陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ロアルド・ダール「味」その2.

2008-04-10 22:32:43 | 翻訳
その2.

マイク・スコフィールドは気のいい中年の男だった。ところがその彼は株式仲買人なのだった。正確に言えば証券取引所のブローカーで、彼のような人物にありがちなのだが、ちょっと目端が利くのを生かしたら金持ちになっていたことに気がついて、当惑もし、恥ずかしがってもいるようなところがあった。胸の内では自分が実際には賭け屋以上のものではないことを知っていた――愛想が良く、一点の後ろ暗いところもなく、その実、陰では違法なこともやりかねない賭け屋である。そしてまた、自分の友人もそのことは知っているのをわかっていた。だからこそ、いまや彼の望みは教養人となること、そうして文学的知識をたくわえ、審美眼を養い、絵や音楽や本などありとあらゆるものを収集しようとしていたのである。さきほどのラインワインとモーゼルワインについてのちょっとした講釈は、彼の集めた成果らしい。

「なかなかチャーミングなワインでしょう?」そう言いながらもまだリチャード・プラットから目を離さない。小イワシを一口食べようとうつむくたびに、人目を盗むようにすばやく座に視線を走らせるのに私は気がついた。彼は待っているのかもしれない、という気がした。プラットが最初の一口をすすり、グラスからあげたその顔に、喜びと驚き、おそらくは驚嘆の色さえ浮かぶのを、そうして講釈が始まり、マイクはガイエルスレイ村のことを話すつもりなのだろう。

 だが、リチャード・プラットはワインに口を付けることもしなかった。マイクの十八歳になる娘ルイーズとの話に夢中になっているらしい。半身を娘の方に向け、笑みを浮かべながら話しているのは、私の耳の届くかぎりではパリのレストランのシェフがどうしたという話だったようだ。話に身が入るあまりにどんどん近くに寄って、あわやその身はふれあわんばかり、かわいそうな娘の方は、礼儀正しくあいづちはうっているが、どうしようもなくそうしているに過ぎないようで、相手の顔ではなく、ディナー・ジャケットの第一ボタンを見つめていた。

 魚料理が終わり、メイドが皿を片づけてまわった。プラットのところまで来て、皿が手つかずであることに気がついてためらっていると、プラットもそれに気がついた。手を振ってメイドを追いやり、話を中断してあわただしく食べ始めたのだが、香ばしく揚がった小イワシも、フォークで無造作に突き刺しては口のなかに放りこむありさまだった。それから皿が空になると、グラスに手を伸ばし、ゴクリゴクリとふた口で飲み干して、すぐにルイーズとの話を再開しようと、そちらへ向き直ったのである。

 マイクは残らず見ていた。そこに坐ったまま声もなく、自分を抑えて客を見つめているのに私は気がついた。彼の丸い陽気な顔は、かすかに力が抜けてがっくりときたようだったが、自制して、身動きもせず黙ったままでいた。

 まもなくメイドが二番目のコース料理を運んできた。大きなローストビーフである。マイクの前に運ばれたところで、立ち上がった彼はナイフを入れてたいそう薄く切り分け、皿にのせ、メイドが配って回った。自分も含め、全員に行き渡ったところで、切り分けナイフを下におろし、両手を食卓の端にのせて身を乗り出した。

「さて」彼は一同に向かって口を開いたが、その目はリチャード・プラットひとりに注がれていた。「さて、いよいよクラレットです。取ってこなくてはならないので、失礼させていただきますよ」

「マイク、君が取ってくるんだって?」私が尋ねた。「いったいどこから?」

「書斎だよ、栓を抜いて……息をさせてるんだ」

「なんでまた書斎で?」

「もちろん室温に慣らすためじゃないか。そこに置いて二十四時間になる」

「どうして書斎なんだ?」

「家のなかではそこが一番いいんです。リチャードが前に家に来たとき教えてくれたんです」

 自分の名前を耳にして、プラットは周りを見た。

「そうだったよね?」マイクは言った。

「ああ、そうだ」プラットはそう言うと、重々しくうなずいた。「その通りだ」

「書斎にある緑色のファイル・キャビネットのてっぺんに置いてあるんだよ」マイクは言った。「私たちふたりで選んだんだ。風の通りがない場所で、部屋の温度は一定だし。じゃ、失敬して取ってこよう」

(この項つづく)


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