陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

フランク・オコナー「わたしのエディプス・コンプレックス」その3.

2008-06-29 22:50:31 | 翻訳
その3.

 翌朝、わたしはいつもの時間に、まるで瓶のなかのシャンパンのような気分で目を覚ました。わたしが両足を突き出すと、長いおしゃべりが始まる。ミセス・ライトは自分の父親に苦労させられて、とうとう彼を「施設」に送りこんだという話をした。わたしは「施設」というのがどんなところなのか知っていたわけではなかったのだが、父にはふさわしい場所のように思えたのである。それから椅子を持っていき、屋根裏の窓から頭を出した。夜が白み始めているところで、あたりの気配は妙に怪しげで、わたしは何か犯行現場を目撃したような気分になった。頭のなかはいくつものお話やらたくらみやらが渦を巻き、はちきれそうになったので、隣の部屋に転がるように駆け込むと、ほの暗い、大きなベッドによじのぼった。母の側は空いていなかったので、父と母のあいだに割り込むしかない。父のことなどすっかり忘れていたのだ。しばらくわたしはしゃちほこばって腰を下ろしたまま、父をどうしようか頭をひねった。ベッドを自分の割り当て分以上に占領しているので、たいそう具合が悪い。何度か蹴っとばしてやったら、うなり声とともに父の体が伸びた。おかげで隙間ができた。母が目を覚ましてわたしをまさぐる。わたしは暖かいベッドに深々と身を沈め、親指をしゃぶった。

「ママ!」わたしは指をくわえたままで、大きな満足しきった声を出した。
「シーッ。ぼうやったら」母はささやいた。「お父さんを起こさないで!」

 これは新たな展開、「お父さんとお話」よりもさらに深刻な脅威となりそうな事態の出来だった。早朝の語らいを抜きにした生活など、わたしには考えられないのだから。
「どうして?」わたしはとがめるように尋ねた。
「かわいそうなお父さんは疲れてらっしゃるからよ」そんなものはおよそ理由の内には入らないし、母が「かわいそうなお父さん」などと変に感傷的な言い方をするのにもうんざりだった。この手のことばは大嫌い、いつだってそのそらぞらしさがいやでたまらなかった。

「ああ、そう」わたしは軽く受け流すと、とっておきの調子で話し始めた。「ママはね、ぼくが今日ママと一緒にどこへ行きたいと思ってるか、知ってる?」
「わからないわ」母はため息をついた。
「新しい網を持って、谷に降りていって、淡水エイを捕まえようよ。それからお昼は“フォックス・アンド・ハウンド”に食べに行こう。それから……」
「お父さんを起こすんじゃありません!」歯の間から怒ったような声を出すと、わたしの口をてのひらで軽く叩いた。

 だがすでに遅かった。父は目を覚ました、というか、ほとんど覚ましかけた。うめき声をあげると手を伸ばしてマッチにふれた。それから時計をのぞきこんで、とても信じられない、という顔をした。
「お茶でも召し上がる?」母はそう聞いたが、これまで聞いたこともない、神妙な、息を潜めた声音だった。まるで、怯えてでもいるかのような。

「お茶だって?」むっとした調子で父は言った。「いま何時だと思ってるんだ」
「それからぼくね、ラスクーニー通りに行ってみたい」わたしはこんなことにじゃまされて大切なことを忘れてしまっては大変だと思って、大きな声で続けた。
「ラリー、すぐに寝るんです!」母は厳しい声で言った。

 わたしはべそをかきはじめた。もはや気持ちを集中させることができず、そんなことではミセス・レフトとミセス・ライトが話し合った早朝の計画の内容を思い出すこともできない。せっかくの計画が、まるで生まれて間もなく闇に葬られてしまう子供のように、にぎりつぶされてしまうのか。父は何も言わず、パイプに火をつけてふかしていた。母もわたしも無視して、暗がりを見つめたままで。父が怒っているのはわかっていた。わたしが何か言おうとするたびに、母はいらだたしげに、シッと言う。わたしは屈辱感でいっぱいだった。こんなのひどいや、と思った。なにか、まがまがしいものさえ感じていた。母に、ベッドをふたつもメイキングするなんてむだだよ、同じベッドで寝たらいいのに、と言うたびに、こんなふうにした方が健康にいいのよ、と言っていたのに、いまはこの男がここにいるじゃないか。あかの他人なのに。母の健康のことを少しも考えないで、母と一緒に寝てるなんて! 父は早い時間に起きだして、お茶を入れた。母に持ってきてくれたが、わたしには何もくれなかった。

「ママ」わたしは叫んだ。「ぼくもお茶が飲みたい」
「わかったわ」母は辛抱強く言った。「ママのソーサーであげますからね」

 話は決まった。父かわたしのどちらかがこの家を出なければならないのだ。お茶を母のソーサーでなんて飲みたくない。求めているのは、自分自身の家で、対等に扱ってもらうことなのだ。母への当てつけに、お茶は全部飲んでしまって残してやらなかった。母も黙ってそれを見ていた。だが、その夜、わたしをベッドに寝かしつけながら、母はやさしく言った。

「ラリー、ひとつ約束してちょうだい」
「なに?」
「朝になっても、あっちへ行くのはやめて、かわいそうなお父さんを起こしたりしないであげてほしいの。約束できる?」

 また「かわいそうなお父さん」だ! あの我慢ならない男にまつわることなら、何もかもがうさんくさく思われた。
「どうして?」わたしは聞いた。
「かわいそうなお父さんはね、心配なこともおありだし、お疲れだし、おまけに夜はよく眠れないのよ」
「どうして寝られないの、ママ」
「あなたも知ってるでしょ? お父さんが戦争に行っているあいだ、ママは郵便局に行ってお金をもらってきていたでしょ?」
「ミス・マッカーシーが送ってくれたんだよね?」
「そうよ。でもいまではミス・マッカーシーもお金がなくなってしまったの。だからお父さんは、わたしたちのために、出かけて、お金をもうけて帰ってなけりゃならないの。もしお父さんにそれができなくなったら、どうなるかわかる?」

「わかんない」わたしは言った。「教えて」
「あのね、わたしたちは通りに出て、金曜日にここにくるおばあさんのように、物乞いをして歩かなきゃならなくなるの。それはいやでしょう?」
「そんなのいやだ」わたしは同意した。「そんなこと、できないよ」
「ならもうあっちの部屋に行ってお父さんを起こしたりはしない、って約束できるわね?」
「約束するよ」




(この項つづく)


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