当たり前ですよね。 若いときの親父の写真を見ると、今の私と瓜二つです。 そうなると目の前の親父の姿が、25年後の姿なのか・・・だとすれば節制しないと間違いなくメタボ体型になる・・・ 外見はさておき、最近では話し方や仕草まで似てきたと言われることがあります。 親父は、団塊の世代を象徴するかのような生き様で、戦後の復興期いわゆる右肩上がりの昭和を走りぬけ、バブルの津波に飲み込まれることは分っていながら会社経営を引き受け、そして社員と社員の家族を守るため身を粉にして働きました・・・それでも東南アジア製品に勝てませんでした・・・ その間、私と妹は、学費の心配をすることなく志す勉学をさせてもらいました。 「勉強しろ!」 などとは一度も言われたことはありません・・・というより仕事人間だった親父とは、成人してからもゆっくり語り合った記憶はありませんでした・・・ そんな関係が大きく変わるきっかけとなったのが、選挙でした。 28歳の時、町議会議員への立候補を決意し、両親を説得しました。 コミュニケーションに不慣れな親父と私は、話し合うと言うより、最初からぶっきらぼうな言葉をぶつけ合う喧嘩ごしの話し方しかできませんでした。 「お前みたいな若造に何がでくっとか!」 「医療・福祉の知識と経験は、現職議員にも負けん!!」 「誰が応援してくるっとか!病院と家との往復ばっかりで、地区の人の顔も知らんじゃろが!」 「俺も俺なりに、青年団やら消防団で地域活動をしてきたが!親父が知らんだけじゃ!!」 結局、説得することはできませんでしたが、私が1軒1軒地区のあいさつ回りを始めると、親父も重い腰を上げ、知人を家に集めてくれるようになりました。 それからの親父は、人が変わったように、真っ黒けになって応援してくれました。 あれから12年・・・今でもぶっきらぼうをぶつけ合っていますが、親父の献身的なサポートには、心の中で手を合わせています。 心の中だけの感謝ではダメですよね・・・ 優しくは無理かもしれませんが、ぶっきらぼうでも素直に感謝を言葉にしてみます。
親父と似ているところがあります。