hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

80歳を過ぎて思うこと。20歳の私に伝えたいこと。

2024年09月29日 | 個人的記録

 

私が生意気盛りの20代の頃、こんな矛盾だらけで、窮屈な社会はこのまま続くはずがないし、行き詰まってひっくり返るに違いないし、そうしなければならないと思っていました。

また、私自身、40、50歳になれば考えも、生活もすべてが固まってしまっているだろうし、さらに60,70歳になったならば「はっきり言って人生もう終わったようなものじゃん」と思い込んでいたのです。

 

ところが、当時の若者の反抗も思いもかけない陰惨な結果で自滅し、世の中は、そして私の20代、30代も言い訳しながら平然とそのまま動いていきました。安月給で、二人だけの家庭を作り上げるのに、必死だったとも言えるでしょう。

 

さらに、40代、50代では、こんな思い通りにいかない仕事辞めてやると数年ごとに思いましたが、心配しながらどこまでもついて来てくれるだろう妻や、授かった子供を思い、踏み切れませんでした。いやそれ以前に、まあ経済的に見れば人並以上に恵まれている生活じゃないかと、新しい人生への勇気を持てず、結局、ただバタバタしているだけで流され、過ごしてしまいました。

 

気が付けば60代に入っていて、まあ肩の力を抜けば、悪い生活じゃないし、世の中そんなに急に変わるものじゃないと悟り、お得意のあきらめの境地になっていました。まさに、水から茹で上がってしまう、あきらめのカエル状態でした。

 

70代になっても、枯れた仙人の気持ちには程遠く、元気もないのにすれ違う美人を目で追ってしまうし、特に欲しい物もないのに宝くじに当たったらと妄想してしまうのです。一方で体力は確実に低下し、歩いていても、ながらスマホのハイヒールの若い女性にスイスイと追い抜かれ、細身だったのに下腹だけは出っ張ってズボンのウエストは際限なく拡大し、頭髪も白髪はあっというまに通り過ぎ、ヒヨヒヨから、テカテカに近づいているのです。あちこち問題も出てきて身体は確実に壊れ始めています。

しかし、心は、少なくとも一部にはまだ20代の頃のかけらを引きずっていて、昭和30年代、40年代のニュース映像などを見ると、一瞬、若い時代に戻っている自分に気づき、一人恥ずかしく思うのです。出来ることはほとんどないくせに、社会に貢献していないことへ心苦しさを感じ、いくつかの社会活動団体へ申し訳程度の少額の寄付をしたり、これぞと思うネット請願に一票を投じたりする程度のいじましいことして、言い訳しています。

 

80代に入った現在、親しい友人が一人二人と亡くなったりするなか、自分も身体が不自由になることへの不安が心の底に澱んでいます。一方では、まだ何か一つぐらいは社会と関りを持ちたいし、その能力は少しだけなら残っているはずとの未練もあります。しかし、年々ともかくここまで来たのだから後は流れに任せるほかないと、諦めがようやく優位になりつつあります。

 

過去を振り返れば後悔することが多く、私の人生、けして充実していたとは言えません。あそこで、ああすればなどと思ったらきりがありません。そして、「平凡」じゃあ、私が生きている価値がないと嫌っていた若かった私も、結局、多くの同世代の皆さんと同じような人生になってしまいました。それでも、その結果としての現在の、のんびり過ごす老後には大きな不満はありません。

 

会社で出世したわけでもないのに、ちょうど日本経済の発展期だったので、老後も過度に心配しなければまあなんとかなるだろうと思えます。考えようによっては、嫌なことはやらなくてよいのでストレスがなく、夫婦2人なんとか仲よくのんびり暮らせる現在がわが人生で一番幸せな時期なのだと思いますし、思うことにしています。

 

 

そんなとき、片意地張っていた20歳の私に、「老人になっても全部が終わってしまうわけでもないし、そう悪いものじゃないよ。自分がどれほどのものか、内心では分かっているだろう。まあそう突っ張らず、のんびり行こうぜ」と伝えたくなるのです。

さらに、「互いに心から信頼できそうな人を嫁さんにさえすれば、あとはなんとかなるさ」と。

 

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9月(2)の花

2024年09月27日 | リタイヤ生活

 

9月16日に届いた花

 

 

満開、ほぼ満開、蕾と様々な13本の「トルコキキョウ」が今回の主役

 

2日後

 

次々と咲いた「トルコキキョウ」。

トルコキキョウ(トルコギキョウ)は、キキョウ科ではなくリンドウ科で、日本で品種改良されて、八重咲、白色などバリエーション豊かな品種になった。原産地はトルコではなく、アメリカらしい(日比谷花壇説)。

