陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ジョン・チーヴァー 「とんでもないラジオ」 2.

2006-03-19 22:38:50 | 翻訳
その2.

 女中が子供たちに夕食を食べさせ、風呂に入るのを見てやっているうちに、アイリーンは音量を絞ってラジオをつけて、自分がよく知っていて、気に入ってもいるモーツァルトの五重奏曲を聴こうと腰を下ろした。新しいラジオは、古いものよりはるかにクリアな音質だ。音質こそ何よりも大切なのだから、キャビネットなんてソファの後ろに隠してしまえばいい、と思う。だが、このラジオとの妥協が成立したのもつかの間、雑音が混ざり始めた。爆弾の導火線に火がついているような、ジリジリいう音が、弦の奏でる響きに加わってきたのだ。なんだか音楽の向こうから不気味な海の音が聞こえるみたい。アイリーンはダイヤルやスイッチをことごとく試してみたが、雑音はいっこうに弱まらない。がっかりし、途方に暮れながら腰を下ろしたが、それでもなんとかメロディの流れだけでも追いかけようとした。

アパートのエレベーター・シャフトがリビングの奥を通っているのだが、エレベーターの昇降音で電波障害の正体がわかった。エレベーターのケーブルが、ぶうんと唸ったり、ドアが開閉するときの音が、ラジオのスピーカーからも聞こえてくるのだ。ラジオというのは、電流の影響を受けやすい、ということに思い当たってみると、モーツァルトのなかから、電話のベルが鳴る音や、ダイヤルを回す音、掃除機の呻く音などを、聞き取ることができるようになった。もっと注意して聞けば、呼び鈴も、エレベーターのベルも、電気カミソリも、ウェアリング社のミキサーも、聞き分けられる。そうした音が、自分のまわりのアパートのさまざまな場所から拾い集められ、スピーカーを通じて聞こえてくるのだ。この高性能かつ醜い機械は、騒音に対してまで見当違いの感度の良さを発揮するから、自分が習熟できる限界を超えている、そう思ったアイリーンは、スイッチを切って、子供部屋に様子を見に行った。

 その晩、帰宅したジム・ウェストコットも、自信たっぷりにラジオのところへおもむくと、いろいろなボタンをいじってみた。そうしてアイリーンと同様の成り行きとなったのだった。ジムが選んだ局では男が何かしゃべっていたが、その声は、遙か彼方から一瞬にして大音声で突撃してきて、部屋全体を揺るがした。ボリュームを絞って、声を小さくする。そうすると、一分かそこらで、例の干渉音が聞こえ出した。電話のベルとドアベルの音に、エレベーターの扉がきしる音や、料理関係の電化製品が唸る音が一緒になってはいってくる。音の正体も、アイリーンがもっと早い時間につけてみたときとは異なっていた。電気カミソリのプラグは抜いてあり、掃除機はクロゼットの中、日の落ちた街を満たすリズムの変化は、電波音にも反映されていた。ジムもツマミをいじったが、雑音を取り除くことはできなかったために、スイッチを切ると、朝になったらこいつを売りつけた連中を電話でどやしつけてやるからな、と妻に向かって言った。

 翌日の午後、昼食会をすませたアイリーンがアパートに戻ってみると、女中が、人が来て、ラジオを修理して帰った、と告げた。帽子も毛皮のコートも取らずにリビングに行って、さっそくスイッチを入れてみる。スピーカーから《ミズーリ・ワルツ》のレコードが流れてきた。夏になるたび出かけていた場所で、ときどき湖をわたって聞こえてきた、旧型蓄音機の、貧相で音の荒れた音楽を思い出す。そんなレコードをかけるわけを聞きたくて、ワルツが終わるまで待ったのだが、説明などなかった。音楽が終わると静まりかえり、やがて、もういちど同じ傷だらけのレコードが繰り返される。ダイアルを回すと、カフカス地方の民族音楽が飛びこんできた――土の上をはだしで踏みならす音や、飾りのコインがじゃらじゃら鳴る音――、その向こうにベルが鳴る音や、声がいくつも入り交じる音も聞こえた。やがて子供たちが学校から帰ってきて、アイリーンもラジオを消して、子供部屋に行った。

(この項つづく)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