hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

「年をとって、初めてわかること」を読む

2008年11月10日 | 読書2

立川昭二「年をとって、初めてわかること」2008年7月、新潮社発行を読んだ。

背表紙にはこうある。
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老いがもたらすものは喪失と寂寥ばかり?いや、老いたからこそ知る自己発見の驚き、人と分かち合う喜びが、そこにある。心と体。エロス。孤独。共生。愉しみ。看取り―思いもよらなかった「老い」の豊饒な世界を、斎藤茂吉『白き山』から青山七恵『ひとり日和』まで、名作文学のなかにしみじみと読み味わう。いまこそ、この作品を読もう。
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また、著者はまえがきで書いている。
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「老いの生き方ということがよく言われるが、理屈や教訓に学ぶよりも、じっさいに生きてきた老人たちの生の声、そして作品の中に生き生きと描かれている登場人物たちの言動に学ぶことのほうが身にしみ身につくのではないか。」
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老いを語っている33編の名作を引用、解説し、著者の思うところを述べる。惨めな気分になるが、やがて、自分の老化を面白がってじっくり観察する、そんな気にさせる本だ。
各小説を引用し、前後で筋を説明しており、その部分は本書全体の8割くらいを占めるのではないだろうか。著者自身の老いに着目した考察はそう多くない。


著者は、1927年生まれ。早稲田大学文学部卒。北里大学名誉教授。歴史家。とくに文化史・心性史の視座から生老病死を追究。1980年「歴史紀行・死の風景」でサントリー学芸賞受賞。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

老いについて作家のいろいろな考え方をまとめてうかがい知ることができる。本の読み方を教えてくれる本でもある。



第1章 老いの自覚;第2章 老いと欲望;第3章 老いの情念;第4章 女の老い・男の老い;第5章 老いとエロス;第6章 老若の共生;第7章 老いの価値;第8章 老いの美学;第9章 老いと看とり;第10章 老いの聖性

川端康成「山の音」、「十六歳の日記」
若い頃に「山の音」を読んで、「年寄りの小説は面白くないな」と思った。今、主人公は62歳と知って唖然とした。年取ってからでないと読めない小説もある。
14歳の川端康成が唯一の身内として75歳の祖父を看護し看取った。この経緯を書いたのが「十六歳の日記」だ。少年期に老人の心理、生態を肌で感じ取ったために、50歳で主人公が62歳の「山の音」が書けたのだ。


川上弘美「センセイの鞄」
久しぶりに会った当初は“先生”であったのが、“せんせい”になり、師弟の壁、年齢差を越えて“センセイ”になった。そして最後に鞄が帰ってくるときに、“松本春綱”という名前になる。

青山七恵「ひとり日和」
私は、2008年4月9日のブログ「青山七恵「ひとり日和」を読む」で否定的な感想を書いた。今日紹介のこの本で、高校出たての知寿と70歳過ぎの吟子とのやり取りを抜き出して解説したものを読むと、今になって、「ウーム、なかなか良くできている小説だったな」などと思う。「もう少し落ち着いて本を読まないと」と思った。
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藤沢周平「三屋清左衛門残日録」
残日録は、「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」の意味。
隠居した清左衛門は散歩や釣りなどで悠々自適し、世間から一歩しりぞくだけの生活を思い描いていた。ところが、世間の方が突然に清左衛門を隔ててしまい、世間から隔絶されてしまったような自閉的な感情が襲ってきた。こうした思いは今日の定年後のサラリーマンと変わらない。そして、・・・

深沢七郎「楢山節考」
まだまだ元気な母のおりんを背負って楢山へ捨てに行く衝撃的な話だ。おりんの母も姑も進んで山へ行き、食べ物が不足する子や孫に命をつないだのだ。



引越屋さんが荷物の積み込みをしているそばで、ブログを書いて、アップしている。奥さんのあきらめた顔。




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