 

 

いがぐり頭がてんてんと広がる「ワレモコウ(吾亦紅)」。

1メートルほどの草が秋に枝分かれして、先端に穂をつけたような赤褐色や暗紅紫色の花をつける。

「吾亦紅」と書くと、私は「すぎもとまさと/杉本真人」の印象的な歌を思い出す。

 

 

まだほとんどが開いていない「クジャクソウ(孔雀草)」。別名「宿根アスター」

 

 

象の鼻のように枝を伸ばす「アスパラペラ」。食用の「アスパラガス」の仲間。

茎に小さなトゲがあるので注意。細かな葉がパラパラ落ちるので面倒。

 

 

「石化エニシダ」

真ん中の茎がコブラのように頭をもたげ、周りの細い棒のような枝はただただ真っすぐ上を目指す。

「石化エニシダ」は、ユニークな形状からアレンジや生け花などでよく用いられる花材。

「エニシダ」は、乾燥地で無駄に水分が奪われないよう葉は小さく、緑色の枝でも光合成が行われる。西洋では枝からほうきを作り、魔女が空を飛ぶほうきもエニシダの枝でできているという。
「石化」とは奇形の一種で、複数の茎などが癒着して扁平な形になったものをいう。

 

 

4日後

トルコキキョウの水揚げが悪くて首を垂れているので、低い花瓶に代え、茎をできるだけ詰めて、垂れた花を花瓶で支えるようにした。
吾亦紅は茎が硬く、広がっていて、他の花をじゃまして困る。枯れているかにも見えるので、折ってとも思ったが、なんとかそのまま後ろに控えてもらった。

相方のいない間に生け替えをしたが、手間ばかりかかり、形がまとまらず、こりごりだ。

 

 

11日後、こんな姿で命永らえています。

 

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内田舞、浜田宏一『うつを生きる』を読む

2024年09月25日 | 読書2

 

内田舞、浜田宏一著『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書1463、2024年7月20日文藝春秋発行)を読んだ。

 

表紙裏にはこうある。

アベノミクスのブレーンとして知られる経済学者の浜田宏一氏。その活躍の裏側で長らく躁うつ病に苦しんできた。さらに回復の途上、実の息子を自死で亡くす。人生とは何か。ともにアメリカで活躍する小児精神科医の内田舞氏を聞き手に波乱に満ちた半生を語る。

 

「文藝春秋BOOKS」の本書の紹介に、【5分で聴く♪文春新書】内田舞&浜田宏一著『う… がある。

 

 

浜田さんは、すらすらと勉強していたのが、東大に入って、極めて優れた人が現れて戸惑って、「自分はノイローゼだ」と言ったことを覚えている。うつ症状の発端は、このあたりかもしれない。

 

浜田さんは医者を変え、薬を変え、認知行動療法も受けたがうつは改善しなかった。入院中に、医師から問われ、落ち込む前に攻撃的になったことを思い出して伝えると、躁うつ病のうつ状態にも効くリチウムを処方された。
飲んだ翌日から「何かいい方向にむかっている」と確信できた。以後、30年間うち病の再発が心配になったことはまずなくなった。

 

 

私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで、最大は五つ星)

 

浜田宏一という有名な学者の話ではあるが、ひとりの躁うつ病患者の、病の発端、様々な治療課程、改善後といった詳細な経緯、良かったこと、悪かったことなどが詳細に語られるのは凡人の私にも参考になる。

 

浜田さんも、医者の内田さんも、超エリートではあるが、極めてアメリカ流に率直に話し、難しい話も要領よくやさしく話してくれる。

 

アベノミクスを提唱者の一人なので仕方ないのだが、浜田さんは、安倍さんの経済政策の欠点に触れてはいるが、肯定する部分が多く、読み飛ばした。

 

 

内田舞(うちだ・まい)

小児精神科医、ハーバード大学医学部准教授、マサチューセッツ総合病院小児うつ病センター長、3児の母。

2007年北海道大学医学部卒、2011年イェール大学精神科研修修了、2013年ハーバード大学・マサチューセッツ総合病院小児精神科研修修了。日本の医学部卒業者として史上最年少の米国臨床医。

著書に『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る 』(文春新書)、『REAPPRAISAL 最先端脳科学が導く不安や恐怖を和らげる方法』(実業之日本社)、『まいにちメンタル危機の処方箋』(大和書房)。

 

浜田宏一(はまだ・こういち)

1936年生まれ。アベノミクスのブレーン。元内閣官房参与、イェール大学タンテックス名誉教授、東京大学名誉教授。

専攻は国際金融論、ゲーム理論。

主な著作に『金融政策と銀行行動』(共著、東洋経済新報社)、『国際金融の政治経済学』(創文社)、『エール大学の書斎から』(NTT出版)、『アメリカは日本経済の復活を知っている』『21世紀の経済政策』(ともに講談社)。

