その8.
「さあ、ここまで来たよ」とランディは言った。「君の脳は今や容器の中にある。もちろん生きていて、これから先、長期にわたって生き続けることができないという根拠はどこにもない。もちろんぼくたちが血液と人工心臓の面倒を見るからこそ、なのだが」
「だが、機能という面ではどうなのかな」
「ウィリアム、そんなことがどうしてぼくにわかる? 君の脳が意識を取り戻すかどうかすらぼくには何とも言えないんだよ」
「もし意識を取り戻したら?」
「そりゃ最高さ! すごいじゃないか!」
「そうなるだろうか?」私は自分でも疑問に思っていたことは認めねばなるまい。
「もちろんそうなるんだ! そこに浮かんだまま思考プロセスがすべて順調に動き出し、君の記憶もまた……」
「ものを見ることも、何かを感じることも、においをかぐことも、音を聞くことも、話すこともできないがね」と私は言った。
「ああ!」彼は大きな声を出した。「何か忘れてると思ってたんだ! まだ目のことを話してなかったな。いいかい。視神経は完全なまま、残しておこうと考えているんだ。もちろん、眼も一緒にね。視神経というのはちっぽけなもので、厚さがだいたい体温計くらい、長さも5センチほどしかないのが、脳と眼の間を渡っているんだ。視神経の利点というのは、実は一本の神経ではない、ということだ。視神経というのは、脳そのものが外側に飛びだした嚢のようなもので、硬膜や脳膜もそれに沿うように伸びていき、眼球とつながっている。だから眼の裏側は脳に隣接していて、脳脊髄液もすぐそこまで流れている。
「何もかもがぼくの目的にかなってるのさ。だから君の眼の片方を温存しておくことができると考えるのも、合理的と言えるだろう。ぼくはね、もう小さなプラスティック・ケースを作っておいたんだよ、君の眼窩の代わりに目玉を収めておくための、ね。だから脳をリンゲル液の中に沈めると、ケースに入った眼球は、溶液の表面に浮かぶんだ」
「天井をにらみながら、な」と私は言った。
「そういうことだ。生憎、眼の周りでそれを動かす筋肉というものがないからな。とはいえ、容器の中にじっと横たわって、おとなしく心穏やかに世間を眺めるというのも、愉快なものじゃないか?」
「最高だね」と私は言った。「耳もひとつぐらい残しておいちゃもらえないのかね?」
「今の段階では耳を試すわけにはいかない」
「耳がほしい」と私は言った。「耳はどうしても必要だ」
「ダメだ」
「バッハが聴きたいんだ」
「君はそれがどれだけ困難なことかわかってない」ランディは静かにそう言った。「聴覚器官――蝸牛と呼ばれる箇所だが――というのは、眼よりもはるかに繊細なからくりなんだよ。なによりも聴覚器官は骨ですっぽりと包まれている。脳とつながっている聴神経の一部も同じだ。無傷のまま骨鑿を使って聴覚器官をすっぽりと取り出すことは、無理な話だよ」
「骨におおわれたままで、その骨ごと容器の中に移すことはできないのか?」
「それはできない」ぴしりとそう言った。「もういまだって充分すぎるくらい複雑なんだから。それに、何にせよ眼が働くのであれば、君の聴覚などたいした問題じゃないよ。いつだって君のために読む物を置いてやろう。実際、何が可能で何が不可能なのか、決定するという作業は、ぼくにまかせてもらいたい」
「そうしてもいいとはまだ一言も言ってないが」
「君はやるさ、ウィリアム。わかってるよ」
「その思いつきがそんなにすばらしいとは思えないがね」
「死んだままでいいのか、これから先ずっと」
「たぶんその方がいいんだろう。まだよくわからないが。口を利くこともできないんだろうね?」
「もちろん無理だ」
「じゃあ、どうやって君と意思疎通ができるというんだ? 私の意識がどうなっているか、君にどうやってわかるというんだね?」
「簡単なことさ、君が意識を取り戻したかどうかを知ることなんて」ランディは言った。「ふつうの脳波計を使えばいいだけのことだ。水の中の君の脳の前頭葉に、直接電極を取り付けたらいいんだ」
「それで実際にわかるのかね?」
「あたりまえじゃないか。どこの病院だってそんなことぐらいやってるさ」
「だが、それじゃ君とコミュニケイトしていることにはならんだろう」
「実を言うと」とランディは言った。「君ならできると思っているんだ。ロンドンにウェルトハイマーという男がいるんだが、彼は思考伝達というテーマで、興味深い業績をいくつかあげている。で、ぼくもずっとつきあいがあるんだ。思考中の脳は放電活動をおこない、かつ、化学物質を放出していることは君も知っているだろう? そうしたものは波動となって放出されている、ちょうど電波のようにね」
「そのことなら多少は知っているつもりだ」と私は言った。
(この項つづく)
