ときどき天使がコンサートにやって来て、通路に腰かけていることもあるの。そんなところにいる彼らをたいていの人は気にも留めないけれど。でもね、何よりもおそろしいのはスフィンクスの姿をした天使。「誰もその天使からは逃れられないの」
オハイオ州の地表のすぐ下には消すことのできない火が燃えているのよ。モーツァルトは赤ちゃんの時に、初めてトランペットの音を聞いて、ゆりかごのなかで気を失ったの。ナージム・アル・ハラーディムという人は、歴史上最大の作家だったのよ。惑星は人の行動をコントロールしていて、日食のときに受胎した人はみな、足に水かきのある子供を産むことになるの。
「あなたがた子供は、こんな話を聞くのが大好きだということをわたしは知っています。」彼女は言った。「こんな秘密の話。だからわたしがこんな話をしているの」ぼくたちはうなずいた。こんな話を聞くのは、読解の教科書の「広い視野」の問題を解くよりずっと楽しかった。
「最後にもうひとつだけお話をしてあげるわ」と先生は言った。「それから算数の問題に取りかかることにしましょう」
フェレンチ先生は身を乗り出し、低い声で言った。「死は存在しないのです。恐れてはなりません。決してね。死ぬことなどありえない。地上やあの世で様態が変化するだけなのよ。わたしにはこれが、わたしがみなさんの前に立っているくらい、確かなことなんです。誓ってもいいのよ。だから恐れてはだめ。わたしはこの真実をこの目でみたの。夢のなかで神様がキスしてくれたから、それがわかったわ。ここに」そうして先生は右の人差し指で、口の両端からまっすぐに下に伸びる二本の線を示した。
うわのそらのまま、ぼくたちは算数の問題を解いた。休憩時間になると、クラスの子供たちは運動場に出たが、だれひとり遊びはしなかった。ぼくらはみな数人ずつのグループに分かれて、フェレンチ先生の話をした。ぼくたちには、彼女の頭がおかしいのかどうか判断がつかなかった。ぼくは校庭の向こうに目をやり、ウルシの茂みの向こうに錆びた車が山と積み上げられているのを眺めた、そこにある車がこっちにやってくればいい、と思い、それが見たいと思った。
(この項つづく:たぶんあと二回で終わります)
先ほど、書き込みを拝見したのですが、自分の脳内で、「もっと勉強をしたい」という言葉を改めて書き直した気分です。
本当に有り難うございます。
「フェア」、ですよね。
狡いとというのとは少し違うかな、と思っていたのですが、説明を聞いてなんとなくその感覚がわかりました。
よく考えたんですが日本語の日常会話にちょっとないニュアンスなんですよね。私も「不公平」という言葉には抵抗があります。「ずるい」、これが一番当てはまってるのかもしれません。
早くもっと勉強しながら年齢を重ねていきたいです。
そして貴方みたいに素敵なサイトが作れたらな、と思いました。
ご迷惑になるかもしれませんがまた伺わせていただきます!!!!
本の読み方って、年に応じて変わっていくものだと思います。
わたしが『罪と罰』を初めて読んだのは小学生のときだったのだけれど、なんだか長いし、途中から飽きてしまって、江戸川乱歩の『心理試験』のほうがよっぽどおもしろいなあ、と思ったものでした。
で、高校のときに読み直してみて、おしまいの方で、なんてすごいんだ、って、胸がふるえるような感じがしたんだけど、それでも自分がどこにどう感動したのか、よくわかりませんでした。
それから大学の時に読み直して、ちょっと前にまた読み直してみて、そのたびごとに読み方がまるで変わっている。その本の中から自分が取り出せるものがすこしずつくっきりとした、具体的なものになってきているのがわかります。
本のなかから何を取り出すかというのは、その人次第なんだなあ、って。
だからゆめさんの読み方も、きっとどんどん変わっていくでしょう。
> 自分の脳内で、「もっと勉強をしたい」という言葉を改めて書き直した気分です。
こう言っていただいたのがなによりうれしく思います。
わかった、って思ったら、そのことに対しては、そこでおしまい。だけど、もっと勉強したいと思っているかぎり、その人は伸びていけるって思うんです。
たぶんそうしているかぎり、自分が自分に飽きることはないだろうって思います。
自分が自分に飽きちゃうなんて、それこそサイテーですもんね。
もうゴメンナサイはやめましょう。
ふだん、小学生とこんなふうに対等に話せる経験はないので、わたしもうれしいんです。
自分の小学生のころも思い出せるし。
ゆめさんも、本をいっぱい読んで、それだけじゃなくて、楽しい経験をいっぱい重ねて、友だちと遊んだり、おしゃべりしたり、いろんなことをいっぱい感じ取っていってください。
また遊びにきてくださいね。