 

 

メモ

 

  • うつは患者のエネルギーが回復する治りかけが最も自殺のリスクが高く、危ないから油断してはならない。
  • 「希死念慮」:自殺妄想というと、非現実的なことを考えているようにとられてしまう。
    ただ死にたいと言う考えだけでなく、その状態から救ってくれる人のあらわれることを実は願ってもいる複雑な状態だった。
  • 自殺衝動があるときには、地に足がついている感じをもってみること(grounded)。まずは屋外に一歩出て日光を浴びたり、風を感じて見たり、シャワーを浴びたり、ランニングをしてふるい落とす。

 

 

  • 評価には、自分自身が納得できるか、生き甲斐を感じられるか、と言う「内的評価」と、成績や賞や人からの注目といった外からの「外的評価」がある。
    患者は「内的評価」を育てることが大切。自分が何をしたか、自分が誰であるか、また自分の価値というのは誰かとの比較や評価で変わるものではない。
  • ネガティブな感情を自分がなぜ抱いているのかがはっきりすれば、その感情が負担にならなくなることもある。感情やその背景にむきあることで、気分を変えようとする、このプロセスが認知行動療法です。
  • ベッドに入りすぐ寝られるが、夜中に目が覚めてしまいいろいろ考え始めてしまう。そんなときは、オーディオブックや音楽を聴いて一箇所にアテンションをかけると寝られる。どうしてもと言う時は薬を飲むのも良い。毎昼食後、1時間前後の昼寝を眠れても眠れなくてもするのも良い。

 

 

  • うつ病、躁うつ病、不安障害、ADHD、自閉症スペクトラムなども遺伝する。ただし、親が躁うつ病である場合でも子どもに躁うつ傾向の症状があるのはわずか10%ぐらいだと言われている。
  • インポスター impostor :本当の自分ではない他の誰か偽物を演じている、ペテン師といった意味。他人が思う自分と自分自身の能力が一致していないと不安を覚える症状を表す。
  • アメリカ人は褒める部分を見つけてそこを的確に褒める
  • うつになっても、IQの意味での知能は落ちないが、情報処理能力(実行機能、遂行機能)やそのスピードは影響を受ける。

 

 

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9月(1)の散歩

2024年09月23日 | 散歩

 

ピンクのサルスベリ(百日紅)

近づくと黄色のメシベと、蕾が見える。

 

こちらもピンクのサルスベリ

黄色いメシベがはっきり見える

 

白いサルスベリ

白い花もメシベは黄色い

 

ノウゼンカズラ

 

花は鮮やか。形がトランペットに似ていることから、英語ではトランペット・ヴァインなどと呼ばれる。

 

ブラシノキ(ボトルブラッシュ)の小さな花が見える

いつもより小さな花が咲いている。大きくなると瓶洗い(ボトルブラシ)のような花が咲く。

 

有毒なヨウシュヤマゴボウ(洋種山牛蒡)。

食用となるヤマゴボウは花序が直立していて、めったにないらしい。

 

シマトリネコとのGoogle Lensの判定

白いところを近接撮影

 

アセビ(馬酔木)

 

ムクゲ

 

花より葉が小さく、ギザギザがある。

 

フヨウ(芙蓉)。葉が花と同じくらい大きく、柏形。

 

緑のカーテンがずらり。さすがエコロジーが売り物のマンション。

 

 

 

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東京駅舎と「手打ちそば みや川」

2024年09月21日 | 食べ物

「東京駅ステーションギャラリー」でフォロンの「空想旅行案内人」を観たあと、3階の展示室から階段で2階に降りた。

 

天井からのシャンデリアも駅舎建設当時のもの。

 

回廊の下部は塗装を取り除いてレンガが露わにしてある。

案内板には「この建物は重要文化財です。建設当時のレンガの壁にはお手を触れないでください」とある。

レンガの間の黒い部分は、内装材などを固定するための木のブロック「木レンガ」で、1945年5月25日の東京大空襲で駅舎が爆撃され、火災熱で木が炭化したため黒い。

 

2階はドームを見下ろす回廊になっていて、駅舎模型が展示してある。

辰野金吾設計の当初の駅舎は、南北に乗降口と、中央に帝室用玄関を設けた長さ約335m、3階建てだった。

戦災で3階部分が焼失し、戦後に復興を急ぐためと、建築高さ制限のため、2階建てに改修した。

さらに、2007年から、「空中権」という駅舎の未利用の容積を売却することによって得られた資金を元手に保存・復原工事が行われ、2012年に現在の3階建て駅舎が復元・完成した。 

