陰陽師的日常

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くじ (ゆめ)
2008-11-04 14:35:10
こんにちは。ゆめです。
英語でthe lotteryを読みました。 少しだけですが感想やら解釈やらを共有したいので、ここの場をお借りさせて頂きます。

私が忘れちゃ行けないと思ったのは、テシーは夫に愛されていた、ということです。くじの日の近くになっても、彼女の夫は、彼女にくじの事を話さなかったんです。だから彼女はくじの事を忘れていた、と言っても過言ではないでしょう。誰もがくじのことを話したくなかったのは当然です(現に新しい箱について誰も語ろうとしなかったわけですし、誰もこのくじが続く事を望んでいなかったんでしょう。(わたしはこれについての文章がくじが行われる前に書かれていることに、後からすごく腹立ちました。こんなところにも前兆が隠れていたのです。この前兆はもちろんフェイクである”伝統的”ということに塗りつぶされていて隠されていましたが))ところで、夫が妻に一言も言わずに家から出かけるでしょうか。彼女の夫は彼女を守りたかったのではないでしょうか。この話では、くじを代わりにひくことが許されています。ジャクスンはうまいこと”代わりでひくことは許されている”というのを例に挙げていますよね。そうすることによって、とても大事なくじですが、『代わりは許される』ということに対しての納得感が私たちに生まれるわけです。そして最後に夫が少量の石を持っていた、というのもキーポイントですね。ここでテシーは愛されているんだ、という確信が生まれます。いや、ジャクスンは素晴らしいですね。
予兆は沢山あるのですが、子供達が遊んでいる微笑ましい風景にその後凶器(又はなにか嫌な事のもと)になる石を編み込ませている所もすごいな、とおもいました。

ただ3、4つ、曖昧な事があります。
–なぜ季節は夏なのか。
 爽やかな季節にすることでこの後に起こる事を隠しているのではないか。(遊びの解釈です、気にしないで下さい)

–なぜその行事が有るのか。
 もし仮に一年に一人を殺すためだとすれば、この村は貧しいのではないでしょうか。コーンプランティング、などとでてきていますしね。食料難とか・・・(遊びの解釈です、気にしないで下さい)

–なぜ箱をわざわざ違った場所に保管しているのか。
 人々はその箱を見たくなかったのではないでしょうか。 だから「お前が保管しろよ」という様な感じで・・・もしそうだとしたらこれも予兆の一つですよね。(遊びの解釈です、気にしないで下さい)


と、このように長々と打ちましたが、私の感想はとても幼稚です。文章能力に欠けています。ごめんなさい。

私の感想に対する感想、楽しみにしています!


時間があったら納屋は燃える、読んでみますね。
それでは、失礼します。
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いけにえの山羊 (陰陽師)
2008-11-06 10:05:56
ゆめさん、こんにちは。

返事、遅くなってごめんなさいね。
ゆめさんの解釈を楽しく拝見しました。
で、いくつか思ったんですけど。

> 誰もこのくじが続く事を望んでいなかったんでしょう

って、どこからそう思われました?

むしろ、人びとはその存続を内心望んでいたんじゃないかしら、とわたしは思うのです。
だからこそこの短篇は恐ろしい。

こんな残酷な「くじ」はなくなったほうがいい、というのは、わたしたちの「慣習化された」思いこみなんじゃないでしょうか。

「人を攻撃したい」「人を傷つけたい」、そうした暗い思いはおそらく誰の内にもある。
そうして、それを引き受ける存在がいて、社会は安定するという側面があるのです。
この「くじ」にしても、「魔女狩り」が背景に暗示されているように思うのですが、「魔女」と呼ばれる人を選び出し、拷問によって自白を強要し、火あぶりの刑に処すことで、当時の共同体は安定し、秩序が形成されていた。その当時の人びとは、魔女狩りを「なくなったほうがいい」と考えていたのでしょうか。もちろんそう考えた人もいたかもしれません。けれども、大多数の人は、自分が正しいことをやっている、と信じて魔女を告発し、怪しげな行動を取っている隣人を密告してきたのではないか。

あるいはいまでも「クラスの団結を高める」ために、逸脱行動をとる一人の子供をホームルームで全員でつるし上げるようなことをやっている、という話を聞いたことがあります。わたしは「その子は悪くて、そう言ってあげるのがその子のためだから」、一対四十、みんなで「言ってあげた」という子の話を聞いて、暗澹たる気持ちになったことがあります。

スケープゴートとなる人物と、そうでない人びとのあいだに線が引かれる。
通常、その線引きにはさまざまな理由がついているけれど、ほとんどそれはあとからつけられた理由です。
「くじ」で選ばれたのと変わりない。ひとりを「排除」することで、集団の安定を図るということを、人間は繰りかえしやってきた。

この「くじ」という作品は、「スケープゴート」の現象を説明するのに、すごくよくできている作品だと思います。
「くじ」で誰かが選ばれるのだけれど、その理由を事後的にみんなが見つけて納得する。そうして、自分から進んで石を手に取るのです。

> テシーは夫に愛されていた

という解釈は、ひとつの着眼点だと思います。
でも、それを成立させるのには

> 彼女の夫は、彼女にくじの事を話さなかったんです

というのは、弱いような気がする。その日がくじ引きの日だということは、毎年恒例の行事なのだから、共同体の一員なら知っていて当然でしょう。それを忘れていたというのは、テシーの共同体の一員という自覚の弱さの証拠にはなっても、夫の愛を示すにはちょっと無理があるかなあと思います。

夫のその後の行為(再度のくじ引き)は、家族愛よりも共同体の一員としての行為を優先させたことが見て取れます。妻への愛を示すのであれば、抵抗なり、葛藤なりの描写が必要だと思うのです。

> 最後に夫が少量の石を持っていた

少量というのは、大量の石よりもいいのでしょうか。
むしろ、大きな石で一瞬のうちに息の根を止めてやる、という選択肢もあったのでは?

この作品は多くの読者の憤激を引き起こしたのですが、それは何よりもわたしたちの内に潜む「邪悪さ」をえぐり出すものであり、「救いのなさ」にあったのではないかと思うのです。

>なぜ季節は夏なのか。

これは重要な点ですね。6月27日というのは、夏至の直後にあたります。
穀物の植え付けが終わり、その成長を祈願する夏至の祭りが、古来から行われてきました。
太陽が最高点に達する夏至の日を祝って、太陽に加勢し、豊かな実りを祈る。一方で疫病のはやる季節でもありますし、厄除け祈願という意味もあったでしょう。

「穀物の実り」にふれている発言もありますし、おそらくそのようなものが背景にあるでしょうね。

> なぜ箱をわざわざ違った場所に保管しているのか。

これも重要な点です。
「くじ引き」は日常から切り離す必要があった。
切り離すことで、特別の力を与えようとし、人びともまたそれに畏怖の情感をかき立てられたのでしょうね。

何か、ずいぶんケチをつけてしまって、ごめんなさい。
本を読む楽しみのひとつは、やっぱり「自分自身の見方の無意識のゆがみ」に気がつくことにあると思うんです。
月並みな結論だけど、やっぱり「当たり前」のことなんて、何一つないんだろうな、と思います。

意見聞かせてくださって、ほんとうにありがとうございました。
どうかお気を悪くなさらないでくださいね。

また何か思いついたことがあったら教えてくださいね!
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