「さあ、ここまで来たよ」とランディは言った。「君の脳は今や容器の中にある。もちろん生きていて、これから先、長期にわたって生き続けることができないという根拠はどこにもない。もちろんぼくたちが血液と人工心臓の面倒を見るからこそ、なのだが」
「だが、機能という面ではどうなのかな」
「ウィリアム、そんなことがどうしてぼくにわかる? 君の脳が意識を取り戻すかどうかすらぼくには何とも言えないんだよ」
「もし意識を取り戻したら?」
「そりゃ最高さ! すごいじゃないか!」
「そうなるだろうか?」私は自分でも疑問に思っていたことは認めねばなるまい。
「もちろんそうなるんだ! そこに浮かんだまま思考プロセスがすべて順調に動き出し、君の記憶もまた……」
「ものを見ることも、何かを感じることも、においをかぐことも、音を聞くことも、話すこともできないがね」と私は言った。
「ああ!」彼は大きな声を出した。「何か忘れてると思ってたんだ! まだ目のことを話してなかったな。いいかい。視神経は完全なまま、残しておこうと考えているんだ。もちろん、眼も一緒にね。視神経というのはちっぽけなもので、厚さがだいたい体温計くらい、長さも5センチほどしかないのが、脳と眼の間を渡っているんだ。視神経の利点というのは、実は一本の神経ではない、ということだ。視神経というのは、脳そのものが外側に飛びだした嚢のようなもので、硬膜や脳膜もそれに沿うように伸びていき、眼球とつながっている。だから眼の裏側は脳に隣接していて、脳脊髄液もすぐそこまで流れている。
「何もかもがぼくの目的にかなってるのさ。だから君の眼の片方を温存しておくことができると考えるのも、合理的と言えるだろう。ぼくはね、もう小さなプラスティック・ケースを作っておいたんだよ、君の眼窩の代わりに目玉を収めておくための、ね。だから脳をリンゲル液の中に沈めると、ケースに入った眼球は、溶液の表面に浮かぶんだ」
「天井をにらみながら、な」と私は言った。
「そういうことだ。生憎、眼の周りでそれを動かす筋肉というものがないからな。とはいえ、容器の中にじっと横たわって、おとなしく心穏やかに世間を眺めるというのも、愉快なものじゃないか?」
「最高だね」と私は言った。「耳もひとつぐらい残しておいちゃもらえないのかね?」
「今の段階では耳を試すわけにはいかない」
「耳がほしい」と私は言った。「耳はどうしても必要だ」
「ダメだ」
「バッハが聴きたいんだ」
「君はそれがどれだけ困難なことかわかってない」ランディは静かにそう言った。「聴覚器官――蝸牛と呼ばれる箇所だが――というのは、眼よりもはるかに繊細なからくりなんだよ。なによりも聴覚器官は骨ですっぽりと包まれている。脳とつながっている聴神経の一部も同じだ。無傷のまま骨鑿を使って聴覚器官をすっぽりと取り出すことは、無理な話だよ」
「骨におおわれたままで、その骨ごと容器の中に移すことはできないのか?」
「それはできない」ぴしりとそう言った。「もういまだって充分すぎるくらい複雑なんだから。それに、何にせよ眼が働くのであれば、君の聴覚などたいした問題じゃないよ。いつだって君のために読む物を置いてやろう。実際、何が可能で何が不可能なのか、決定するという作業は、ぼくにまかせてもらいたい」
「そうしてもいいとはまだ一言も言ってないが」
「君はやるさ、ウィリアム。わかってるよ」
「その思いつきがそんなにすばらしいとは思えないがね」
「死んだままでいいのか、これから先ずっと」
「たぶんその方がいいんだろう。まだよくわからないが。口を利くこともできないんだろうね?」
「もちろん無理だ」
「じゃあ、どうやって君と意思疎通ができるというんだ? 私の意識がどうなっているか、君にどうやってわかるというんだね?」
「簡単なことさ、君が意識を取り戻したかどうかを知ることなんて」ランディは言った。「ふつうの脳波計を使えばいいだけのことだ。水の中の君の脳の前頭葉に、直接電極を取り付けたらいいんだ」
「それで実際にわかるのかね?」
「あたりまえじゃないか。どこの病院だってそんなことぐらいやってるさ」
「だが、それじゃ君とコミュニケイトしていることにはならんだろう」
「実を言うと」とランディは言った。「君ならできると思っているんだ。ロンドンにウェルトハイマーという男がいるんだが、彼は思考伝達というテーマで、興味深い業績をいくつかあげている。で、ぼくもずっとつきあいがあるんだ。思考中の脳は放電活動をおこない、かつ、化学物質を放出していることは君も知っているだろう? そうしたものは波動となって放出されている、ちょうど電波のようにね」
「そのことなら多少は知っているつもりだ」と私は言った。
(この項つづく)
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