カナダから来日中の知人を案内して11月3日、横浜・本牧の三渓園へ行った。
正門を入ると大池があり、その向こうに1457年建築の京都燈明寺から移築した三重塔が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/b1/0a37e43ae7834cf974967af9f2adaa2f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/14/d63fd87302ab44333505dec51360a8cd.jpg)
大池の傍らには、原三渓が自宅として建てた鶴翔閣がある。茶会などへの貸出施設で、使用されていないときでも玄関までしか入ることができない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/e0/c0f2afcf5eae273e51c6494232a5b19c.jpg)
内苑に入り、御門から臨春閣への参道のような道を見る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/b7/e784fa2dbbafe3b36ecd327419fc4a25.jpg)
紀州徳川家初代・頼宣の別荘だった臨春閣にはNHKの撮影班が収録の準備をしていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/a6/923ba67ca739fd26448dce877373ea1c.jpg)
渓谷沿いの遊歩道を登り、京都伏見城にあった月華殿を見る。このあたりは、12月上旬には見事な紅葉が見られるだろう。
2006年12月8日のブログ「横浜・三渓園へ紅葉狩りに」参照
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/67/1f6ec9333de4665c49837d9d67b6b5af.jpg)
渓谷を降りて行くと、京都二条城にあった徳川家光・春日の局ゆかりの聴秋閣が見えてくる。今回は手前に大きな蜘蛛の巣が。
三重塔への登り道は避けて、大池の東側を回って東の奥へ進むと、突然の霧で前が見えない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/4d/b0863ed9b5f0e31c3671aa24fa4a94d3.jpg)
横浜トリエンナーレの一環の「雨月物語―懸崖の滝」ゲイジュツ・イベントだった。看板に、「ご注意 霧が周辺を覆いつくします。無害ですが、視界が悪くなることがありますので、足下にお気をつけてください。」とあった。「ハイ、十分視界が悪いです」
東の奥に飛騨から移築された合掌造・旧矢箆原家住宅がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/eb/9e4023de9de631b3d167a5b8f8737624.jpg)
カイコを飼っていた2階への階段は危険を感じるほど急だ。昔の人は足が丈夫だったのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/2f/d516e6c5c54fe1e73ab876795b8a8eee.jpg)
いろりの向こう側の部屋で男女が寝転んで、抱き合っていた。私は一瞬、代々木のワシントンハイツでぴったり抱き合って寝ていた進駐軍の兵士を日本人の女性を思い出した。じーっくり見ていると、人がやって来て、「これは横浜トリエンナーレのイベントです」と言う。「写真は?」と聞くと、「ご遠慮願います」と言われた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/40/b0ca54331071368dec38e7016af7b6c2.jpg)
外に出ると、看板があった。
―――
ご注意
こちらのスペースで実施している作品は、
アーティストにより振付をほどこされた作品です。
見る人によって刺激的な内容と感じられる可能性のある作品ですので
あらかじめご承知おきください。
アーティストに意向により、作品名等の説明掲示は
控えさせていただいております。
詳しくは会場スタッフにお尋ねください。
―――
旧燈明寺本堂を過ぎたあたりで、微動だにしない猫がいた。これはゲイジュツではなさそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/99/7e7b1c9e1177ea26e40621692e4797bb.jpg)
三渓園とは?
生糸貿易により財を成した実業家、原三溪は、東京湾を望む横浜の東南部・本牧に広がる17.5万平米に及ぶ広大な土地を造成し、京都や鎌倉などから建造物を移築(重要文化財10棟)しました。1906年(明治39)に、この自宅の扉のない門柱に「遊覧御随意」の札を掲げ一般に開放したので、今年が100周年になります。現在は財団法人三溪園保勝会が運営しています。
正門を入ると大池があり、その向こうに1457年建築の京都燈明寺から移築した三重塔が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/b1/0a37e43ae7834cf974967af9f2adaa2f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/14/d63fd87302ab44333505dec51360a8cd.jpg)
大池の傍らには、原三渓が自宅として建てた鶴翔閣がある。茶会などへの貸出施設で、使用されていないときでも玄関までしか入ることができない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/e0/c0f2afcf5eae273e51c6494232a5b19c.jpg)
内苑に入り、御門から臨春閣への参道のような道を見る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/b7/e784fa2dbbafe3b36ecd327419fc4a25.jpg)
紀州徳川家初代・頼宣の別荘だった臨春閣にはNHKの撮影班が収録の準備をしていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/a6/923ba67ca739fd26448dce877373ea1c.jpg)
渓谷沿いの遊歩道を登り、京都伏見城にあった月華殿を見る。このあたりは、12月上旬には見事な紅葉が見られるだろう。
2006年12月8日のブログ「横浜・三渓園へ紅葉狩りに」参照
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/67/1f6ec9333de4665c49837d9d67b6b5af.jpg)
渓谷を降りて行くと、京都二条城にあった徳川家光・春日の局ゆかりの聴秋閣が見えてくる。今回は手前に大きな蜘蛛の巣が。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/7a/80a23cf0a64066a5bc274e8f91e8510f.jpg)
三重塔への登り道は避けて、大池の東側を回って東の奥へ進むと、突然の霧で前が見えない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/4d/b0863ed9b5f0e31c3671aa24fa4a94d3.jpg)
横浜トリエンナーレの一環の「雨月物語―懸崖の滝」ゲイジュツ・イベントだった。看板に、「ご注意 霧が周辺を覆いつくします。無害ですが、視界が悪くなることがありますので、足下にお気をつけてください。」とあった。「ハイ、十分視界が悪いです」
東の奥に飛騨から移築された合掌造・旧矢箆原家住宅がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/eb/9e4023de9de631b3d167a5b8f8737624.jpg)
カイコを飼っていた2階への階段は危険を感じるほど急だ。昔の人は足が丈夫だったのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/2f/d516e6c5c54fe1e73ab876795b8a8eee.jpg)
いろりの向こう側の部屋で男女が寝転んで、抱き合っていた。私は一瞬、代々木のワシントンハイツでぴったり抱き合って寝ていた進駐軍の兵士を日本人の女性を思い出した。じーっくり見ていると、人がやって来て、「これは横浜トリエンナーレのイベントです」と言う。「写真は?」と聞くと、「ご遠慮願います」と言われた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/40/b0ca54331071368dec38e7016af7b6c2.jpg)
外に出ると、看板があった。
―――
ご注意
こちらのスペースで実施している作品は、
アーティストにより振付をほどこされた作品です。
見る人によって刺激的な内容と感じられる可能性のある作品ですので
あらかじめご承知おきください。
アーティストに意向により、作品名等の説明掲示は
控えさせていただいております。
詳しくは会場スタッフにお尋ねください。
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旧燈明寺本堂を過ぎたあたりで、微動だにしない猫がいた。これはゲイジュツではなさそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/99/7e7b1c9e1177ea26e40621692e4797bb.jpg)
三渓園とは?
生糸貿易により財を成した実業家、原三溪は、東京湾を望む横浜の東南部・本牧に広がる17.5万平米に及ぶ広大な土地を造成し、京都や鎌倉などから建造物を移築(重要文化財10棟)しました。1906年(明治39)に、この自宅の扉のない門柱に「遊覧御随意」の札を掲げ一般に開放したので、今年が100周年になります。現在は財団法人三溪園保勝会が運営しています。