ひらりん気まま日記

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オーストリア旅行(エピソード)

2012-12-14 23:26:43 | 2012オーストリア

ウイーンのホテルの部屋の窓から

現地4泊、毎晩睡眠時間4、5時間で平気で行動していたが、帰ってからその付けが回って来たのか、体調もイマイチ眠くて眠くて、午前中サークルに行って、午後はコタツで眠りこけていた。
今回のツアーJTB旅物語「オーストリアとチェスキークルムロフの冬景色6日間」の参加者は18名、今まで行ったことのあるツアーでは最少人数だった。
夫婦2組、母娘1組、祖母孫娘1組、友人(たぶん)2人×3組、3人×1組、1人旅1名
全て、海外旅行は何べんも…の人ばかり。
これくらいだと、バスは1人で1シート使えるし、たとえ現地観光3日間の短い旅程でも全部の人と知り合いになれる。
3人連れのグループは年も離れているので、なんの関係だろうかと、友だちが尋ねたら、なんと手話サークルだって。
私がどこの?って訊くと「羽曳野市」「はばたきサークル?」って聞いたらそうだって。
3人のうち、1人は超が付くほどの手話通訳大ベテランで、夕食時にいっしょになったときや、空港の待ち時間など、手話で話してくれた。
いつもなら、ツアーに参加しても、なかなか皆の会話が聞こえなくて寂しいことも少なくないけど、今回は楽しかった。
そして、1人は息子さんが難聴で、最近結婚した息子のお嫁さんが人工内耳なんだって。
中学生のときに愛媛大学で受けたそうで、これもお互いにえ?え?でビックリ。

祖母孫娘のおばあさんのほうは4年前まで、くずはに住んでいたそうで、乗り換えの飛行機の席が隣だったから、昔のくずはの駅前のことなど話して大いに盛り上がった。
うちの自治会の集会所にも「ヨガ教室」で通ってたというから、よっぽどの奇遇です。
78歳でもウイーンの自由行動は私らと同じところを全部回ってはったので、私もまだまだ行けるわと大いに自信が付いた。

こういうメンバーばかりならよかったけど、ひとり旅の女性(72歳)が2日目のチェコのチェスキークルムロフの自由散策を終わってバスの集合時間3時になっても戻らず、添乗員が何度もお城の方に捜しに行ったり、警察にも届けて捜してもらって見つからず。
どこかで行き倒れてるのか、トイレでひっくり返ったのか、よそのツアーのバスに知らずに乗り込んでしまったのか???
添乗員生活20年で初めてだと言ってた。
ちゃんとお城散策と駐車場(マーカー色付けて)の地図をもらっての自由行動だから、迷ったら誰かに地図を見せたらわかるはずやのに。
パリドゴール空港着いたときからその女性はちょっとおかしくて、へらへらと愛想はいいけど頼り無さそうで、いつもだれかのあとに付いてこようとするし、旅慣れてる風でもないし、ドゴール空港乗り換えの手荷物検査でペットボトル没収されたとぼやいてるし(ちゃんと説明あったやん)いきなり、友だちの足元に荷物を置いて「見といて」とどっか行ってしまうし。
なんで、こんな自由行動が多くて食事なしのツアーに1人で参加するのかようわからん。
私たちは駐車場で2時間半も待っても帰ってこないので、その人のスーツケースや手荷物を乗せたまま、バスで3時間かけてウイーンに向かった。
夕食レストランに寄って予定より2時間遅れの10時にホテル到着、ツアーの人たちはだれも怒らず、一緒に回ってあげてた奥さんもものすごく心配してたし、みな優しいんやね。
結局、列車乗り継いでウイーンのホテルに行きますみたいな内容の電話がホテルに入ったらしく、夜の11時半頃にホテルに来たそうだ。
ロビーで待ってた添乗員には「一緒に昼食してた人たちは先に出てしまい、道にはだれも居なくて、置いていかれた。駐車場に10分遅れて行ったら、もうバスが無いので、しかたないので列車やタクシーで来た」と。
うちら、真っ暗な何もないとこで2時間半も待たされたのに、さっさと帰る算段つけてはったのね。
英語が少ししゃべれるらしいけど、あんな地図も読めない高年者がよく列車乗り継いで、はるかに離れたウイーンまで戻ってこれたもんだ。
帰宅してからチェスキークルムロフからウイーンの行き方を検索したら、恐ろしくややこしい。うちら、こんな真似できひんわ。
今思い出してもなんだかミステリーな話だった。
翌夕、添乗員からはご迷惑おかけしたからと1人ずつチョコセットをもらい、帰国日の朝にはその女性がへらへらと「すみませんでした」の一言で終わり。危機感無さ過ぎ。
ま、行方不明にならなくてよかったです。