陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

フランク・オコナー「わたしのエディプス・コンプレックス」その4.

2008-06-30 22:32:09 | 翻訳
その4.

 念のために言っておくが、わたしは確かに言われた通りにするつもりだったのだ。お金が大きな問題だということはわたしにもよくわかっていたし、金曜日に来るおばあさんのように、物乞いをして歩くのは絶対にいやだった。母はおもちゃを残らずベッドのまわりに丸く並べて、わたしがベッドから出るとかならずどれかにぶつかるようにした。

目が覚めたときは約束をよく覚えていた。起きると床にすわって遊んだ――何時間も経ったような気がした。そこでわたしは椅子に乗って、屋根裏部屋の窓からさらに何時間も外を眺めた。父が起きる時間になればいい、誰かお茶をいれてくれないかなあ、と考えた。とてもではないけれど、太陽のような気分にはなれなかったし、退屈だった。おまけにひどく寒かった! 暖かくてふかふかの、分厚い羽布団のかかったベッドが恋しくてたまらない。ついにわたしはこれ以上がまんができなくなった。そうして隣の部屋に行ったのだった。やはり母の側にはもぐりこめる場所がなかったので、母の体を乗り越えようとしたところで、母が驚いて目を覚ました。「ラリー」ささやきながら、わたしの腕をきつくつかんだ。「約束を忘れちゃったの?」

「ぼく、約束を守ったよ」現場を取り押さえられたわたしは、半ベソをかいた。「すごーくすごーく長い間、静かにしてたもん」
「おやおや、この子は凍えてるじゃない!」母は悲しそうな声を出して、わたしの体をこすった。「さあ、ここにいたいんだったら、おしゃべりしないって約束してちょうだい」
「だけどママ、ぼく、お話がしたいよ」わたしは泣いた。
「そういうことを言ってもだめ」母はわたしが聞いたことのない、厳しい口調で言った。「お父さんは眠らなくてはならないんですからね。さあ、わかったでしょ?」

 わたしには一点の曇りもないほどはっきりとわかった。ぼくはお話がしたくて、あいつは寝たいんだろ? じゃ、この家はいったいぜんたい誰のものなんだ?

「ママ」わたしも負けずに決然とした声を出した。「お父さんは自分だけのベッドで寝た方が健康にいいと思うよ」

 このことばを聞いて、母はことばを失ったようだった、というのも、しばらく何も言わなかったから。
「さあ、これっきりよ」母は続けた。「ものすごーく静かにしてるか、自分のベッドに戻るか。どっちにする?」

 この不当な仕打ちにわたしは意気消沈してしまった。母みずからが口にしたことばによって、その誤りを悟らせようとしたのに、母は無視することで応えたのだ。腹いせにわたしは父に一発蹴りをお見舞いした。母は気がつかなかったが、父はうめき声をあげると、驚いて目をかっと見開いた。
「いま何時だ?」パニックに襲われたような声で、母ではなくドアの方を、まるで誰かがそこにいるとでもいうように見つめた。

「まだ早いわ」母はなだめるように言った。「子供のやったことよ。もういちどおやすみになって……さあ、ラリー」そういうと、ベッドから出た。「お父さんを起こしてしまうような子は戻らなきゃだめ」

 母のしゃべり方は、語調こそ穏やかだったが、わたしにはその意味するところがよくわかった。同時にわたしの重要な諸権利や特別待遇が、いま主張しておかなければ、永久に失われてしまうこともわかっていた。母がわたしを抱き上げたとき、わたしは悲鳴を、死者さえも起こさずにはおれないほどの悲鳴をあげた。おまえなんかに負けないからな、という気持ちをこめて。

 父はうめいた。「このいまいましいチビが。こいつは眠るってことをしないのか?」
「癖がついてしまったのよ、あなた」母の声は静かだったが、困惑していることはよくわかった。
「なら、いまがその癖を改める潮時だ」父はそう怒鳴ると、ベッドが大波のように持ち上がった。ベッドの上掛けを全部自分の方へたぐりよせ、壁の方に寝返りをうったのだ。それから肩越しにこちらを振り返って、黙ったまま敵意に満ちた二つの小さな黒い目でにらんだ。男はひどく邪悪な表情をしていた。

 寝室のドアを開けるために、母はわたしをおろした。そこでわたしは悲鳴を上げながら、部屋の端から反対側の端まで走った。すると父はベッドにがばっと半身を起こし「黙れ、この犬ころが」と息が詰まったような声で怒鳴ったのだった。



(この項つづく)


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