陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

芸術家たち その1.

2007-03-26 22:55:31 | 
芸術家たち その1.

小説には、音楽家、画家、もちろん作家など、さまざまな芸術家が登場する。
そうした芸術家は作品のなかでどんな役割を果たしているのだろうか。
描かれた芸術家を見ることで、わたしたちと文学や絵画、音楽などの関わりを、もういちど見直すことができるのではないか。

そういう観点から、描かれた芸術家を見てみたい。

1.なぜ描くか ~藤沢周平『溟い海』

この『溟い海』は藤沢周平が「オール讀物」で新人賞を受賞した、いわゆる「処女作」に当たる作品なのだが、それ以前から同人誌で研鑽を積んできた、四十三歳の作品でもあり、非常に緻密な作品である。

主人公は葛飾北斎。

舞台は1833年、北斎は七十三歳で、富岳三十六景で、衆目を驚かせたが、これも二年前に完結している。名前は売れたが、世間からは盛りは過ぎたとみなされるようになっている。

四十半ばから、憑かれたように耳目を驚かせるようなことをやってきた。
 音羽護国寺の境内で大達磨を描いた。本所合羽干場では馬、両国の回向院で布袋を描いた。評判を聞いて集まった人々が見まもる中で、百二十畳敷の紙をひろげた上に、藁箒で墨絵を描きあげるのである。米粒に、躍動する雀二羽を描いたのもその頃である。指先に隅をなすって描いたり、紙を横にして逆絵を描いたりもした。

 新兵衛は、それを香具師の啖呵にすぎないというのだ。北斎はそれを否定することが出来ない。現実に、そうして得た人気をテコにして、読本の挿絵を描いては第一人者という、評判と地位を手に入れた。効果的に、あくどくやったと自分でも思うことがある。

だが、人気取りだけではなかった。無名でいることに耐えられなかったばかりではない。
 月並みなものに爪を立てたくなるもの、世間をあッと言わせたいものが、北斎の中に動く。北斎ここにあり、そう叫びたがるものが、北斎の内部、奧深いところに棲み、猛々しい身ぶりで歩き回ることをやめない。

こうやって、北斎は「表皮を剥奪」し、「肉を削がれ」たような富士を描いていった。
そこに安藤広重の評判が聞こえてきた。大変な人気だという。北斎は気になってならないのだが、なかなかその版画を見ることができない。そこで弟子たちに聞いてみる。
「お前さん、東海道を見たってかい」
「はあ、見ました」…

「で、どんな風なのだ。お前たちがみた東海道を聞かせてもらおうか」
「あたしは、思ったより平凡な感じをうけましたが」
と、北渓が言った。
「思ったよりというのは、世間の評判ほどでない、という意味もありますが、絵そのものが。大体そういう感じでした」
「やはり風景か」
「ええ、風景です。東海道の宿場を、丁寧にひき写したもので、よくまとめてはありました。しかし、構図にしろ、色にしろ、あッと息を呑むような工夫はなかったです。たとえば、先生の富嶽のような、前人未踏といった感じのものは、一枚もないですな」

あるとき北斎は版元に呼ばれる。広重の東海道の初刷りが手に入ったから見に来ないか、と誘いを受けたのだ。そこで北斎は初めて広重に会う。もの静かな中年の男。慎重な話しぶり。ところが横顔に大きな黒子を見つける。「それは、広重の柔らかい物腰を裏切って、ひどく傲岸なものに見えた」。
広重が帰ったのちに、北斎はとうとう広重の版画を見ることができる。
 構図、手法、材料、色の平凡さは、疑い得ないのだ。…この平凡さの中に、広重は何かを隠していないか。大店の主人のような風貌が、目立たないところに、ほとんど獰猛な感じさえする黒子を隠していたように、だ。

 一枚の絵の前で、北斎はふと手を休めた。隠されている何も見えないことに、憑かれたのである。結局広重は、そこにある風景を素直に描いたにすぎないのだと思った。

 そう思ったとき、北斎の眼から、突然鱗が落ちた。

 まるで霧が退いて行くようだった。霧が退いて、その跡に、東海道がもつ平凡さの、ただならない全貌が浮かび上がってきたのである。

北斎は「東海道五十三次のうち蒲原」を見ながら、絵の中にふるひそやかな雪の音と一緒に、巨峰北斎が崩れていく音も一緒に聞いてしまう。

自分のところに来るはずだった注文が広重のところに回った、と聞いて、とうとう北斎は無頼の徒を雇うことにする。広重を襲撃させるのだ。
 若僧が、いい気になりやがって、と北斎は呟いたが、それは低いうなり声にしか聞こえなかった。

 木曾街道を、広重に描かせたくなかった。街道風景を描くことは、広重にとっては、故郷に帰るようなものだ。…

 なぶり殺しにされてたまるか、と北斎は思う。富嶽三十六景――その栄光は遠い。それは何といとおしく、遙かかなたにあることか。いまここに蹲っているのは、老醜の巨体だけだった。すでに、心の底に、暗く咆哮するものの気配を聞かなくなって久しい。

暗がりに潜んでいる北斎たちのところへ広重がやってくる。ところが目の前、月に照らされた広重の表情は暗い。このあいだ、版元で見た柔和な気色は影も形もない。
「やめた」
 と、北斎は応えた。何かが脱落し、心はほとんど和らいでいた。渋面をつくりやがって、と思った。正視を憚るようだった。陰惨な表情。その中身は勿論知るよしもない。ただこうは言えた。絵には係わりがない。そこにはもっと異質な、生の人間の打ちひしがれた顔があった、と。言えばそれは、人生である時絶望的に躓き、回復不可能のその深傷を、隠して生きている者の顔だったのだ。北斎の七十年の人生が、そう証言していた。

広重を襲うことをやめた北斎だったが、金の持ち合わせがなかったために、逆にならず者たちに殴る蹴るの暴行を受ける。なんとか杖を頼りに家に戻った北斎は、手と顔の血を洗い流し、やりかけの仕事を始めるところで、この短編は終わる。


この画家の「奧深いところに棲み、猛々しい身ぶりで歩き回ることをやめない」もの、「心の底に咆哮するもの」について、もう少し考えてみよう。

(この項つづく)


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