hiyamizu's blog

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「父でもなく、城山三郎でもなく」を読む

2008年11月02日 | 読書2

城山三郎の次女井上紀子が書いた「父でもなく、城山三郎でもなく」2008年6月、毎日新聞社発行を読んだ。

城山三郎は、実在の人物をモデルとした小説を多く書き、経済小説の創始者として知られる。「総会屋錦城」で直木賞受賞し、「落日も燃ゆ」で吉川英治文学賞、その他「官僚たちの夏」など。2007年3月死去。

城山三郎は事務所も持たず、弟子も置かずに一人で本を書いていたようだが、この本にはその奮闘ぶりには触れられていない。
「・・父は、本や資料に囲まれ、原稿に向かっていたが、長期に取材にでることもしばしば。三百六十五日、うーんと唸って書き続けるわけでもないし、私には、「本を書く人」というより、「取材をする人」というイメージが強かった」とまえがきにある。

題名「父でもなく、城山三郎でもなく」にあるように、著者の中では、杉浦英一(本名)と城山三郎は同じであって同じでないものだった。子どもから見ると世間一般のやさしい父であり、社会的評価を受けた作家の姿となかなかつながらないのだろう。父の書いた著書も、“城山三郎の”となると、それはもう世の中のものと言う気がして著者はほとんど読まなかったという。
そのためもあるのだろう、作品の背景や、執筆時の城山三郎の様子などにはほとんど触れていないのが、私には期待はずれだった。

家庭での城山三郎は家族愛に溢れた理想的な父親だ。すくなくとも、次女である著者から見た場合には。あわて者、せっかちなどエピソードがいくつか書かれているが、家族で笑いものにされる世間一般に良くある父親像と同じだ。すべてのことに真面目に取組む実直そのものの姿は見える。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)



多くに記述が、著者自身のことや、母のことだ。家族の写真がこれほど多い著書も珍しいだろう。著者にとっては大切な思い出でも、他人がとくに読みたいと思うようなことではなく、私には正直退屈だった。

子どもが父のことを書いたのだから、どうしても父の晩年のことがらが多くなる。壮年期の創作活動に一身に打ち込む姿ではなく、身体的衰えが目立ち、妻を失ってからは心身ともに元気のなくなる晩年の姿が多い。この辺もこの本を物足りないものにしている原因だろう。
それでもやはり、作家は作家、本の虫だった。理想の晩年は、「好きなときに、好きな本を、好きなだけ読む」であったという。

今まさに、私はその理想郷にいるのだが、凡人の私は、いざそうなると、読書三昧になりきれない。寸暇を惜しんで飢えたように小説や理工系の本を読んでいたあの頃がなつかしい。




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