陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

はまりこんだペダル

2008-09-23 22:41:32 | weblog
先日、図書館のホールに腰かけて、本を読んでいたところ、しばらく前から続いているらしい声高な話し声が、どうにも耳について耐えがたくなってきた。声のする方を振り返ってみると、おじいさんが公衆電話を使っているのだった。

しきりにアパートの隣にはTVがある、と主張している。TVがあるのに受信料を払っていない、毎日朝からTVの音が聞こえる、なのに受信料の徴収員が来たときは、TVを持っていないと言うのだ、と、それだけのことを執拗に繰り返しているのだった。

おそらく隣の家のTVの音が聞こえるぐらいだから、自宅から電話をかければ、自分の声も隣りに聞こえるのではないかと危惧して、わざわざ図書館までやってきたのだろう。同じことをくどくどと繰り返す声を聞きながら、隣の人が受信料を払っていようがいまいが、自分の懐が痛むわけではあるまいに……と、こちらまでいらだたしい気持ちになってしまった。

一度気になってしまった声は、もう無視することもできなくなってしまって、帰ることにした。そこで自転車置き場に行くと、なんとわたしの自転車の前輪のスポークの部分に、隣りの自転車のペダルががっちりとはまりこんでしまっていて、出そうにも出せない。持ち上げたら出せるか、ペダルの方を引っ張った方がいいか、いろいろやってみたが、どうにもらちがあかない。すると、そこへ通りかかった初老の男性が、悪戦苦闘しているわたしに気がついて、どうしたのか、と聞いてくれた。

ここにはまりこんでしまったんです、と説明して、すいませんがちょっとこっちの自転車を押さえててもらえませんか、わたしこっちを引っ張ってみます、と助けを求めた。おじさんは二つ返事で引き受けてくれて、今度はふたりでああでもない、こうやったらどうだろう、と試行錯誤を続けた。それでもはまりこんだペダルはびくともしない。

そこへ、さらにもうひとり同じような年格好のおじさんがやってきた。そのおじさんも、どれどれ、とのぞきこみ、よし、わしはこっちをこう押さえとくから、あんた、ここをこう引っ張れ、あんたはこっち、と今度は三人でいろいろやってみた。

つぎに、さきほど公衆電話でNHKに隣人を密告(?)していたおじいさんまで加わったのである。四人がかりで押さえたり引っ張ったりしてみたが、どうやってもペダルを出すことができない。こらあかん、ここを切らなあかん、と、人の自転車だから簡単にそんなことを言うおじさんまで出てくる始末である。わたしが、入ったものは出るはずです、ときっぱり主張すると、NHKに電話をしていたおじいさんは、「そら、理屈やな」と同意してくれた。そこにもうひとり、おじさんが通りかかり、事情を聞くと、「わし、図書館の人を呼んでくる」と駆けていった。

おじさんのひとりがわたしの自転車を押さえ、もうひとりが二本のスポークを少し広げ、べつのおじさんがもう一台の自転車を支え、さらにわたしがペダルを引き出す、という役割分担を決め、「せーの」で呼吸を合わせ、やっとのことで自転車を分離することができた。ベトちゃんとドクちゃんの分離手術に成功した医師団のごとく、充実感いっぱいで、やった、やった、と喜んだのだった。ちがっていたのは、わたしたちはお医者さんの使う手袋をする代わりに、両手を真っ黒にしていたということだけだったかもしれない。

そこへ図書館の警備員の人と呼びに行ったおじさんがやってきたが、もはやしてもらうことはない。わたしはほんとうにありがとうございました、と、みんなにお礼を言って頭を下げて、無事、自転車に乗って帰ってこれたのだった。

自転車に乗りながら考えた。
NHKのおじいさんも、電話をかけていたときはあんなにとがった声を出していたのに、自転車を引き離すときは、全然語調がちがっていた。うまく引き離せたときは、みんなが自分のことのように喜んでくれた。
自分が誰か、あるいは何かの役に立てているという実感は、人を少し、幸せにするのかもしれなかった。

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