 

 

この後、ランチでも食べるべえと、駅外を歩き、なつかしの丸の内北口から八重洲への通り道へ入った。

あてもなく、改札外の「グラングルメ」のB1Fへ降りて、「黒塀横丁」が奥まで続いているのを見て、入口に一番近いところでもうこれ以上うろつくのは勘弁と、蕎麦なら無難だしと、グランスタ八重洲北の黒塀横丁にある「手打ちそば みや川」に入った。

 

私は「海老と夏野菜のおろし天せいろ」¥2,310

ナス、オクラなどの夏野菜と海老2尾、さっぱりとしたおろし大根。

 

相方は「穴子天と九条ネギ」¥1,650

 

蕎麦は腰が強く美味。海老はまあまあの大きさでしっぽまで中身が詰まっていて、アナゴも美味しい。

隣の席が近いが、東京駅でこの値段なら贅沢は言えない。

わざわざ遠くから目指して行く店ではないが、近くを通れば、そしてすぐわかれば、また来るかも。

 

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森浩美の略歴と既読本リスト

2024年09月20日 | 読書2

 

森浩美(もり・ひろみ)

放送作家を経て、1983年より作詞家。男性。

現在までの作品総数は700曲を超え、荻野目洋子「DanceBeatは夜明けまで」、田原俊彦「抱きしめてTONIGHT」、森川由香里{SHOWME]、スマップ「青いイナズマ」「SHAKE」「ダイナマイト」、KinkiKids「愛されるより愛したい」などの数々のヒット作を手がける。

2006年、初の短編小説集『家族の言い訳』を発表。

その他、掌編小説集『推定恋愛』『推定恋愛twoーyear』『家族の見える場所』『こちらの事情』、『家族のかたち』、長編小説『夏を拾いに』など。

近年は「家族」シリーズを軸にした朗読劇「家族草子」を主宰し、日本各地で公演を行っている

 

 

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森浩美『家族のかたち』を読む

2024年09月19日 | 読書2

 

森浩美著『家族のかたち』(双葉文庫も12-11、2023年9月16日双葉社発行)を読んだ。

 

裏表紙にはこうある。

家族とは、自然に「ある」ものではなく、「なる」ものではないか。人間の一人一人が持つ希望や悩み。そこには、家族の数だけドラマがあり、笑いもあれば涙もある―。一貫して「家族」のあり方を描いてきた著者の作品から、選び抜かれた7編を収録。ときに切なく、ときにあたたかく。多くの読者の涙を誘った「家族」シリーズのベスト版。

 

シリーズ累計55万部を突破した著者の「家族」シリーズから、著者が主宰する朗読劇で上演される作品をセレクト。家族がテーマの7編の泣かせる短編集。

 

 

底本:『家族の言い訳』、『家族の分け前』、『小さな理由』、『家族の見える場所』、すべて双葉文庫

 

森浩美の略歴と既読本リスト(明日UPします)

 

私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで、最大は五つ星)

 

泣かせの伝統芸。子供を出汁にして、あざといと反発しながらウルウルするお爺さん。
とは言ったが、既読本(『家族の言い訳』、『家族の見える場所』)と同じ話が4篇もあると、さすがに三つ星。

ごちそうさまでした。

 

 

以下、ネタバラぎみのメモ。

 

「ホタルの熱」(『家族の言い訳』より)

夫が失踪し、お金もなく、追い詰められた和香子と6歳の息子・駿。体が弱い駿は、この日も旅の途中で発熱してしまう。困る親の姿を見続けた駿は「ママ、ごめんね」と繰り返す。覚悟を決めて電車に乗ったはずなのに、……どうせもっと“遠い場所”へ連れて行ってしまうつもりだったのに……。
親切な民宿の女将さんに助けられ、布団に寝かされた駿は和香子にしがみついた。

身体の弱い子供に、「ボクさ、……今度……生まれてくるときは元気な子に生まれてくるから……そうしたらまた……ママがボクを産んでくれる?」と言われたら、貴女はどうする?

