きまぐれ日記

高知県室戸市の地域情報と写真などの趣味の話。時々エッセイ風に。

よさこいお馬塚

2008年01月14日 13時10分38秒 | 観光スポット





黄金の涅槃像







室戸岬の青年大師像の場所が分からない方はいないと思うのですが、実際に、そこに出かける地元の方は少ないと思います。

わざわざ、料金を払って、大師像の近くまでいかなくても、国道から見えているわけですから、国道からも、参拝はできます。しかし、実際に、接近してみもると、その巨大さをあらためて実感することができます。

この青年大師像は、ニューセラミックでできています。白亜の青年大師像は国道からは見えるのですが、黄金の『涅槃像』は国道からは見えないので、日本唯一の『涅槃像』を見るにはやはり、青年大師像を実際に見学するべきです。

青年大師像の足元には、曼荼羅を表現した宇宙とでもいうべきものが見られますし、空海の手形もあります。 

青年大師像は、巨大な白亜の像にばかり目が引かれますが、ここには、たいへん興味深いものがあります。それは、『よさこいお馬塚』です。

なぜ、お馬さんの『塚』が室戸岬にあるのでしょう。 

そもそも、お馬さんとは誰なのかということから話す必要があると思います。 

『土佐の高知のはりまや橋で、ぼんさん、かんざし買うを見た~、よさこいよさこい』というよさこい節は高知県民ならば誰でも知っていると思います。

この『よさこい節』を龍馬もよく歌ったということです。

この歌のもととなったのが、純信とお馬の悲恋の物語です。 

『純信とお馬』の悲恋の物語は、ただの創作、つまり、フィクションだと思っている方も多くいるかもしれないですが、これは真実の悲恋の物語です。

では、その物語を少し説明します。

時代は、安政時代(1850年代)から明治にかけての物語です。龍馬とほぼ、同世代の物語と考えていいと思います。 

お馬は高知市の五台山のふもとの鋳掛屋の長女で、それはそれは、色白で、髪の毛が少し赤くて、人目を引く美人でした。お馬は母親の手伝いに、洗濯物を届けに、竹林寺に出入りしていました。

そのお寺の僧侶の純信と恋に落ちたということです。実は、もともと、お馬は純信とは別の僧侶と恋仲になっていたのですが、純信が横恋慕したという話もあります。

当時、お馬は17歳、純信37歳でした。よさこい節にもあるように、お馬は簪をプレゼントされています。ただ、その簪は、もともと恋仲だった僧侶がプレゼントしたものだとも言われています。

やがて、ふたりの仲は世間に知れることになって、純信は謹慎の身になり、お馬は、竹林寺への出入りを禁止されます。

このような目に会っても二人の恋心が廃れるどころか、想いはつのるばかりで、意を決した二人は、安政二年(1855年)5月19日に駆け落ちをします。

しかし、関所を突破して、琴平までたどり着いたところで、追っての役人に捕らえられ、高知の城下に連れ戻され、3日間晒し者にされます。

純信は土佐藩から、川之江に追放され、お馬は、安芸川から東へ追放となり、安田町の神峰寺のふもとの宿屋で働くこととなったということです。

いったん、これで一件落着のようにも見えたのですが、恋は人に驚くべきパワーを与えます。

土佐藩から追放されても純信はただひたすらお馬に会うことばかりを考えていました。行商人に身を隠したした純信はお馬に会いに行ったのです。

ふたたび、純信は土佐藩外に追放となり、お馬は仁淀川から西に追放され、須崎で暮らしていましたが、その土地の大工と結婚して、二男二女の母となって、平穏に暮らしていました。

お馬の二人の息子は職を求めて、東京に出て行きました。

晩年のお馬夫婦は、長男の徳太郎を頼って、明治18年に上京しました。お馬の夫の米之助は、明治31年に、死亡し、お馬は明治36年12月15日に、66歳の生涯を終えました。

純信は、川之江で、寺子屋の講師として、生涯を終えたということですが、結婚をして子どもがいたというような話もありますがはっきりとしたことは、不明です。

東京のお馬さんは、東京都北区豊島の西福寺に埋葬されていたのですが、西福寺のご住職が発起人となって、昭和60年、室戸青年大師明星来影寺を創建するにあたり、お馬さんの墓を分骨して建立し、百年ぶりに、お馬さんが高知に里帰りしたというわけです。 

お馬さんの孫にあたる方が高知に訪れたこともあったということです。その時に、お馬さんの晩年の写真も持参してきたそうです。それから、純信からプレゼントされたかんざしも残っていたような気がするのですが、定かではありません。

幕末から明治にかけての土佐は、何かと熱かったようです。

龍馬・慎太郎をはじめ、国を動かす偉大な人物を多く輩出し、その一方では、こういう熱い悲恋の物語があったわけです。

お馬さんの墓が室戸岬にあるというのは、何とも感慨深いです。高知は恋愛不毛の地のようにも思えるのですが、決して、そんなことはないのです。今も、高知は熱いです。

よさこい鳴子踊りの踊り子さんは、このお馬さんの悲恋物語を知っているでしょうか。一度、室戸岬の青年大師像に来て、お参りしてはいかがでしょうか。何か感じるものがあると思います。 

室戸では、悲恋物語ではないのですが、“おさご”さんという、絶世の美女の伝説があるのですが、噂によると、このおさごさんは、実在の人物だったというこうことですが、真実はどうなのかとても気になります。

おさごさんの子孫も実在したという話もききました。

お馬さんにして、おさごさんにしても、高知を代表するような美人だったということですから、どんな人だったのでしょうか。そういう人に会いたいものです。




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