陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

火事の思い出(後編)

2009-01-28 22:53:51 | weblog
わたしの避難していた場所からは、煙だけで火が見えることはなかった。放水はすべてベランダ側から行われたのだ。鎮火してから玄関の扉を開けたのだろう、水が非常階段を伝って滝のように流れていた。わたしは自分の部屋が気になって、ホースを巻いたりして後かたづけに入っている消防士さんに、上の階の者ですが、もう部屋に入って大丈夫でしょうか、と声をかけた。

わたしが尋ねた消防士さんは、指揮者とおぼしき人に確認をとると、その人は、火は治まったから入れるだろうが、煙がまだ残っているので、窓は決して開けないように、あと、頭が痛くなったりしたら、すぐ退出するように言われた。それだけでなく、消防士さんがひとり、部屋までついてきてくれた。

部屋に戻ると、窓を閉めていたはずだったのに、なかは煙が充満している。いそいでわたしはマスクをかけ、換気扇を回し、廊下側の窓を開け、玄関を全開にして、押入から扇風機を取り出して、家の煙を外に出すことにした。なにしろ二時間もしないうちに仕事に出なければならないのだ。わたしは忙しく働いた。

窓はすすで真っ黒だし、網戸が熱でべろりと溶けている。窓ガラスは熱で一部にひびが入り、ベランダには真っ黒なすすが積もっていた。部屋の中にもすすが入り込んでいるのだろう、白い靴下をはいていたのに、気がつけば黒くなっている。なにより、床が温かい。断熱材が使われていなかったら、と改めて怖ろしくなったのだった。

そうしていると、つぎからつぎへと来訪者がある。隣のおばあさん、おじいさん、管理人と、それだけではない。顔も知らないような人が、どうなったか、とのぞきに来たのには、うんざりだった。そうしているうちに、消防署の現場検証が始まった。

最初に火事を発見したことからいきさつを話し、下の部屋は全焼したが、ほかに類焼はなかったこと、火元は留守で、幸い、けが人もなかったこと、出火原因はまだわからないことなどを聞いた。

一緒にベランダに出てみると、ベランダ全体がすすだらけで真っ黒、下から吹き上がった細かな燃えかすが隅にうずたかく積もっている。ベランダに置いた鉢植えも、きれいに焼け焦げていた。避難するときに窓を閉めて出たのがよかった、開けていたらカーテンが延焼して被害が拡大したかもしれなかった、と言われたときは、実際は煙のことしか考えていなかったのだが、改めて運がよかったと思わずにはいられなかった。窓ガラスは熱で弱くなっているはずだから取り替えた方がいい、と言われたが、実質的な被害はその程度。火事のあった部屋の真下は天井からの漏水で、部屋は水浸しになったらしかった。

まだ洗濯機のなかに入ったままだった洗濯物を部屋の中につるし、床に散っているすすを掃除機で吸って、そのあいだも床が暖かいのを気持ち悪く感じた。一部分、はっきりとそこだけ熱い場所があり、おそらくこの真下が火元だったのだろうと思った。

それから仕事に行くためにアパートを出ると、世界はまったくいつもと変わらない。風は冷たかったが、日差しは明るく、さっきまでのことが現実味を失ったような気がした。確かに目で見、臭いも嗅ぎ、怖ろしい思いもしたのだが、そこから離れ、別の世界に身を置くと、まるでほんとうのことではなかったように思えるのだった。

いつものように電車に乗り、いつものように仕事をして、いつものように戻ってくると、やはりそこは火事の現場だった。きな臭さの残るなかで、薄暗い非常階段に座り込んで、壁に背をもたせかけたまま、放心したような顔をしている人を見た。見たこともない人だったのだが、おそらくこの人が下の階の人なのだろう、と思った。「焦点が合わない目」というのはレトリックではないのだ。じろじろ見るのも申し訳ないような気がして、わたしはすぐに目をそらした。

部屋に戻ると、きな臭さは相変わらずで、窓を開けて換気扇を回しても、目も喉も痛い。ひどい咳が出て、マスクをかけてもおさまらない。腹立たしい思いでいるところに、ドアフォンが鳴った。また野次馬か、と不機嫌な顔をしていたのだと思う。さきほど非常階段で見かけた男の人が立っていた。
「すいませんでした」と頭を下げたが、目が泳いでいる。
この人にとっては、これからが大変なのだ。大きな被害を受けたわけでもないわたしが、いったい何の非難ができよう。
わたしは言うべき言葉も見つからず、「どなたもおけがはなかったんですよね。それだけは不幸中の幸いでしたね」といった、ほとんど意味のないことを言うことしかできなかったのだった。

のちに出火原因はコンセントとプラグのあいだに溜まった埃が原因だと聞いた。あわてて家中のコンセントを点検し、プラグを掃除したのは言うまでもない。

火事を起こしたのがわたしだったかもしれない、とそれから何度も思った。そのたびに薄暗いなか、放心したように非常階段にすわっていた人の姿を思い出した。
周囲の人から、よかったねえ、一歩間違えば死んでいたかもしれなかったのに、と何度も言われたが、そういう気持ちは不思議と起こらなかった。運がよかった、とも言われたが、運がよかったのは、火事を出さなかったことだ、と改めて思ったのだった。




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