過客 その4.
フェリスとエリザベスはふたりきりになった。その情況がおもりのようにのしかかって、しばらくのあいだ沈黙がたれこめていた。フェリスは、もう一杯飲んでもかまわないか、自分でやるから、と言うと、エリザベスはテーブルのカクテル・シェイカーを彼の側に置いた。フェリスはグランドピアノに目をやり、台に楽譜がのっているのに気がついた。
「いまもあのころみたいにうまく弾ける?」
「まだ楽しめるぐらいにはね」
「何か弾いてもらえないかな、エリザベス」
エリザベスはすぐに立ち上がった。頼まれればいつでも弾いてみせるところにも、エリザベスの気だての良さがあらわれていた。ぐずぐずしたり、言い訳したりすることがないのだ。ピアノに向かおうとするエリザベスの姿には、これで安心、と感じているようすがうかがえた。
バッハの〈前奏曲とフーガ〉が始まった。前奏曲が、朝日が射しこむ部屋のプリズムのように、軽やかな虹の色となってきらめく。フーガの第一声が、ひとりきり、凛とあげた声のようにつづき、繰りかえすその音に第二声がかぶさり、さらに緻密な枠組みのなかでもう一度繰りかえされ、いくつもの旋律が平衡を保ちながら静かに、悠然たる威容を保ちながら流れていく。主旋律はほかのふたつの声部と織りあわされ、巧みな仕かけがそれをいろどる――主役に躍り出たかと思うと、背景に隠れ、全体の音に埋没することを怖れない、たったひとつの音の崇高さを維持していく。終結部に向かって音の密度は増し、中心になる第一主題は豊かに盛り上がり、主旋律が和音で最後に提示され、フーガは終わる。フェリスは椅子の背に頭をもたせかけ、目を閉じていた。音の消えていく静けさのなかで、よく通る高い声が廊下の向こうの部屋から届いた。
「パパ、どうしてママがフェリスさんなんかと……」ドアが閉じた。
ピアノがまた始まった――今度は何の曲だろう。何とも定かではなく、そのくせ懐かしい、澄んだメロディは、もう長いこと胸の内に仕舞いこまれたまま眠っていた曲だ。いま、このメロディが別の時間、別の場所のことを語りかける――エリザベスがよく弾いていた曲。繊細な調べが混沌とした記憶を呼び起こす。過ぎた日々が、渇望も、諍いも、愛憎入り交じる欲望も何もかもが奔流のように押し寄せ、フェリスはそのなかで自分を失いそうだった。奇妙なのはこの曲が、混乱と無秩序の触媒となったその曲が、こんなにも静謐で透明であることだ。歌うような調べは、女中が入ってきて断ち切られた。
「奥様、お食事の準備が整いました」
ベイリー夫妻の間の席についてからも、フェリスの耳には途切れてしまった音楽がフェリスの気分に影を落としていた。少し酔ったようだった。
"L'improvisation de la vie humaine(即興たる人間の生),"フェリスはフランス語で言った。「人間の存在のありようは即興でしかないんだ、って、はっきりと思い知らせてくれるのは、途切れた曲だね。そうでなきゃ、古いアドレス帳か」
「アドレス帳?」ベイリーが鸚鵡返しに問い返した。そうして曖昧にしたまま、礼儀正しく口をつぐんだ。
「あなたったら昔のままの大きな子供ね、ジョニー」エリザベスの言葉にはかつての優しさの名残りが響いていた。
その夜の食事は正統的な南部料理で、皿には昔からフェリスが好きだったものばかりがのっていた。フライド・チキン、コーン・プディング、砂糖づけのサツマイモ。食事のあいだ、沈黙が続くとエリザベスは会話が盛り上がるように気を配った。そうして結局フェリスもジャニーヌの話をするように仕向けられたのだった。
「ジャニーヌに会ったのは去年の秋だ――ちょうどいまごろの季節だった――イタリアでね。ジャニーヌは歌手で、ローマで契約をしていたんだ。じき結婚することになると思うよ」
言っていることはいかにもありそうな、間違いのないことのようにも思えたので、最初のうち、フェリス自身が嘘だとは気がつかないくらいだった。彼とジャニーヌとのあいだで、この一年、結婚が話題になったことは一度もなかった。しかも実際のところ、ジャニーヌはまだ婚姻は継続しており――パリで両替商をやっている白系ロシア人で、別居してもう五年になる。けれども嘘を訂正する機は失していた。すでにエリザベスがこう言っているところなのだ。「そのお話しを聞けて、ほんとうに良かったわ。おめでとう、ジョニー」
フェリスは真実を語ることで穴埋めをしようとした。「ローマの秋は実に見事だよ。爽やかで、花咲き乱れて」こうも言った。「ジャニーヌにはね、七歳になる男の子がいるんだ。三カ国語がしゃべれる不思議な子でね。ぼくらはときどき、チュイルリー宮にいくんだよ」
これも嘘だ。公園にあの子を連れていってやったのは一度きりだ。半ズボンをはいて細い足をむきだしにした、やせっぽちの外国人の子供は、コンクリートの池でボートを浮かべたり、ポニーに乗ったりした。人形劇も見に行きたい、といったのだ。だが、時間がなかった。フェリスはスクリーブ・ホテルで約束があったのだ。人形芝居はまたちがうときに行こう、と約束した。チュイルリーにヴァランタインを連れて行ってやったのはたった一度きりだ。
(明日最終回の予定)
