きまぐれ日記

高知県室戸市の地域情報と写真などの趣味の話。時々エッセイ風に。

『土佐日記御崎の泊』の石碑の謎

2012年01月22日 13時01分33秒 | 観光スポット



室戸岬の、閉館している『ホテルニューむろと』の横の駐車場から、海岸に下りて行って、乱礁遊歩道を『エボシ岩』の方向に進むと、『土佐日記御崎の泊』の石碑があります。

この石碑の建っている場所が少し、平らな岩になっていますが、これは、『波食台』です。

なぜ、この場所に、『土佐日記御崎の泊』(とさにっきみさきのとまり)の石碑が建っているのでしょうか。

これは、紀貫之の、『土佐日記』の記述に由来しています。

『室津の泊』ではなくて、『御崎の泊』になっているのも何か意味がありそうです。

土佐日記では、『室津の泊』の場所がミステリーになっているのですが、『土佐日記』の記述からは、『室津の泊』が二か所あったように推理できます。

『土佐日記』の『十七日・・・』の章には、夜明けに、『室津の泊』を漕ぎ出したことが書かれています。

そして、雲行きが怪しくなったので、船は引き返しています。

この引き返した場所が元の、『室津の泊』だったのか、あるいは、別の港だったのか。

船は、すでに、室戸岬沖を通過していて、天候が悪くなったので、引き返したのだから、わざわざ、『室津の泊』まで、引き返すはずがなく、室戸岬の東側の、『ホテルニューむろと』の前の海岸に船に停泊させたはずだということで、この場所に『土佐日記御崎の泊』の石碑が建てられたのだと思われます。

この場所は、あまり高い岩がなくて、なんとなく、船が入れるような海岸のようにも思えます。

この場所では南海地震によって土地が隆起した跡が見られます。

土佐日記が書かれた時代(934年)は、今より、はるかに土地が低かった(土地がどれだけ低かったのかは、室津の泊の場所を推定するには重要)ので、岩が船の底にぶつかることもなく、自然の港のような形になっていたのではないかとも思われます。

この場所が、『室津の泊』だったと推理できる記述が、『土佐日記』の『二十日・・・』から始まる章です。

この章には、月が海から出ると書かれています。

海から出る月が見られるのは、室戸岬の月見ヶ浜から東側です。

海から出る月が見えるとするなら、月見ヶ浜から東側に、『室津の泊』があったとしても、おかしくはありません。

しかし、まだ、謎があります。

『土佐日記』はほんとに、事実を書いたのか。

『土佐日記』は日記とはいいながら、航海日誌ではありせん。

船旅をしながら毎日船の中で書いたのではなて、紀貫之が都に帰ってから書いたものです。

謎は、つづきます。

『土佐日記御崎泊』の碑の場所。

http://yahoo.jp/4LMgCL



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