 

「ママ、みーつけた」(「家族の分け前」より)

子供が巣立った夫婦だけの家に姪から、「公子おばちゃん、渉をお願いします。明日香」と手紙が来て、鍵と地図が同封されていた。地図の家に行くと、渉という男の子がいて、ママはいるけど、かくれんぼしているんだという。

公子は「ひとりぼっちでかくれんぼしていたのはこの娘だったのかもしれない。誰かに捜してほしいとずっと願っていたのではないのか」と思う。

 

「渡り廊下の向こう」(「小さな理由」より)

「ねぇパパ、コンサートに行ってもいーい?」と母親に反対された高校生の娘が甘えてくる。

田舎町で中学のときに好きになった川村とコンサートに行ったことを思い出した。

 

「いちばん新しい思い出」(「小さな理由」より)

15年以上会っていない娘から突然電話があった。再婚した元妻が娘と会わせようとしなかったのだ。娘は結婚式に……。

 

「後出しジャンケン」(『家族の見える場所』より)

母を事故で亡くした姉妹は父がカタールに滞在せざるを得ず、伯父夫婦に預けられ、苛められる。25歳の妹は結婚で別居する前の晩、小言は言っても肝心なことは言わない6歳上の姉に、けじめをつける。

 

「イブのクレヨン」(『家族の言い訳』より)

正洋は5歳の誕生日でクリスマスに母・冨美子にクレヨンを買ってもらい、母の似顔絵ばかり毎日描いていた。祖父母の家に行って、朝、目が覚めると母はいなくなっていて、大切なクレヨンも行方不明になった。母はそれ以来音信不通だった。今はイラストライターをしながら、妻・里香子の連れ子のエリカと仲良く暮らしている。今年のイブのプレゼントの包装紙の中からクレヨンの箱が現れた瞬間、手だけでなく身体からすべての動きが失われた。……。

 

「最後のお便り」(『家族の見える場所』より)

入社30年、TVからラジオへと流れて来たベテランアナウンサー寺田武は、地味な番組だが「こころの焚火」を4年7ヶ月担当してきた。最後の放送の開始前、入院中の母が危篤だと電話が入る。武は子どもの頃から飽き性で、母には「お前は物事を全うしたことがない」とよく叱られた。
痩せて節くれだった指に触れる。まだ温もりがある。きっと魂はまだ近くにいるのだ。窓の外に目を向けると、何かの鉄塔の先端に光が点滅していた。まるでオンエアーの赤いランプが点いているようだ。「母さん、いいかい…」私はベッドに上体を載せると、母の耳元に口を近づけた。「それでは、最後のお便りを紹介しましょう。・・・」

 

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森浩美『こちらの事情』を読む

2024年09月17日 | 読書2

 

森浩美著『こちらの事情』(双葉文庫、も12-02、2009年9月13日双葉社発行)を読んだ。

 

裏表紙にはこうある。

愛の消えた生活、ままならぬ人生……でも、人は努力する。そこに、ドラマが生まれる。「どの物語にも最後は“光”を残した。“救い”と言い換えてもいい」(著者あとがきより)。
『晴天の万国旗』は数々の試験問題に、そして『荷物の順番』『短い通知表』『福は内』はラジオドラマの原作に選ばれた、珠玉の短編集。
「人生捨てたもんじゃない」――平凡かつ楽ではない毎日の中に希望を見いだす、真正面からの家族小説です。

 

見返しには、

「こちらの事情を口にするとき

 それは身勝手な言い分になってしまうかもしれない

 でも察してほしいときがある」

 

 

初出:「小説推理」2006年7月号~2007年2月号。2007年4月、双葉社よりハードカバーで刊行。

 

 

私の評価としては、★★★★★(五つ星:読むべき、 最大は五つ星)

 

ひねくれているくせに、根が単純で、最近は何見てもほろりとしてしまうお爺さんは五つ星。

タモリと用水がラジオで、「年取ると涙もろくなるよね」と話していた。「地生えの松、あれは泣けるね!」「泣ける、泣ける。けなげだよね!」「自分の枝を持ち上げられなくなって、棒で支えてもらっても、それでも必死に枝を伸ばしているんだからね」。あのふざけたタモリと用水だからこそ、笑えた。

 

まあ、試しに読んでください、森浩美(男性、放送作家、作詞家)の家族物。

森浩美の略歴と既読本リスト (9月20日にUPします)

 

以下、私のためのメモ(ネタバレ注意

 

泣かせどころを心得た手練れの森浩美。あれこれ思い出してほろりとなるようになってしまったお爺さんは、概要を2行づつ書くつもりがつい長くなってしまったので、内容紹介はメモとして最後に回した。

 

「晴天の万国旗」

息子の光平はクラス対抗リレーの選手に選ばれていたのに「オレ、リレーに選手、降りようかな……」とこぼす。母の美代は「お母さん、昔さぁ……逃げちゃおうかなって思ったことがあるんだ」と、昔話を始めた。
美代のライバルは、意地悪な大家の娘・晶子だったが、練習で転んだのを美代のせいにし、親とともに美代の家に怒鳴り込んできた。借家を追い出されることを恐れた美代は、運動会の当日……。

 