フェリスとエリザベスはふたりきりになった。その情況がおもりのようにのしかかって、しばらくのあいだ沈黙がたれこめていた。フェリスは、もう一杯飲んでもかまわないか、自分でやるから、と言うと、エリザベスはテーブルのカクテル・シェイカーを彼の側に置いた。フェリスはグランドピアノに目をやり、台に楽譜がのっているのに気がついた。
「いまもあのころみたいにうまく弾ける?」
「まだ楽しめるぐらいにはね」
「何か弾いてもらえないかな、エリザベス」
エリザベスはすぐに立ち上がった。頼まれればいつでも弾いてみせるところにも、エリザベスの気だての良さがあらわれていた。ぐずぐずしたり、言い訳したりすることがないのだ。ピアノに向かおうとするエリザベスの姿には、これで安心、と感じているようすがうかがえた。
バッハの〈前奏曲とフーガ〉が始まった。前奏曲が、朝日が射しこむ部屋のプリズムのように、軽やかな虹の色となってきらめく。フーガの第一声が、ひとりきり、凛とあげた声のようにつづき、繰りかえすその音に第二声がかぶさり、さらに緻密な枠組みのなかでもう一度繰りかえされ、いくつもの旋律が平衡を保ちながら静かに、悠然たる威容を保ちながら流れていく。主旋律はほかのふたつの声部と織りあわされ、巧みな仕かけがそれをいろどる――主役に躍り出たかと思うと、背景に隠れ、全体の音に埋没することを怖れない、たったひとつの音の崇高さを維持していく。終結部に向かって音の密度は増し、中心になる第一主題は豊かに盛り上がり、主旋律が和音で最後に提示され、フーガは終わる。フェリスは椅子の背に頭をもたせかけ、目を閉じていた。音の消えていく静けさのなかで、よく通る高い声が廊下の向こうの部屋から届いた。
「パパ、どうしてママがフェリスさんなんかと……」ドアが閉じた。
ピアノがまた始まった――今度は何の曲だろう。何とも定かではなく、そのくせ懐かしい、澄んだメロディは、もう長いこと胸の内に仕舞いこまれたまま眠っていた曲だ。いま、このメロディが別の時間、別の場所のことを語りかける――エリザベスがよく弾いていた曲。繊細な調べが混沌とした記憶を呼び起こす。過ぎた日々が、渇望も、諍いも、愛憎入り交じる欲望も何もかもが奔流のように押し寄せ、フェリスはそのなかで自分を失いそうだった。奇妙なのはこの曲が、混乱と無秩序の触媒となったその曲が、こんなにも静謐で透明であることだ。歌うような調べは、女中が入ってきて断ち切られた。
「奥様、お食事の準備が整いました」
ベイリー夫妻の間の席についてからも、フェリスの耳には途切れてしまった音楽がフェリスの気分に影を落としていた。少し酔ったようだった。
"L'improvisation de la vie humaine(即興たる人間の生),"フェリスはフランス語で言った。「人間の存在のありようは即興でしかないんだ、って、はっきりと思い知らせてくれるのは、途切れた曲だね。そうでなきゃ、古いアドレス帳か」
「アドレス帳?」ベイリーが鸚鵡返しに問い返した。そうして曖昧にしたまま、礼儀正しく口をつぐんだ。
「あなたったら昔のままの大きな子供ね、ジョニー」エリザベスの言葉にはかつての優しさの名残りが響いていた。
その夜の食事は正統的な南部料理で、皿には昔からフェリスが好きだったものばかりがのっていた。フライド・チキン、コーン・プディング、砂糖づけのサツマイモ。食事のあいだ、沈黙が続くとエリザベスは会話が盛り上がるように気を配った。そうして結局フェリスもジャニーヌの話をするように仕向けられたのだった。
「ジャニーヌに会ったのは去年の秋だ――ちょうどいまごろの季節だった――イタリアでね。ジャニーヌは歌手で、ローマで契約をしていたんだ。じき結婚することになると思うよ」
言っていることはいかにもありそうな、間違いのないことのようにも思えたので、最初のうち、フェリス自身が嘘だとは気がつかないくらいだった。彼とジャニーヌとのあいだで、この一年、結婚が話題になったことは一度もなかった。しかも実際のところ、ジャニーヌはまだ婚姻は継続しており――パリで両替商をやっている白系ロシア人で、別居してもう五年になる。けれども嘘を訂正する機は失していた。すでにエリザベスがこう言っているところなのだ。「そのお話しを聞けて、ほんとうに良かったわ。おめでとう、ジョニー」
フェリスは真実を語ることで穴埋めをしようとした。「ローマの秋は実に見事だよ。爽やかで、花咲き乱れて」こうも言った。「ジャニーヌにはね、七歳になる男の子がいるんだ。三カ国語がしゃべれる不思議な子でね。ぼくらはときどき、チュイルリー宮にいくんだよ」
これも嘘だ。公園にあの子を連れていってやったのは一度きりだ。半ズボンをはいて細い足をむきだしにした、やせっぽちの外国人の子供は、コンクリートの池でボートを浮かべたり、ポニーに乗ったりした。人形劇も見に行きたい、といったのだ。だが、時間がなかった。フェリスはスクリーブ・ホテルで約束があったのだ。人形芝居はまたちがうときに行こう、と約束した。チュイルリーにヴァランタインを連れて行ってやったのはたった一度きりだ。
(明日最終回の予定)
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