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今回の旅で、確認したかった場所は、京都市堀川一条戻橋東入るの『小松帯刀』の私邸があったとされる場所です。
この場所で薩長同盟が締結されたはずです。
しかし、この場所はあくまで、推定ということになっています。
この場所に小さな石碑が建てられる以前は、同志社大学の新町キャンパスが薩長同盟の締結の場所と言われてきました。
大河ドラマ篤姫の放送に合わせて、今一度調査をして、堀川一条戻橋東入るが、小松帯刀の私邸だったのではないかと、推定されたわけです。
ですから、この場所が決定的に薩長同盟の締結場所だというわけではありません。
『旧近衛邸』の跡地に小松帯刀の私邸があったということは確実なのですが、旧近衛邸はいくつかの場所があったようで、堀川一条戻橋東入る付近にも、同志社大学の新町キャンパスにも、近衛邸があったということです。
正確な場所は、京都市堀川一条戻橋の交差点(晴明神社から南側の一つ目の交差点)を東側に進んで、一つめの区画(ワンブロック)の南側の民家のような建物の角です。
小さいので、見過ごしてしまいます。最初は、場所が分からず、そのありを歩いていた住人に聞いてみたのですが、小松帯刀という人物すら知らなかったようです。
少し迷いながら、一条戻橋に戻って、東の方向に向かって、なんとか発見しました。
薩長同盟の締結の場所についてはあまり龍馬関連の研究書でも登場することはありません。
一般的に、京都二本松で薩長同盟が締結されたのだと、言われることが多いのですが、京都二本松とは、薩摩藩邸のあった場所で、現在の同志社大学の今出川キャンパスです。
確かに、最初はこの場所で話し合いが始まっているのですが、四日後に、小松帯刀の私邸に会談の場所が移動しています。
小松帯刀は薩摩藩の家老ですから、その場所に関しては薩摩藩関係者が研究するのが筋でしょうが、土佐藩関係者も研究するべきではないかと思います。
おそらく、龍馬の名を歴史の表舞台に登場させたのは、この薩長同盟です。
その現場に龍馬が立ち会っていたという事実が、桂小五郎が龍馬に送った手紙の裏書によって証明されています。
龍馬の名を後世に残すことになった、歴史的会見の場所を、土佐藩関係者こそ、研究するべきだろうと思います。
研究するといえば、慎太郎と龍馬はいつどこで初めて出会ったのか、とても気がかりなのですが、そういうことについて研究している土佐藩関係者はいるのでしょうか。
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