「葡萄の木」

小3の遼太郎のお気に入りは種無しピオーネで、一家4人で勝沼に葡萄狩りに行くことになった。前日、仕事で何かあった夫がイライラして帰って来た。食事中に掛かってきたケータイに返信メールを打ち、夫に注意されても挑むように止めない娘・夕夏に怒って夫はケイタイを壊してしまった。

それでも葡萄狩りに行って、息子は1本の木の、隣り合った房ばかりにハサミを入れる。「この葡萄はさぁ、たぶん家族なんだよ。だから別々にしたら可哀想じゃん」。

 

「甘噛み」

メグという名の犬を飼う子供のいない夫婦。妻と、どうしても一緒に住まない妻の母がメグを連れて旅行に行く。最初の結婚で子ができないようにされた母は再婚し、姉の子を養女にして育てたのだった。妻はメグには子供を産ませたい。だから、母に一緒に住んで欲しいと頼む。

 

「短い通知表」

家族4人で互いに通知表を作って、大晦日に交換し合っていたが、妻・潤子が今年の春、突然亡くなってしまった。妻の部屋を整理していると、“明日やること帳”と書いたノートが出てきた。
中に“頼んだケーキ買い忘れ、しかも開き直る、ー10点”、“検診に行けと言われる。気遣いあり、+10点”などと書いてあった。

 

「福は内」

出張の帰りに正月にも帰らなかった実家に寄り道した。何も話さなかったのだが、父も母も弟も、お金に困っていると察していたのではないだろうか。帰宅後しばらくしてから母から荷物が届いた。

 

「靴ひもの結び方」

大型開発の実務責任者になって住民説明会が紛糾し、暗礁に乗り上げて赤木は苦しい立場になっていた。娘・紗香の弟が無事産まれることができず、そのことを抱え続けていた赤木は妻とも娘ともうまくいかなくなっていた。ふと見かけた一人ぼっちの足の悪い周くんに、妻や娘に隠れて、野球を熱心に教えることになる。

 

「妻のパジャマ」

私は子会社に出向で仕事はヒマになり、娘は結婚し、息子は京都で就職した。そして、もう自由になりたいと妻・紀代子から離婚届けを渡された。翌朝、紀代子はぎっくり腰になり、入院した。

 

「荷物の順番」

妻と5歳の娘を連れて、15年振りの生まれ故郷のローカル線の終着駅へ。旭川の実家への予定を変更したので妻のご機嫌は斜め。兄弟いずれも時間が取れなくて、おふくろを施設に入れるのに末っ子の私が駆り出されたのだ。
このまま母と一緒に東京へ帰るかと心が迷う私に母は言う。
「人は生きていれば色んなことがある。でも、人の手はふたつしかないからね」「…荷物を持つにも順番があるんだ。…欲張ればそれは“お荷物”になるだけ。お前がちゃんと抱えてあげなきゃならないのは家族と仕事。親に育ててもらったら、今度は子供を育てる。世の中は順番なんだから。それが一番の親孝行になるんだから。…」

「おふくろは、お荷物のはずがない。おふくろはおふくろだ……」

 

 

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虹を見た

2024年09月16日 | 日記

昨日、9月15日17時37分、ベランダから虹を見た。こんなことで幸せに!

 

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東京駅ステーションギャラリーでフォロンの「空想旅行案内人」を観る

2024年09月16日 | 美術

 

皇居三の丸尚蔵館を観たあと、東京駅丸の内北口ドームの改札口を見て左手から東京ステーションギャラリーに入り、エレベーターで3階に登る。

 

ここでは、「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」展が開催されている。

当日券が1500円、前売りは1300円

 

ジャン= ミッシェル・フォロン (Jean-Michel Folon, 1934-2005)

20世紀後半のベルギーを代表するアーティストのひとり。

1960年代初頭、アメリカの『ザ・ニューヨーカー』や『タイム』などの有力誌の表紙を飾るようになり、その後、各国で高く評価され、世界中の美術館で個展が開催される。

色彩豊かで詩情あふれ、一見美しく爽やかな作品だが、環境破壊や人権問題など厳しい現実への告発が隠れていると同時に、孤独や不安の感情が通奏低音のように流れている。

 

展覧会は撮影禁止のため、撮った写真はこの1枚だけ。

 

その他の絵は、例えば「東京ステーションギャラリー開催案内」を見ていただく方がきれいな絵なのだが、そこまでするほどでもないという方は、以下のパンフレットから私が撮影した以下の絵をご覧あれ。

 

フォロンさんの顔

 

当初の色なしの、お得意のドローイング作品(入場券より)

 

同上

 

