東洋町白浜に、『江藤新平遭厄の標』が建てられたということで、見に行ってきました。
その案内板がどこに建てられているのかわからないままに、白浜の駐車場に車を止めて、なんとなく、いつものように、津波からの避難用のテラスのある方向に歩いてみました。
そのあたりにあるのかと思っていたのですが、どうも見当たらなくて、そのまま、また、いつものように砂浜の波打ち際のあたりに行ってみました。
その時はちょうど引き潮だったので、波打ち際が少し沖の方に後退していました。
何気に波打ち際あたりを見ると、見事なリップルマークがありました。
このリップルマークを見るために何度も白浜海岸に通ったのですが、今まで一度も見ることができませんでした。
ほんど、一年以上前から、このリップルマークを求めて、何度も白浜に来ていたのですが、やっと見ることができました。
ようするに、干潮の時に来ればいいわけですが、うまい具合に、干潮の時に、白浜に来ることができなかったわけです。
白浜のリップルマークについてはのちほど紹介します。
江藤新平の案内看板は白浜ではなくて、『江藤新平君遭厄』の碑が建っている、甲浦中学校の裏手にあるもと、あきらめて駐車場に戻った時、ついでに、『海の駅』の中を覗いて、外に出た時に、海の駅の左側に何やら小さな看板らしきものがあったので、ふと見てみると、それが探していたものでした。
だいたい、諦めかけた時に、探しものは見つかるものです。
江藤新平は、高知県民ではないのですが、江藤新平がどういう人物でなぜ、江藤新平遭厄の標が白浜に建っているのかはウィキペディアの記事を見てください。
江藤新平遭厄の碑の文字も昨年までは消えかけていたのですが、文字がはっきりと見えるように修繕されているようです。
東洋町も観光客誘致に力を入れているようです。
室戸市には、幕末から明治にかけて、偉人が排出されていなくて、国民の多くが関心を持つ幕末の史跡がほとんどありません。
室戸市は空海の霊跡と、紀貫之の史跡と、幕末から明治関連では、偉人ではないのですが、『お馬・純信』の悲恋の物語の主人公であるお馬さんの、『よさこいお馬塚』が室戸岬の『青年大師』の敷地内にあります。
あとは、史跡というほどではないですが、羽根に、『二十三士』の最年少の桧垣繁太郎の邸宅跡と、天誅組の島村省吾の墓があります。
高知県東部は、幕末関連の史跡が点在しています。
幕末ファンの方にとっては、高知県東部は聖地のような所です。
江藤新平については下記を見てください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E8%97%A4%E6%96%B0%E5%B9%B3
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