hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

村田喜代子「あなたと共に逝きましょう」を読んだ

2009年05月01日 | 読書2

村田喜代子著「あなたと共に逝きましょう」2009年2月、朝日新聞出版発行を読んだ。

朝日新聞出版のホームページにはこうある。


昭和・平成の上昇期を生きてきて、老い方を知らない団塊世代の共働き夫婦。その夫を襲った動脈瘤破裂の危機。銃口を突きつけられた者は、どう生きるのか? 心臓をとめられても、人はなおかつ尊厳を保てるのか。大学被服科の教員の妻に、夜ごと逢いに来る夢の男。生への活路か、心中行きか。硫黄噴く北の岩盤浴の地へ舞台は流れる。人間の不可思議な「体」と「心」の深淵に潜る、作者、5年がかりの新境地。



動脈瘤が出来た夫の身体の変化の記述がリアルだ。最初の気配は見逃してしまい、おかしな出来事も自分自身で否定し、明らかに病気とわかっても、なかなか病院に行かない。いかにもありそうに思わせる。

病気になった夫に対する妻の見方の変化が興味深い。「爆弾」を抱えた肉の容器、嬉々として地獄絵のような硫黄が立ち込める岩盤浴に向かう夫、「原生林」のようなきめ細やかな肌をもつ白くおとなしい生物への変化。夫と喧嘩しながら、冷静に見つめたり、一体感をもったり、かけがえないと感じたり、一方向でない感情の動きが長年の夫婦の間柄という深い関係を表現している。



一方で、私には納得できないところも多かった。

長年作って供給してきた食事でできた夫の身体にメスが入ることは自分の一部が切られることと変わらないと妻は考える。子どもに対してならわかるが、夫にもそう感じることがあるのだろうか。

手術で失敗の確率があるからといって、病院を離れ、海のものとも山のものともわからない民間療法を試さずにはいられない気持ちは理解できるが、納得できない。それも、いかにも怪しげで、厳しい修行ともいえる体験や、いかにもくさそうな料理を食べるなど描写が生き生きとしているだけ、読むのにうんざりした。

また、手術後の妻の喪失感と死の衝動はいったい何なのか。鈍い私には良く理解できなかった。

初出誌は「小説トリッパー」2006年春季号から2007年秋季号まで連載したもので、単行本化にあたって改稿した。



村田喜代子は、1945年福岡県八幡生まれ。1977年「水中の声」で九州芸術祭文学賞を受賞し文筆活動に入る。1987年「鍋の中」で芥川賞、1990年「白い山」で女流文学賞、1998年「望潮」で川端康成文学賞、1999年「龍秘御天歌」で芸術選奨文部大臣賞受賞。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

題名から感じる夫婦の純愛ものではない。長年の愛情も恨みも積み重ねてきた夫婦の一方に危機が訪れたとき、どう支えていくか、どのようにイライラするか、病人のどのように引きずりまわされるか、一つの例として読める。60前後の夫婦のあり方と共に興味ある人にはお勧めだ。

読み始めて、動脈瘤がわかるまでの経緯や、その後の闘病のリアルさから、著者の体験かと思ってしまった。巻末に心臓や人体に関する参考にしたいくつかの本への謝辞があり、著者の勉強した成果であることがわかった。自分で経験していないのに(?)、知識を自分のものとして、あたかも目の前で起こっているかのように表現する力はさすが芥川賞作家が5年の歳月をかけた渾身作だ。

ただ、著者の筆力がすばらしいだけに、何かもっと深みのあるテーマはなかったのだろうかと思ってしまう。


コメント
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