奥さんの影響で、色が登場。3点だけご紹介。

青い帽子が鏡の中では赤い帽子に変わっている。

 

矢印シリーズ

 

『世界人権宣言』表紙 原画

 

なるほど、なるほどと思ったのは、「世界人権宣言」のいくつかの条文についてその心や、皮肉な現実を描いた作品の数々。(人権パスポート

 

 

フォロンの絵は、シンプルなホルム、淡い、夢見るような色彩と、ボ~~と見ているだけでゆったりできる。

しかし、残念なことに東京ステーションギャラリーは狭いうえに、人が多く、しかも休むところが少なく、たいてい先人がいる。その上、これでもかと、同じような作品が続き、集中力もなくなり、くたびれてしまった。夢見がちな作品は、ゆったり観たかった。

 

 

最期にもう一枚だけ。

「上昇」2004年 水彩

本展巡回最後の来年4月の大阪展が行われるあべのハルカス美術館の浅川真紀・上席学芸員による記事「私たちのフォロン」を読んで、是非このブログに追加したくなった。(上記の絵は記事にあったものを無断借用しました)

 

余命宣告もされていたが、それでも前向きに仕事に取り組んでいたフォロンが71歳で亡くなる前年に描いた絵だ。

「上昇」の仏語原題は“ASCENSION”。キリスト教では、主の昇天を意味する言葉でもある。浅川さんは、「世を去る前のフォロンの思いは想像しかできませんが、切なさや希望も含めて、みなさんと共有したかった」と書いていました。

 

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皇居三の丸尚蔵館で工芸品、日本画を楽しんだ

2024年09月15日 | 美術

 

皇居三の丸尚蔵館

平成元年(1989)に上皇陛下と香淳皇后(上皇の母)により、皇室に代々受け継がれた美術品が国に寄贈された。令和5年(2023)には「皇居三の丸尚蔵館」の名称で一部を開館し、令和8年(2026)度に全館開館を予定している。
場所は東京駅丸の内北口から皇居・大手門を経て、徒歩約15分。

 

開館記念展 第1期」、「開館記念展 第2期」と2回訪れたが、その後はパスした。

 

今回の9月10日~10月20日の「水の情景・月の風景」では、帝室技芸員の工芸品と、川合玉堂、橋本関雪園らの日本画、特に伊藤若冲の国宝「動植綵絵」、上村松園「雪月花」など近代日本美術の粋が公開される。

 

朝10時開門前に大手門へ着く。

 

左が江戸時代、右が現代

 

簡単な手荷物検査を受けて、見るからに頑丈そうな大手門をくぐる

それにしても、こんな大きな石を削って、人力だけできちんとくみ上げるのは大変そう。

 

 

直ぐに尚蔵館。右手が工事中の新館部分。

一般は1000円だが、70歳以上は無料なのがうれしい。

大手町駅から15分程度歩いて汗だらけなので、むかいのお土産小屋に入って、しばらく涼む。日本人は誰もおらず、欧米系の観光客が一杯で、彼らも思いは同じで、ベンチに座って水を飲むなど一休み。厳しい香水の香りが充満。

 

 

最初の展示は「近江八景蒔絵棚」。

蒔絵で、棚上部引戸には「満月と石山寺」の光景、写真では見えない上部には「三井晩鐘」「堅田落雁」など。

 

 

「塩瀬友禅に刺繍嵐山渡月橋図掛副」

木の幹などは刺繍で、友禅染と自然に合わさっている染織。

木の根元に見える人力車には傘をさした人がいて、遠く渡月橋の上にも人が見える。

 

 

「石山寺蒔絵文台・硯箱」

石山寺で琵琶湖に浮かぶ月を見て「源氏物語・須磨の帖」の着想を得た紫式部(真ん中の黒い点が髪の毛)を硯箱に、

 

湖面に映る月を文台に表した。パリ万国博覧会へ出品。

 

「夕月」藤井浩祐 大正11年

古代風の薄衣を身に着けた女性が、長柄の団扇を持ってたたずむ。視線の先を見ると、

壁に月が映し出されていました。

 

「雨後」 川合玉堂 大正13年

雨上がりの、移り行く大気を捉えている。

 

「夏山蒼翠・寒山一路・霜崖飛瀑」 佐川華谷 大正9年

我家には飾りようがない高さのある作品

 

「国宝 動植綵絵 梅花皓月図」 伊藤若冲 江戸時代18世紀

伊藤若冲が10年をかけて制作した動植綵絵30編のうちの1幅

(現場で撮った写真が酷かったので、パンフレットから写しました)

 

「朝露」6曲1双 平福百穂 大正4年

 

 

「暮韻」 橋本関雪 昭和9年

叢(くさむら)に立つ水牛。日暮れ時。

 

「雪月花」 上村松園 昭和12年

春の桜、秋の月、冬の雪の3幅。作者が20年以上かけて完成させた。

       

「冬の雪」の捧げ持つ御簾の細竹(?)も見事に描かれていた。

 

 

「近江八景和歌」 近衛家煕 江戸時代

琵琶湖南岸の景勝地を題として詠まれた和歌を、江戸中期に能書で知られた近衛家煕が色とりどりの料紙に端正な字で書写した1巻。以下の写真は解説のある部分のみ。

 

 

 

このあと、東京駅まで歩いて、「東京ステーションギャラリー」でジャン=ミシェル・フォロンの「空想旅行案内人」展を観た。次回報告

 

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ベランダからの眺め

2024年09月14日 | 日記

 

9月10日の朝9時前

 

真ん中の雲と右の雲との間に、ネズミ色の小さな雲がある。

ネズミ色の雲は白い雲の上にあるの? 下?

 

雲を見ていて、あきないのは私だけ?

 

 

9月14日朝5時半。朝日を浴びる遠いマンション

同時刻の朝焼け富士

 

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ダ・オカピートでピザ

2024年09月13日 | 食べ物

 

荻窪駅から青梅街道を西へ4分ほど、北側にPizzeria Trattoria Da Okapito(ピッツェリア・トラットリア・ダ・オカピート)がある(杉並区天沼3‐6‐2カノン武蔵ビル1F)。

前回始めて入って、普段の冷凍ピザはもちろん、ピザ〇〇とはあまりにも違う美味しさに驚いて、荻窪へ来たのだからと、1年ぶり2回目の訪問。

上の写真は前回のもの。

 

 

オーナーシェフは世界選手権で第3位の実績を誇るという「ダ・オカピート」。

店内にはカップや賞状がずらり。

奥には「OKAPITO」と描かれた窯が。

 

 

まずは、グリーンサラダ(インサラ・タヴェルデ)を二人でシェア。

 

ピザは、前回、世界3位獲得の一番高い(税込\3,080)のを注文したので、今回は「ナポリサラミとマッシュルーム、新じゃが芋の枝豆ペーストのピッツァ」(枝豆ペースト・ジャンボマッシュルーム・ポワロ―葱・新じゃがいも・ミニトマト・ナポリサラミ・グラナパダーノチーズ・胡椒)。

ただし、大きさが28㎝と大きいので、今回も二人でシェアー。

 

私はホットコーヒー(アメリカーノ)

 

相方はカフェオレ

 

二人分で5千円足らず。13時には食べ終わり、買い物して帰宅したが、お腹いっぱいで晩飯は残り物だけで軽くあげたので、結局えらく安上がり。

 

 

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9月(1)の花

2024年09月11日 | リタイヤ生活

 

9月2日に届いた花

 

 

上から2本のニューサイラン、4本のセロシア、4本のバラ、5本のガーベラ

 

ピンクと濃紅のバラ4本はまだ蕾。

 

ガーベラ5本、既に満開で勢いが?

 

セロシア(ノゲイトウ)4本はしっかりと立っている

どうでもよい情報だが、セロシアの花と見えるのは茎の先端部が進化した花序で、その根元に花びらのない実際の花があるのだという。

 

背景に過ぎないのに、カスミソウだけがやけに元気なのがむなしい

 

早くも翌日にバラは首を垂れそうになるし、ガーベラは花びらが反って、少し乱れ始めた。カスミソウまで白い花が黒ずみ始めた。

皆、今一つ元気がないのは、日中出かけてエアコンが入っていなかったためだろうか? 花も熱中症?

 

これまでも、冷房を避けて、部屋の反対側のテーブルの上に置いていたのだ。しかし、朝日が差し込むのもまずいと思い、3日目からは窓のシャッターも下げたのだが、花の勢いは失われたままだった。霧吹きしたりジタバタしたが、むなしい!

それでも花は飾ってはいるが、もはや、写真に堪えず。無念!

 

 

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我がブログの延べ訪問者数が100万人を超えた

2024年09月10日 | 個人的記録

 

パソコン画面でログインして、「アクセス解析」をクリックすると、

一番下に「トータルアクセス数」があって、

「トータル閲覧数 2510488 PV」の次に

「トータル訪問数 1000930 UU」とあった。

 

2006年3月4日から始めたこのブルグは、

2024年9月10日現在まで、18年6カ月6日(6,765日)続き、

トータル訪問数が100万人を超えたということなのだろう。

 

主な目的が自分の記録、メモなので、ただただ長ったらしい文章で、人様が読むようには書いていないのに、100万人とは!

それにしても18年とは!

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